あとらくと

ゆるゆるいきたいの。

気にしすぎ

2022-06-12 00:20:50 | いつもとちがう

大注目されているような場所でもなく、

気にしないでも好き勝手に書けばいい、と思う自分がいつつ、

 

あまりにも恥ずかしいので書きにくいという気持ちになる自分もいる。

 

 

多分きっと、うれしいことなんだろうと思う。

けれど、それと同時に悲しいことでもあって。

 

 

喉元過ぎれば、熱さを忘れる。

 

多分、周りにはそう思われてる。

 

でも、なんか違うって思っている。

こんなに執念深い自分が、こういう気持ちでいること。

 

仏さんになったら誰も悪く言わないから。

そんなのぶっちぎって、悪く言うよ、私は。あの不良中年=父のこと

 

という性格の私の、今の気持ち。

 

地獄のようだったあの時間を経験して、それを忘れてもいないんだけども。

それでも、私にその地獄を味合わせた相手が、

今、ほんの少し穏やかに生きているのを見て、よかったと思うし、

それと同時に、この先、この人はずっと孤独なのかなと悲しくもなる。

 

本質的に、私は家族の中で、この人と一番似ているんだと思う。

性格とも違うかな…感性というか…

 

こんな風に冷静に話せていた頃、一番意見が合ったのは、こいつだったな~とか。

 

 

でも相手には、私たち家族に見捨てられたという認識の過去があって。

 

私以外の家族の本音はわからない。

私自身は見捨てるという感覚ではなかった。

ただただ、手に負えなかった。

 

自分が手を出せないところへ放り出して、

それが限界に来ていたこちらの負担の解消と、

自分のことすらコントロールできなくなっていた相手を

少しでも好転させるための手段のひとつだと思って選んだ選択肢だった。

 

でもまあ、相手にすれば追い出され、見捨てられたのだと受け取っていても仕方ない。

外から見れば、それが真実に近いんだろうと思う。

それでもね、私は、自分が病むほどに必死にやった、と思う。

 

相手に恨まれるのも覚悟の上だったと思う。

感謝されたかったわけではなかった。

 

それでも相手が、ほんの少しでも生きやすくなれるよう、と思っていた。

そう願っていた。

 

今は多分、結果としては「良」の状態を保っている相手。

でもたぶん、私はまだ疑っている。

 

これをずっと続けていけるの?

今はまだ軽くだけれど人の目があるという自覚があるからでは?って。

またあの地獄の日々に戻るのも、ほんのちょっとのきっかけなんじゃないかって。

 

それは相手に「ふざけるな」と思う気持ちではなくて、

またあの苦しい時間に戻るのかなという恐怖。

自分が付き合うわけでもなく、自分が苦しかったころに戻るわけではないのだけれど。

相手が。

多分、家族の中では一番近い感覚だろう、似ているんだろう相手が、

また苦しい思いをするのかなと。

 

はっきりと言ってしまえば、それも自己責任なんだ。

誰かがそこへ追い込んだわけじゃない。

相手が勝手にそこへ転がり落ちていった。

 

それでも、こんなに苦しい思いをしたんだから、もういいじゃないか。

もう、戻って苦しい思いをすることはないじゃないかって。

その程度の感情は抱えています。

 

 

数年ぶりに、数時間の会話をした。

今、相手の力になってくださっている第三者さんが同席してくれていたので、

お互いに100%本音だったとは思っていない。

少なくとも、私は取り繕っている(笑)

 

それでも、ここ数年、ほぼ毎日顔を見てくれている第三者さんと会話をしているよりも、

私と話していると、表情も違ったし、数年の間にいろんな話を聞いてきたつもりだったけれど

一度も聞いたことがないことも聞けた、知れたと喜んでいただけて、

私は微力ながらお役に立ててよかった、と思えた。

 

 

何もすることがなく、これと言ってやりたいこともない、という。

「本音を言えば早く死にたい」と。

それでもそんな度胸もないのは本人もしっかり把握していて(笑)

 

一人暮らしをしている相手は、

第三者さんの尽力で、一人きりで誰にも会わずに過ごす日というのが

週に1~2日ほどの休日だけなのだけれども。

まあ、人付き合いの少ない社会人なら、そう珍しい状況でもないよねっていう。

 

やりたいこともない、することもない。

話し相手もいないから、毎日楽しくないんだ、と。

かといって、誰かと話す・付き合うというのも疲れる、好きじゃない。

 

本当、わがままでしょう?

