ぱんどらのへや

ちょっとした子育てに役立つ話を紹介していこうと思います。

発達障害?

2024年09月19日 | 職業
発達障害について学びだした時に、教授がこんなお話をしてくれました。
 落語の『一つ目小僧』をあげ、今発達障害の特徴を持たない方がマジョリティなので、発達障害の特徴は”困りごと”として扱われて”治す”ように求められるが、彼らがマジョリティなら、発達障害の特徴を持たない我々が、発達障害の特徴を持てるように訓練を課されるのではないか。と言うものでした。

 そんな風に、私自身の”常識””価値観”を問われるのが、発達障害を抱える方に関する相談です。社会で生きていくために変わってほしいけれど、それは価値観の押しつけか?
 そんな思いにとらわれた時に、私が読み直す本があります。
  ※本田秀夫先生監修『自閉症スペクトラムの子のソーシャルスキルを育てる本 幼児・小学生編』講談社
  ※本田秀夫先生監修『自閉症スペクトラムの子のソーシャルスキルを育てる本 思春期編』講談社
  ※杉山登志郎著『発達障害の豊かな世界』日本評論社
 人が社会で生きていくために、何を身につけなければならないか。けっして”できる””できない”の価値判断だけが重要なのではないと思わせてくれます。そういう意味では、これらの本は発達障害の方についての話なのですが、すべての子育てに通じる話だと思います。


同じ人はいません。皆、得意不得意等の特性が、微妙に違います。
 私自身を例に出して言えば、私は音韻把握が苦手です。騒がしい場所だと、自分に必要な音を取り出すことが苦手です。音は聞こえます。でも、自分に向けられた”言葉”として把握するのが苦手です。それで、いろいろなミスをして、いつも叱られてばかりでした。無視したと友達と喧嘩になったこともあります。そういう特性に気が付いてからは、集中して聞けば把握できるようになること、静かな場所で数人で話すとミスが少なくなるし、聞き返せばよいのだと、自分の不得意をカバーする方法を工夫するようになりました。
 見るのが苦手な方もいらっしゃいます。他にも他にも。皆、苦手と得意が違います。同じように聞くことが苦手、見るのが苦手と言っても、お一人お一人、細かいところでは違うし、カバーする方法も違います。
 このような話をすると、不得意は訓練したり、気を付けて直せばよいのではないかとおっしゃる方がいらっしゃいます。訓練とか、気を付けるというレベルではどうしようもない特性を持っていらっしゃる方・お子様もいらっしゃいます。そんな時、私としては、そのような特性を持つ方に無理なプレッシャーを与えないように、「障碍(障害)」という言葉を使って、説明させていただくことが多いです。

★「自閉症スペクトラム障害(自閉症スペクトラム症)」
   以前は様々な呼び名がありました。「広汎性発達障害」「高機能自閉症」「軽度発達障害」「カナータイプ」「アスペルガー症候群」…。今は統一されて、「自閉症スペクトラム」と表現することが多いです。
 日本の精神科領域の診断は、DSMというUSAの「精神障害の診断と統計マニュアル」によることが多いです。DSMが改定されるたびに、この自閉症スペクトラムや発達障害と言われるものの診断基準が変わるのです。今は5版にそって診断、表現されていますが、また、改定されたら変わるかもしれません。
  幼い時はカナータイプ(言葉があまり出ず、人との関わりを持ちたがらないタイプ:映画『レインマン』の兄)が、思春期以降はアスペルガータイプ(積極的に人と関わろうとするのだが、うまくいかないタイプ)になるとか。反対もあります。AD/HDのような衝動性が強かったお子様が、長じて、衝動性は目立たなくなってきたが、自閉症スペクトラムの特徴が顕著になるとか。診断基準では、列記してある特徴の中からDSMが求める数の項目を満たす時に診断されるとあるのに、2つしか満たさないけれど、困っていることは自閉症スペクトラムの特徴を持つ方と変わらないとか。幼い時は、特徴があまり目立たなかったけれど、だんだんと色濃くなるとか。厳密に定義しようとすると、複雑すぎて、定義が難しいのです。だから、いつも研究されて、議論されて、改定するたびに変わるのです。
 生まれ持ったものなので「子どもの頃からその特性があること」が前提です。大人になってからというのはあり得ません。でも、特性に気づかれない/気が付いていない場合があります。もし、大人になってから”診断”してもらう必要があったら、できるだけ、幼いころからの記録を集めて下さい。母子手帳・連絡帳・通信簿・テストの解答用紙。行動面ならホームビデオもあると良いですね。
 このように、複雑なので、学会で発表するとき以外は診断名はあまり使わず、あくまで、その時に現れている特性を中心に、様子を見、相談にのることが、私のスタンスです。ただ、難しいのが、「その時に現れている特性を」と書きましたが、自閉症スペクトラムの方の中には一度学んでしまったことを変更することが難しい方もいらっしゃるので、【未来】も想像しながら、対策を考えています。
 尤も、診断名を使わずにいると、本当に専門家なのかという疑いをもたれるのが、へこむところです。


