自分のことは自分が一番わかっているつもりだったけれど、実は自分こそが自分のことは一番見えていないことを、歳を重ねるごとに実感してきています。
自分のことだけしか見てなくて、自分のことしか考えてなかったら、自分という人間を知ることはできないものだな、と思った。
また、自分と価値観の近い人だけ見ていても、なかなか自分の全貌は見えてこないものだと思った。
今の私にとって自分の中にあるいい意味でも悪い意味でも、知られざる自分をハッキリ映し出してくれるのは、自分と価値観の違う人。
自分とはかなり違う育成環境で育ってきた人や、違う人生を送ってきた人。
これに関しても、ほとんどの人が該当するといえば、該当するわけだけれど。
とにかく、なぜこの人達はこうなんだろう❔と思わせてくれる疑問が、自分を深く知るカギになることに気づいた。
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私自身、自分は多くの人とほぼ同じような価値観を持った人、という認識で長年生きてきた。
自分の考えをもとに、「普通はこう考えるよね❔」って感じで、当然のごとく生きてきた。
私の考えこそ多数派の代表!という自信こそあったわけだけれど。
実はそうでもなさそうなことにハッキリ気づいてきた。
むしろ自分は少数派の中でも、超少数派だったかも。
たぶん私のことをよく知る人達から見たら、
「やっとそのことに気づいたの❔」
と笑われそうなレベルの気づきなのかもしれないけれど。
そうか!自分は世間の人達とはだいぶ違った価値観で生きている人なんだ、ということを改めて深く認識しはじめたら、自分の立ち位置がはっきりしてきて、以前より生きやすく感じられるようになってきた。
自分という人間の全貌を知ることなんて、一生かけても無理なのかもしれないけれど、知ることのできる割合を少しでも増やしていければ、昨日より今日、今日より明日が生きやすくなるような気がして、もっともっと自分のことが知りたくなってくる。
そのためには、それに気づかせてくれる人が必要。
「どうしてこの人はこうなんだろう❔❔」と、
私に疑問を投げかけてくれる人が必要ということだな、と思う。
自分だけに向けていた目をこれからは積極的に他者に向け、人に興味を持つことができれば、自分を知れるチャンスはつかみきれないほどに現れると思っている。