令和4年3月 春彼岸施餓鬼法要 配布資料
『 正しいお通夜とお葬式へ向けて 』
このところ小さなお葬式、小さな家族葬、格安葬、一日葬、直葬と、葬儀のあり方の変化が目まぐるしい中でございます。
本来の葬儀とは、どのようなものであるべきか。以前にもまとめて配布した資料がございますが、今一度、考える時期にあるのではないかと思い、改めてまとめてみることにしました。
葬儀の一番の目的は、亡者を浄土へと送ることにあります。(但し、浄土真宗の現在の教義においての葬儀の目的は、阿弥陀仏への仏恩報謝となっています)
では、なぜ、浄土へと送らなければならないのか、ということでありますが、まず、仏教においては、正しい悟りへの道、仏道を歩んでいくにあたっては、直接に、既に悟りを開いた仏・如来からのご指導を頂く必要がございます。
現在、この娑婆世界では、釈尊の応身(凡夫でも相見えられることのできる仏のお姿の一つ)が入滅されて以来、仏・如来は不在となってしまっています。
仏の教えは、元来、対機説法、善巧方便として、一人ひとりに合ったカタチで説かれるのが基本となります。それが可能なのは、一切智者である仏・如来でなければできないことであります。(仏典・経典は、釈尊入滅後に弟子たちによってまとめられてあるもので、あくまでも八万四千ある釈尊の教えの代表的な要約に過ぎないものとなっています)
現在の娑婆世界においては、仏典や経典、その解説の論書、またそれらを説明する僧侶により、ある程度、仏教を学び修していくことはできても、やはり、どうしても限界があるものとなります。
そのため、足りない点や正確性を補うために、実際に仏・如来が在世されていて教えを直接に頂けるところへと赴くことが望まれるのであります。
それが、「見仏(仏と直接に相見えること)と授記(個々人へと説かれる悟りへと至るための教え)」となります。
釈尊はご自身の応身の入滅にて、その見仏と授記が、娑婆世界ではしばらくの間できなくなること(弥勒仏下生まで)を憂慮なさられて、他の浄土世界を色々とご紹介されて、そちらへと赴くことを促されたのであります。代表的には、阿弥陀経にて説かれてある阿弥陀仏・極楽世界です。(但し、娑婆世界であっても見仏と授記を頂く方法としては、密教における灌頂があります)
以上のことから、死後において、次の生まれ先を、この娑婆世界ではなく、直接に仏・如来から教えを頂ける浄土世界へと送るために執り行われるのが、葬儀ということになるのであります。
まず、その条件を調えるために行われるのが、通夜式での「授戒」となります。
過去世・生前からの悪業を悔い改め、しっかりと仏の道を歩んでいくためのルールを守る誓いを立てさせて、正式な仏の弟子とならしめるのが通夜式の役割となります。
そして、葬儀式においては、引導として、浄土へと送り出していくことになるのであります。
葬儀式で最も大切となるのが、引導文・引導法語となります。
これは浄土へと向けた一種のパスポート(渡航証)的な役割を果たすもので、悟りへと向けた大切な心構え、決意的なことが示さるところとなります。血脈(仏教の正しい教えを受け継いできた証)と共に、浄土への入国許可証と言えます。
このように考えますと、通夜式は、娑婆世界からの出国手続き、葬儀式は、浄土世界への入国手続きと言えるのではないだろうかと存じます。
この両方の手続きを正式に調えるために行われるのが、通夜式・葬儀式となるわけであり、浄土世界への出国へと向けた航海の無事、安全を祈り、送り出すことと共に、その手続きに不備がないか、間違いがないかを、しっかりと見届けるのも、ご遺族、会葬者の役割になります。
その手続きのためには、やはり省略ができないお経、回向があります。ですから、通夜式1時間(儀式40分・法話20分)、葬儀式1時間(儀式40分間・法話10分・告別10分)は、最低でも必要となります。また、法話では、通夜と葬儀の簡単な役割について、戒名の由来、引導の内容等の説明をしっかりと頂くことも大切なことになります。法話がないというのは論外であり、僧侶はしっかりと法話によって、導師として、葬儀についての説明責任を果たすことが求められるものでもあります。