★「経過観察と言われたけれど…」
   こども家庭庁では、1歳6か月健診と3歳児健診を義務としています。それに加えて、5歳児健診など、自治体独自の健診を行っていることもあります。就学前健診もあります。
  幼稚園教諭・保育士・教員も研修を重ねています。本来、医学的な診断名をつけるのは医師の仕事なのですが、たくさんの方が気軽に使っています。ネットで自己診断してくる方もいらして、ちょっと恐ろしい状況になっています。医師以外はあくまで(疑い)なので、受診するようにお勧めすることが基本です。公立中学校にはスクールカウンセラーが配置されています。自治体によっては、小学校・高等学校にも配置されていることもあります。こども園・幼稚園・保育園、公立の学校でも、巡回心理士が廻っていることもありますし、要請されて園や学校に出向く方式を取っていることもあります。私立は園や学校によって様々です。
  これらの場で、特性に気づくことがあります。お会いした瞬間に、その特性を専門家が感じ取ることもあれば、制作物や行動観察や、保護者からお話を伺って、総合的に判断する場合もあります。基本、集団でいる場所の様子、ご家庭での様子、1対1の面接での様子など、様々な場での情報を集めて、判断します。保護者の方が違和感を持っていらっしゃる場合もあれば、日常では同じことの繰り返しなので、気が付かれていらっしゃらない場合もあります。「困っている」状態も、お子様のみならず、保護者の方も様々です。学校での様子から自閉症スペクトラムの特徴を持っていらっしゃると私が判断したお子様の保護者の方に、乳児期の困りごとを確認した時のことです。「何も困っていない」とおっしゃいます。そこで、具体的に夜泣きについて伺いました。その保護者の方は、「抱いていないと寝ないので、一晩中抱いていた。でも、壁にもたれて私も休んでいたので困っていない」とおっしゃいました。人って様々だなと認識を改めた瞬間でした。
 そうやって、健診を受けても、園や学校に相談してみても「様子をみましょう」と言われて、戸惑ってしまっていらっしゃる保護者の方はたくさんいらっしゃいます。「様子をみましょう」と言われても、どうしたらよいのかわからないですよね。発達には個人差があります。もう少し成長すると変わってくる場合があるからです。特に多いのが、発語。ほとんど話さなかったのが、3歳ぐらいになって、堰を切ったようにおしゃべりになる子がいます。歩き出すのは遅かったけれど、足腰が強いので転びにくい子もいます。世の中はなんでも”早く”が求められますが、早く歩き始めると、まだ足腰が育っていない場合もあり、転びやすい子もいます。本当に個人差です。簡単には判断できないので「様子を見ましょう」になってしまうのです。
 「様子を見ましょう」と言われてどうしたらいいのかと気にしてくださるのでしたら、お子様が不機嫌になる場面とか、子育てしている中で、保護者の方が困っていらっしゃる点・気になっている点とかを記録していただけると嬉しいです。お子様の素敵な面も記録しておいていただけると良いですね。日々、忙しいと、毎日変わりなく過ぎているように思えます。でも、意外にお子様はぐんぐん成長しているものです。一か月ごとに読み返すと発見があったりします。園や学校の先生方に、話を聴いてみるのも良いかもしれません。先生方が、お忙しいようなら、心理職と話をしてみるのも良いかもしれません。心理職も「様子をみましょう」と言うかもしれません。そうしたら、どういう点に注意して様子を見ればいいかを聞いてください。ポイントを知っているだけでも、安心できます。


