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全集(筑摩書房1975年版)で、葉山嘉樹(1899年(明治33年)生、1945年(昭和20年)没)の全小説と8割方の随筆を読む。
プロレタリア文学における葉山は、非共産系の労農派。機関誌の名から文戦派、描く対象から素材派とも呼ばれる。
プロ文者には、「生活と芸術」の問題に思想が関わってくる。いわゆる「転向」問題だ。
葉山も、1930年代初頭以来の思想弾圧により、東京における文筆生活に見切りをつける。東濃地方に居を移し、ゆるやか(?)に「転向」し、半農半作家生活に入る。
葉山の作家活動は約20年。前半の10年がプロ文、昭和9年以降の後半10年余が民衆文学、農民文学となる。
プロ文時代は「海に生くる人々」・「淫売婦」・「セメント樽の中の手紙」が鉄板のベスト3。
「海に生くる人々」の感想は、以前(4966首目)に書いたとおり。「淫売婦」は、一見陰惨な話しに思えるが、哀感あふれる傑作。「セメント樽の中の手紙」はトリッキーに過ぎるかな。(昭和50年代に高校の国語教科書に掲載されていたのに驚き!)
葉山の後半生の暮らしは概して楽ではなかった。ただ、作物の内容は、私小説家にあるような貧乏自慢ではなく、自虐的ではない。
そして、転向したとはいえ、世捨て人ではなく、声なき者に対する共感や優しい眼差しを決して失ってはいない。加えて子供を書いた作物がとても情愛に溢れていて心に沁みる。
転向以降で、丸印をつけた作物は、「万福追想」・「水路」・「濁流」・「氷雨」・「流旅の人々(長編)」・「凡父子」・「子を護る」・「多産系子孫分布図」・「海に行く」、などだ。
そんな葉山も戦況の深まりにつれ、知らず軍国主義に絡め取られてしまう。昭和15年あたりからの小説、随筆における変貌ぶりを、非難することは容易いが、むしろ痛々しく感じてしまう。
そして、昭和19年には国策としての満州開拓団に志願。昭和20年に再び渡満。終戦後の満州からの引上げ列車の中で客死してしまう。(享年数え52歳)
「馬鹿にはされるが 真実を語るものがもっと多くなるといい」とは葉山がよく口にしていた言葉である。
読み終えて、葉山嘉樹はいろんな意味で純粋な人だなぁというのが端的な感想だ。
「踏み出して気づく歩幅の違ひあり咎めり責めり赦し労(いたわ)る(新作)」
不尽
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