以上のことから、仏式でお葬式をするということであれば、いくら小さく、短く、安くと言っても、限界があり、一日葬であれば、最低でも1時間半、直葬であれば、1時間(かなり巻き気味になる)は儀式の時間を取って行うことが望ましいものとなります。
祭壇や備品、お供え物等においては、多少なりとも負担を抑えるのは当然に構いませんが、時間と導師だけは、小さく、短く、安く、また、誰でもいい、適当で、というわけにはいかないことは、十分に認識しておくべきであると存じます。
やはり、僧侶、導師によっては、修行不足、作法の修練不足などにより、適当、いい加減、儀軌を間違ってしまっている者も中にはおります。上記で述べたように、手続きに不備がないか、間違いがないかを、しっかりと見届けるのが、ご遺族、会葬者の役割でもあります。確かな導師、僧侶に儀式の執行をお願いできるように、その資質を見極める、内容に間違いがないかをチェックするのも大切なことになります。
以前の配布資料の参照・・
『葬儀と供養の意義について』平成29年8月・お盆施餓鬼法要配布資料
ネット検索で全文ご覧いただけます→「葬儀と供養の意義について お盆」検索
各宗派における葬儀の要諦について(抜粋・加筆修正)
天台宗・・阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた引導式。儀礼・・法華懺法(ほっけせんぽう)(法華経を読誦し、無明・煩悩・悪業を滅するための法)と例時作法(阿弥陀経を読誦し、極楽浄土への往生のための法)と光明供(光明真言を読誦し、浄土への引導・成仏へ向けた法)。密教印契、密教法具も用いられる。
真言宗・・弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、あるいは大日如来の密厳浄土への引導式。儀礼・・灌頂形式。理趣経・真言・陀羅尼等が読誦され、密教印契、密教法具が用いられる。三密加持(御仏の身・口・意の三業の清浄)、本尊との一体化、浄土への引導へ向けた灌頂儀式。
浄土宗・・阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた往生式。儀礼・・序分(諸仏をお迎えする儀式)・正宗分(引導式)・流通分(諸仏・故人を見送る儀式)の三部構成。主には阿弥陀経・無量寿経・念仏が読誦される。
浄土真宗・・阿弥陀如来への仏徳讃嘆・仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の儀式。授戒・引導を扱わない。故人は臨終後即座に極楽浄土へと往生したもの(即得往生)とみなされるため、故人へと向けた供養・回向は扱わず、あくまでも阿弥陀如来を対象とした儀礼となる。正信偈・念仏・和讃が読誦される。授戒式は無く、仏弟子としての帰依者に与えられる名前は、戒名ではなく「法名」と称されている。
曹洞宗・臨済宗・・もともと禅宗における修行途中に亡くなった僧侶への葬儀法が、在家葬送のためにも援用され、「没後作僧」(もつごさそう)として各宗派の葬儀法へも影響を与えていくことになった。没後作僧とは、死後に授戒し、正式な仏弟子(僧侶)とならせて、仏の助けを得て、浄土引導、成仏させるという考え方。臨済宗は、阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた引導式。曹洞宗は、具体的な引導先は明らかとなっていないが、一切如来から教えを頂ける浄土への引導になると推測される。大悲心陀羅尼・観音経・舎利礼文などが読誦される(曹洞宗の場合・修証義や法華経の寿量品なども)。
日蓮宗・・久遠実成釈迦如来の霊山(りょうぜん)浄土への往詣(おうけい)のための儀式。法華経・題目などが読誦される。日蓮宗では、法華経に帰依信心すること(法華経の受持)、そのことが持戒そのもの(妙戒)であると考えられているため、授戒式は無く、仏弟子としての帰依者に与えられる名前は、戒名とは言わずに「法号」と称されている。