★療育や特別支援教育等の支援を勧められたら…
  私的には、上に書いたように、自分の得意・不得意を知って、強みを伸ばし、苦手のカバーの仕方を身に着けた方が、「だめ」と闇雲に、なんだかわからず自尊心を傷つけてしまうことが少なくなるので、ついお勧めしてしまいます。
  でも、中には「障碍者認定される」と拒否する保護者やご親族の方もいらっしゃいます。保護者は療育を受けさせたいと思っていても、お舅様が絶対に許さなかったご家族もいらっしゃいました。周りの子に馬鹿にされる、いじめの対象になると恐れるご家族もいらっしゃいました。学校と対策を練ってください。校長先生が「誰でも苦手がある。その苦手な部分を何とかしようと支援教室で学んで頑張ってる。その頑張りを応援しましょう」と児童・生徒に説いて回ったケースもあります。学校全体の取り組みと、その支援教室に通っていた子の改善と相まって、皆に受け入れられ、支援教室希望者が増えました。ただ、このようにうまくいく学校ばかりではないので、特に保護者の偏見は子どもに影響を与えますので、対策をよく話し合ってください。
  ご家族・ご親族の反対以外にも療育や支援教室での支援を受けられない場合もあります。その時は、家では強みを伸ばすことを中心に関わってください。上で紹介した本田先生のご本を参考に、スキルを身につけさせてください。子どもは成長します。良い面が伸びると、苦手をカバーしたり、苦手が苦手ではなくなったりします。ご本人がやりやすい環境を整えることも大切です。具体的にとか、本田先生のご本とお子様の様子が違うとかのカスタマイズは、お近くにいる心理職と話をしてください。
  もう一つ心がけていただきたいのは、療育のやりすぎです。特に、乳幼児期は、その療育がお子様にあっていると、お子様はできなかったことがどんどんできるようになります。それで嬉しくなって、どんどんやろうとしてしまいます。けれど、それが、お子様を燃え尽き症候群のような状態にさせてしまうことがあります。チックや夜尿等のサインを出してくれていれば気がつきやすいのですが、発達障害の特性を持っているお子様は、ご自分の疲れや感情に気が付きにくく、サインも出しません。そしてある日パタッと、登園・登校・通所拒否を起こします。そうなる前に、ほどほどに。また、伸びると書きましたが、発達は山登りのようなもの。初めは平原地帯を歩いているように、まったく効果が現れなかったのが、ぐんと伸びることもあります。伸びていたのが、伸び悩みをすることもあります。しばらく平原を歩くような気持で、焦らないでください。


★環境を整える
  自閉症スペクトラムの療育には、様々なメソッドがあります。どれが優れているとかではなく、どれが、お子様や一緒に暮らしているご家族に合うかです。お子様の成長に合わせて、合う方法が変わってくる場合もあります。
  注意が散漫にならないようなデスクの仕切りは、市販でも手に入ります。片付けの仕方、身支度の仕方、勉強の量。ちょっとした工夫でやりやすくなります。「できない」「しない」「いうことをきかない」等叱る前に、やりやすい環境を整えて下さい。そのようなアイディア本も市販されています。お子様にあうあわないがあるので、図書館で借りて、やってみて効果があった方法が載っている本を買うのも一つの方法だと思います。園や学校の先生が良い方法を知っていることもあります。似た特性をお持ちのお子様の保護者との情報交換も役に立ちます。
  そして、高校以降は、自分の居場所を選べます。どんな場所なら、お子様が実力を発揮できるのかを一緒に探りましょう。偏差値だけで決めないでください。場の落ち着き具合、人口密度、同じような人が多いのか、特性に理解があって、ちゃんと合理的配慮をしてくれるのか等々。合わない場所(学校・就職先)で、自分をダメにしていくことは極力避けましょう。就職難の昨今、妥協しなければならないこともあります。その場合、第2の場所があれば、何とかなる方もいらっしゃいます。第3の場所の居心地の良い場所がご家庭や自分の部屋であるといいですね。
 そんなお子様に合った工夫や、居場所探しに、心理職も力になりたいと思っていますので、声をかけていただけたら嬉しいです。
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ストレスケアはどうしていますか?

2024年09月18日 | 職業
「ストレスがたまると病気になる」とよく言います。
半面、ストレスは、貴方を成長させる素にもなります。
どう、付き合っていけばよいのでしょうか?