でもね、赤べこのように高速で頷いてしまう私。

ほんっとううううに、よくわかるわかるわかる!!って気持ちなの(笑)

 

私の場合は、夫という家族がいる状況だけれども、

会話も何もない日は当たり前にあって。

家に一人でいるのもそんなに珍しくなくて。

夫とものすごく話したいことがあるわけではないのだけれど。

ああ、一人なんだなあと思う。

 

なんというかなあ…こういう、孤独感を、相手も味わってるんだろうなと思ったら、

本当にいたたまれなかった。

 

 

父逝去を知って、「手を合わせたい」と言った。

それが、無理を言っているのかもしれないと、遠慮がちなんだよね。

私も含めた家族が、自分を受け入れるつもりはないんじゃないかという。

面会中、何度か「行きたい」と口にしていた。

 

私は、そうさせてあげたいと思っている。

私以外の家族が拒絶するのなら、父の墓前に勝手に連れて行こうかなと。

 

 

あの部屋でポツンと、会話する相手もなく、することもなく。

自分一人分の家事をして、テレビを見る程度で時間を潰し、寝るだけ。

そんな風に過ごしている相手の感情にシンクロしちゃってるのよね、自分。

 

かわいそうとかそういう評価じゃないんだよね。

「苦しい」 ただそれだけ。

 

苦しくてさみしい孤独感。

じゃあ相手は、何のためにこの数年、頑張ってきたんだろうって。

シンクロしちゃってる自分の感情としては、

私は何のために家の中や実家のことで時間を取られてきたの?って。

その結果が、未だに面倒を押し付けられて実働部隊として扱われて、

家に戻ればさみしいなあと思う日々で。

 

面会に同席してくれた第三者さんは、

「この●年間、頑張ってたくさんの我慢をしてきた。

 その結果が今なんだから、これからはその我慢に報いましょう」

「まずは、自分が楽しいと思えることを手に入れていこう」

「高尚なことなんかじゃなくていい。

 ゲームが欲しい? いいね! そうすれば、家にいて時間を過ごすのが苦痛じゃなくなるかも。

 まずは、家にいて過ごすことが、帰宅することが、楽しいと思えるようにしていこう」

そんな風に話をしてくれていて、

ぜひその通りにしてくれれば、孤独感は払拭できるか、減っていくんじゃないかなって。

 

私は、どこまで踏み込んでいいのかわからない。

相手も、家族相手にだと際限なく要求するようになって、

せっかくの自制がガタガタになってしまうのではないかと思うと、

余計な事はしないのが結果的に力添えになるのかな、と。

 

 

私は相手を、家族のもとへ戻してあげることはできません。

受け入れられないというのも仕方のない、それだけの過去がある。

 

過去のことは病気がさせたこと。 それが真実なのかもしれない。

でもそれは、自制できたことであって、そこまで落ちたのは本人の責任。

 

やったことに結果がついてきて、それが今のさみしさや苦しさにつながるのは、

過去にやったことの責任を取る、ということ。

元に戻せない、取り返しのつかないこともあるんだということを思い知るんでしょう。

 

過去にあったことは、消せないし、なくならない。

忘れられるほど、軽いことでもない。

 

あの過去の時だったようには、相手のために時間も労力も割けない。

それでも、ほんの少しの接点で、ほんの少しの交流でも、

もしも相手がちょっとは楽しめたり、孤独を解消できるのなら、と思ってしまう。

 

関われば、また傷つくかもしれないのにね。

学習しないのは、相手だけじゃなく、私もなんだろうな。

 

まあ、ばか姉弟なんでしょう。