『 正しいお通夜とお葬式へ向けて 』
このところ小さなお葬式、小さな家族葬、格安葬、一日葬、直葬と、葬儀のあり方の変化が目まぐるしい中でございます。
本来の葬儀とは、どのようなものであるべきか。以前にもまとめて配布した資料がございますが、今一度、考える時期にあるのではないかと思い、改めてまとめてみることにしました。
葬儀の一番の目的は、亡者を浄土へと送ることにあります。(但し、浄土真宗の現在の教義においての葬儀の目的は、阿弥陀仏への仏恩報謝となっています)
では、なぜ、浄土へと送らなければならないのか、ということでありますが、まず、仏教においては、正しい悟りへの道、仏道を歩んでいくにあたっては、直接に、既に悟りを開いた仏・如来からのご指導を頂く必要がございます。
現在、この娑婆世界では、釈尊の応身(凡夫でも相見えられることのできる仏のお姿の一つ)が入滅されて以来、仏・如来は不在となってしまっています。
仏の教えは、元来、対機説法、善巧方便として、一人ひとりに合ったカタチで説かれるのが基本となります。それが可能なのは、一切智者である仏・如来でなければできないことであります。(仏典・経典は、釈尊入滅後に弟子たちによってまとめられてあるもので、あくまでも八万四千ある釈尊の教えの代表的な要約に過ぎないものとなっています)
現在の娑婆世界においては、仏典や経典、その解説の論書、またそれらを説明する僧侶により、ある程度、仏教を学び修していくことはできても、やはり、どうしても限界があるものとなります。
そのため、足りない点や正確性を補うために、実際に仏・如来が在世されていて教えを直接に頂けるところへと赴くことが望まれるのであります。
それが、「見仏(仏と直接に相見えること)と授記(個々人へと説かれる悟りへと至るための教え)」となります。
釈尊はご自身の応身の入滅にて、その見仏と授記が、娑婆世界ではしばらくの間できなくなること(弥勒仏下生まで)を憂慮なさられて、他の浄土世界を色々とご紹介されて、そちらへと赴くことを促されたのであります。代表的には、阿弥陀経にて説かれてある阿弥陀仏・極楽世界です。(但し、娑婆世界であっても見仏と授記を頂く方法としては、密教における灌頂があります)
以上のことから、死後において、次の生まれ先を、この娑婆世界ではなく、直接に仏・如来から教えを頂ける浄土世界へと送るために執り行われるのが、葬儀ということになるのであります。
まず、その条件を調えるために行われるのが、通夜式での「授戒」となります。
過去世・生前からの悪業を悔い改め、しっかりと仏の道を歩んでいくためのルールを守る誓いを立てさせて、正式な仏の弟子とならしめるのが通夜式の役割となります。
そして、葬儀式においては、引導として、浄土へと送り出していくことになるのであります。
葬儀式で最も大切となるのが、引導文・引導法語となります。
これは浄土へと向けた一種のパスポート(渡航証)的な役割を果たすもので、悟りへと向けた大切な心構え、決意的なことが示さるところとなります。血脈(仏教の正しい教えを受け継いできた証)と共に、浄土への入国許可証と言えます。
このように考えますと、通夜式は、娑婆世界からの出国手続き、葬儀式は、浄土世界への入国手続きと言えるのではないだろうかと存じます。
この両方の手続きを正式に調えるために行われるのが、通夜式・葬儀式となるわけであり、浄土世界への出国へと向けた航海の無事、安全を祈り、送り出すことと共に、その手続きに不備がないか、間違いがないかを、しっかりと見届けるのも、ご遺族、会葬者の役割になります。
その手続きのためには、やはり省略ができないお経、回向があります。ですから、通夜式1時間(儀式40分・法話20分)、葬儀式1時間(儀式40分間・法話10分・告別10分)は、最低でも必要となります。また、法話では、通夜と葬儀の簡単な役割について、戒名の由来、引導の内容等の説明をしっかりと頂くことも大切なことになります。法話がないというのは論外であり、僧侶はしっかりと法話によって、導師として、葬儀についての説明責任を果たすことが求められるものでもあります。