さて、ストレスに強い人って、どんな人でしょう?
 なんでも、我慢できる人?動じない人?どんなイメージを持っていますか?
 精神科医の山本晴義先生は、『メンタルヘルス・マネジメント』PHP研究所2002というご著書の中で、以下のようなことをおっしゃっています。今回は、そのご著書を、私流に表現したものを記したいと思います。先生の言葉のママは、ご著書をお読みください。


★ライフスタイルがちょうどよい人。
  疲れはとれていますか?
  体を動かしていますか?
  お食事は美味しいですか?
  一日の流れは、基本的には同じ様に進んでいますか?
  笑ったり、泣いたり、怒ったりすることはありますか?
 
 「眠れていますか?」と書きたいところですが、現実には、不眠の悩みを抱えている方はたくさんいらっしゃいます。受診や睡眠薬を服用するほどではないけれど、と言う方が大半ですが、ドラックストアに行けば”眠り”に関する市販薬のなんと多いこと。眠りの質を高めるとうたう寝具等も多いですね。老若男女、子どもも含めた現代人の共通の悩みです。「眠れない」と悩んでかえって眠れなくなるよりも、「疲れが取れているか」を参考にしていただきたいです。頭の疲れ、体の疲れ、目の疲れ。ストレッチやリラックスでほぐしてください。睡眠に関する本を読むと、横たわっているだけでもましなようです。そして、何より重要なのは、「眠れない」時に、反省会はやらないこと。夜考えると、たいていネガティブなことばかりが頭に浮かんできます。それよりも、貴方が考える楽園や理想をイメージしたほうが数倍リラックスできます。そして、疲れが取れてから、現実的な対処を致しましょう。

 体を動かしていますか?当然、年齢や摂取しているカロリーによって必要な運動量は違ってきます。健診を受けると、手始めに散歩を勧められることが多いのですが、外に出られない状況もあるでしょう。まずは、ストレッチから始めていただきたいです。なんて言ったら、運動の専門家からお叱りを受けるでしょうか?頭や心を柔軟にするように、体も柔軟にしていただけたらと思うのですが。あと、家事をきちんとするだけでも、多少は運動になるのだそうです。

 お食事は美味しいですか?早食いになっている方や、反対にだらだら食いになっている方が多くなっているようです。個食ではなく、会話をしながら食を楽しむことを推奨される、食の専門家もたくさんいらっしゃいますが、昭和世代だと、食事中は黙ってというご家族のルールがあったりします。また、お一人で召し上がらなければならない方もいらっしゃるでしょう。なので、せめて、楽しんでいただく工夫をしていただけたらと思うのです。キャラ弁とまではいきませんが、赤・緑+もう一色を揃えるだけでも、華やかになります。赤は人参、赤かぶ、トマト、いろいろありますね。緑は葉っぱ類や若布とかこちらもいろいろ揃っています。もう一色はご飯の白、海苔の黒、煮物の茶色、たまごの黄色、こちらも色とりどりです。香りや味、噛んだ時の感触等、楽しみ方はたくさんあります。

 一日の流れは、基本的には同じ様に進んでいますか?学校でも、職場でも、家事でも、多少の変更やアクシデントがあるものの、だいたい、ルーチンで回っていますね。昨日と同じ今日が過ごせて、明日が来る。大切なことです。初めての経験だらけや、いつ何が起こるかわからない状況なら、毎日が刺激的ですが、落ち着かず、常に興奮状態になってしまいます。興奮状態が続いた後は、心のバランスをとるために、沈静化=動けなくなります。動けなくなる状態が続くと、自分はどうしたのかしら?と不安になりますので、できれば、こまめに興奮とリラックスが交代するほうが良いのです。そして、同じように進むのなら、これから起こることを予想できて、対策が立てられます。昨日と同じ今日が過ごせたら良しとしましょう。余力があったら、+αを加えてみましょう。

 笑ったり、泣いたり、怒ったりすることはありますか?感情が動かないニコニコ仮面の恐怖は、前回の記事に書きました。ニコニコ仮面という状況だけでなく、感情失禁というものもあります。泣く場面で泣けず、なんでもない時、例えば電車に乗っているときに、きっかけなく、涙があふれて止まらないとか。ちょっと、イラっとしただけなのに、怒りが止められなくなるとか。普段から、無理に感情を抑えていると、このような状態になります。「感情的な人に見られたくない」社会で生きていると必要なスキルですね。でも、心に湧き上がってくる感情を認めることと、それをどう表現するかは違うのです。


★ストレス対処行動をとれる人。
  遊ぶ時は遊ぶ。やる時はやる。そのメリハリができていますか?
  解決方法が見つかった時は、取り合えずやってみる。
  ストレス解消法=リラックスできるもの、熱中できるものがありますか?

