HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

5148 首目・・・映画「ワン・ハンド・クラッピング」を見る

2024-10-13 00:00:00 | 日記

映画の正式タイトルは、「ポール・マッカートニー&ウイングス - ワン・ハンド・クラッピング」。


1974年8月に彼の「アビーロード・スタジオ」で収録されたものの、映像(と多くの音源)はお蔵になっていたもの。

当時、ポールは、32歳。ウイングスのLPでは、「バンド・オン・ザ・ラン」('73)から「ビーナス・アンド・マース」('75)の間の時期に当たる。

この頃は、「ミュージック・ライフ」を毎月、隅から隅まで一文字余さず読んでいた。だが、当時のLPは2200円と購入するには、やはり高価な代物だった。

然りながら、ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」もその前作の「レッド・ローズ・スピードウェイ」('73)も『所有』していた。

リアル・ビートルズ体験はない('70年の解散から2年後あたりから洋楽を聴き始めた)のだが、'70年代を通じてコンスタントに活動していたポール・マッカートニーは、私にとって、最も親しい『元かぶと虫』だ。


さても、本作。感涙に咽ぶとまでは言えずとも、「1985年」が聴けたことと、動く?「リンダ・マッカートニー」を見ることができたのが収穫だった。

「1985年」は、LP「バンド・オン・ザ・ラン」B面のラスト曲。

軽快なピアノのイントロで始まり、次第にヒートアップして、(ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」ばりの)荘厳なコーダ。歌詞は軽くひとひねりしたラブソングなんだが、とてもカッコよくて好きだった。

映像の前半は、ポールのピアノだけだが、終盤はコンサートの映像をかぶせた処理のようだ。でも、ん十年ぶりにお気に入りのナンバーを聞いて、しばしのカタルシス。


さて、当時から雑誌などで、リンダ・マッカートニーの記事を見るたび、彼女には、バンドメンバーしての引け目があるだろうなぁとの思いを禁じ得なかった。

同じくアーチストといえど、元々は写真家で楽器(キーボード)はかなり素人に近かったリンダ。

加えてポールの初婚妻ということでやっかみもかなりあったろう。(まぁ、レノン妻のような出しゃばり感(笑)はリンダにはなかったが。)

インタビューではその点も振られるが、リンダは衒いなく正直にレスポンスする。

10年弱のウイングスとしての活動期間。リンダをメンバーにしたポールの勇気と決断もさることながら、この二人は、リライアブルな関係で、相互にリスペクトがあったのだろう。


リンダは、ポールより一つ年上だが、1998年に早々と天に召された(享年56歳)。映像で見ながら聞くリンダのバックコーラスはより清々しかった。



「ラブソング愛の歌書くジョンかたや恋を書かずにおられぬポール(新作)」


レノン=マッカートニーではなくなってからのふたりのイメージはこうなのだが、、どうだろうか。

かたや、人類愛や夫婦愛が似合う人。こなた、シンプル(気楽な→褒め言葉)な恋歌(「マイ・ラブ」や「心のラブソング」など)が似合う人。

不尽



(レコードコレクターズ1993年5月号)
追記
サウンドのテイストがわかるのは、「タッグ・オブ・ウォー(1982年)」あたりまで、かな。



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