(横光利一(昭和10年))
横光利一(明治31年(1898年)~昭和22年(1947年))の小説(のみ)をほぼ読破。
しかし、読書メモで二重丸をつけたのは、僅か4つ。心理主義的な「機械」と「時間」。そして晩年の「睡蓮」と「微笑」。
利一には作風の変遷が何度かある。デビューから新感覚派までの作物は私にはどうも馴染めなかった。着想は面白いけど、詰め込みすぎで落ち着かない感じ。新感覚派時代の諸作も今では既視感が拭えない。
だが、続く心理主義的作物は、今でもイケる。他人の心理を読みすぎるゆえの不安、焦り、いらだちなどがだらだらした文体とマッチングして奇妙な快感がある。ただこの時期も長くは続かない。
そして、その後に来るのは、利一が標榜した『純粋小説』の中長編の作物。(「純文学にして、通俗小説」と利一は純粋小説を定義する。)これが8、9作あるのだが、全くもって退屈。
煮え切らない男女による煮え切らない結末の作物多し。思索主体の知識人の苦悩を描くというやつだが、ちょっと古めかしいよなぁ。だから、恋愛も添え物みたいで、深みがない。
辛うじて一重丸を付けたのは、心理描写が機械っぽい「実いまだ熟せず」。人物の巣だつ感じが上手い「鶏園」。登場人物が活発に動く「家族会議」。
(利一は戦後2年目に49才で急死したが)晩年の「睡蓮」、「微笑」の枯れた感じは、時系列に読み通してくると感慨を禁じ得ない。
また、敗戦直後の疎開先の生活を異邦人的立場から淡々と綴った日記文学の「夜の靴」も面白く読めた。
利一には、(作家としての)軍部への協力的な姿勢から戦後間もなく戦争責任を強く問われたとの人物評がつきまとう。
長生きしてたらきっと新境地の作物を生み出して、日本人のことだからそんなこと忘れてしまっただろうにと、ちょっぴり気の毒に思える。
で、私にとって、横光利一は、結局あんましフィットした作家じゃなかったんだが、、汗。
付記1昭和10年代前半は相当の売れっ子作家だったようだけど、「旅愁」は未読。だってあんなに大部でしかも未完だし、、。
付記2「新感覚派」時代にいわゆる『病妻もの』の作物が6作ほどある。いずれも利一のツンデレ感を楽しむ作物。一番有名なのは、「春は馬車に乗って」だろうが、「慄える薔薇」が一番よかった。(ただ残念なのは、この死別した妻キミさんの写真が探しても見つからずお顔を拝見できないこと。みなみに昭和3年頃撮られたこの画は、後妻の(利一の死まで添い遂げた)千代さん。)
「彼を斯く疑がふ我を知る汝を見詰むる彼に戦(おのの)きたる我」~横光利一「機械」~
不尽
さて、明日は太田裕美コンサート。珍しくクジ運よく、そこそこ前のシート。
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