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苦しみはなくならないよ。苦しみでなくなるのだよ。
この言葉をみるたび、私はその時々でいろいろな気づきが得られています。
自分にとって辛い苦しみであったことが、あるきっかけにより受け止め方が変わることはあります。
ある人物との出会いによって、とか、ある本で読んだ言葉をきっかけに、とか。きっかけは様々でした。
また、特にきっかけなどなくても、ある日ふと、苦しみであったはずのものが、苦しみとはいえないものに変化していることもありました。
私は15年ほど前から、ある脚の障害が出はじめ、痛みで思うように歩行がままならない時期もありました。
その頃の私にとっての脚の障害は、完全に「苦しみ」そのものでした。
今は、といえば、治っているわけではなく、痛みもあり以前のように歩けるわけではないですが、「苦しみ」ではなくなっています。
なぜそのような変化がおきたのかと考えてみると、脚の障害に対する捉え方が変わってきたからだろうと思うのです。
苦しい中でも私は常に、なんとかしよう!なんとかできるはず!とずっと考え続けていたせいなのか、「苦しみ」がいつしか「課題」のような姿に変わっていきました。
なので、課題であればそれに取り組み解決していけばいいんじゃないかと。
脚の障害を克服するために、身体の調整法など自分でできることに興味を持ち、取り組み始めています。
以前私は独学で長年ヨガも続けていたので、自分の身体の声を聞き調整していくことはもともと好きだったのです。
私の脚の障害は奇跡が起こらない限り完治はしないでしょう。
でも、奇跡が起こせるかもしれないという思いはあります。
そして、今私が取り組んでいることは、年齢と共に衰えてしまう身体を維持することにもつながっていそうなので、一石二鳥といえなくもないかなと。
私の人生の終わりには、あの脚の障害という課題がこなければ、歳をとってからもこんなに元気で長生きはできなかったかもしれない、と。
そんなふうに思う最期であればいいなと思っています。
苦しみはなくならないよ。苦しみでなくなるのだよ。
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この言葉から受ける気づきは、きっと人それぞれなのでしょう。