以上のことから、仏式でお葬式をするということであれば、いくら小さく、短く、安くと言っても、限界があり、一日葬であれば、最低でも1時間半、直葬であれば、1時間(かなり巻き気味になる)は儀式の時間を取って行うことが望ましいものとなります。
祭壇や備品、お供え物等においては、多少なりとも負担を抑えるのは当然に構いませんが、時間と導師だけは、小さく、短く、安く、また、誰でもいい、適当で、というわけにはいかないことは、十分に認識しておくべきであると存じます。
やはり、僧侶、導師によっては、修行不足、作法の修練不足などにより、適当、いい加減、儀軌を間違ってしまっている者も中にはおります。上記で述べたように、手続きに不備がないか、間違いがないかを、しっかりと見届けるのが、ご遺族、会葬者の役割でもあります。確かな導師、僧侶に儀式の執行をお願いできるように、その資質を見極める、内容に間違いがないかをチェックするのも大切なことになります。
以前の配布資料の参照・・
『葬儀と供養の意義について』平成29年8月・お盆施餓鬼法要配布資料
ネット検索で全文ご覧いただけます→「葬儀と供養の意義について お盆」検索
各宗派における葬儀の要諦について(抜粋・加筆修正)
天台宗・・阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた引導式。儀礼・・法華懺法(ほっけせんぽう)(法華経を読誦し、無明・煩悩・悪業を滅するための法)と例時作法(阿弥陀経を読誦し、極楽浄土への往生のための法)と光明供(光明真言を読誦し、浄土への引導・成仏へ向けた法)。密教印契、密教法具も用いられる。
真言宗・・弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、あるいは大日如来の密厳浄土への引導式。儀礼・・灌頂形式。理趣経・真言・陀羅尼等が読誦され、密教印契、密教法具が用いられる。三密加持(御仏の身・口・意の三業の清浄)、本尊との一体化、浄土への引導へ向けた灌頂儀式。
浄土宗・・阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた往生式。儀礼・・序分(諸仏をお迎えする儀式)・正宗分(引導式)・流通分(諸仏・故人を見送る儀式)の三部構成。主には阿弥陀経・無量寿経・念仏が読誦される。
浄土真宗・・阿弥陀如来への仏徳讃嘆・仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の儀式。授戒・引導を扱わない。故人は臨終後即座に極楽浄土へと往生したもの(即得往生)とみなされるため、故人へと向けた供養・回向は扱わず、あくまでも阿弥陀如来を対象とした儀礼となる。正信偈・念仏・和讃が読誦される。授戒式は無く、仏弟子としての帰依者に与えられる名前は、戒名ではなく「法名」と称されている。
曹洞宗・臨済宗・・もともと禅宗における修行途中に亡くなった僧侶への葬儀法が、在家葬送のためにも援用され、「没後作僧」(もつごさそう)として各宗派の葬儀法へも影響を与えていくことになった。没後作僧とは、死後に授戒し、正式な仏弟子(僧侶)とならせて、仏の助けを得て、浄土引導、成仏させるという考え方。臨済宗は、阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた引導式。曹洞宗は、具体的な引導先は明らかとなっていないが、一切如来から教えを頂ける浄土への引導になると推測される。大悲心陀羅尼・観音経・舎利礼文などが読誦される(曹洞宗の場合・修証義や法華経の寿量品なども)。
日蓮宗・・久遠実成釈迦如来の霊山(りょうぜん)浄土への往詣(おうけい)のための儀式。法華経・題目などが読誦される。日蓮宗では、法華経に帰依信心すること(法華経の受持)、そのことが持戒そのもの(妙戒)であると考えられているため、授戒式は無く、仏弟子としての帰依者に与えられる名前は、戒名とは言わずに「法号」と称されている。