 メリハリは大事です。人は、いろいろな要素でできています。上記の寝る・食べる・仕事/勉強/家事をする。一つのことを止められなくなることもよくあることです。反省して、切り替えして、また繰り返すでしょうか。ですが、常同行為・強迫・依存の域まで達すると、日常生活や、周りの人との関係性、人生の方向性に支障がきたします。

 問題(壁)にぶつかることはよくあることです。自分の思い通りになることなど、ほとんどありません。そんな時、皆その方なりの解決方法を探ります。いつもの問題だけでなく、初めての困難にあたるときもあります。ベストな解決法が取れればよいのですが、そうもいきません。ベストでないとと思うと動けなくなってしまいます。自死する、犯罪行為に手を染めるなどの人生を破滅するような方法さえとらなければ、やり直しできます。回復力が大切です。リジリエンス力を磨きましょう。

 ストレス解消法=リラックスできるもの、熱中できるものを持っていることも大切です。なぜか、大人と言われる人は、遊ぶことを嫌います。さぼりだと言います。でも、”遊ぶ”ことは、創造性・想像性を培う最高の方法です。リラックスして、何かに熱中することで、活力を得られます。そして、心の健康のためには柔軟性が肝要です。


★自分は、なんとか乗り越える力があると思える人。
  今は苦しくとも、この苦しみは永遠に続かないと思えますか?
  嵐の時は安全なところに避難できますか?
  待つ時は待つ。動く時は動く。
  自分の能力を超えたことはしないけれど、自分にできることはする。動き出すための準備はしておこうと思えますか?

 人も、状況も、少しずつ変わっていきます。変わらないものなど、何もないのです。「永遠に続く」ように見える時は、何かが、続くために何かをしているのかもしれません。「永遠」と嘆く前に、状況を、空を飛ぶ鳥の目、地を這う蟻の目など、今いる場所と違う視点から見てみましょう。

 その視点を持つためにも、安全を確保することは必要です。引きこもりがその”安全”な場所となっている場合もあります。なぜか、「逃げてはいけない」という方が多いです。確かに、何も努力しないで逃げているばかりと言うものももったいないです。でも、命や心・エネルギーを削ってまで、頑張ることではありません。「三十六計逃げるに如かず」という故事もあります。何も対策も武器もなしに、頑張り続けるのは愚かです。安全な場所に身を確保して、エネルギーを充填して、作戦を練り対処することが大切だと思います。

 困難な状況は変わりますが、悪くなる場合もあれば、良くなる場合もあります。そんな中、闇雲に動き続けるのは良策と言えません。嵐の中を進む危険性はお判りでしょう。嵐・ブリザードの間は、待って、体力温存。そして、少し和らいだところで歩き出せばよいのです。和らいだ時にも、実際の嵐の時と同じように、土砂崩れ(落とし穴)や濁流等が起こりそうな危険地帯に気を付けて、回避方法を探っておきましょう。地雷を踏むことは避けましょう。
 
 そして、避難している間に、計画を練ったり、協力者を探したり、自分の中で戦うための武器(実際の武器ではなくて、強みです)を整えておきましょう。


★ソーシャルサポートを持っていて、うまく使える人。
  ソーシャルサポートとは貴方を助けてくれる人たち・制度のこと。お友達やお知り合いだったり、近くにいる人だったり、専門性を持っている人だったり。勿論、ご家族・ご親族も含まれます。
 「人の力を借りるなんて弱い」と思われると心配される方もいますが、そんなことはありません。昭和世代では「弱い」と言う人がいますね。でも、それは今は通用しません。うまくサポートを借りることは一つのスキルです。成功していると言われる人は、成功の秘訣として誰かへの感謝を語るでしょう。サポートを得ているということです。借りることが心苦しいのなら、借りっぱなしではなく、貴方ご自身も、誰かに力を貸せるようになればいいのです。
 物理的・経済的なサポートだけでなく、上記の、「鳥の目、蟻の目」のような違う視点や、自分が何をできるのかとかは、困難な事態に状態に巻き込まれているほど、自分では見えません。見えていたら。さっさと解決しています。誰か、困難な事態に巻き込まれていない人の視点が必要です。困難な事態に打ちひしがれているときは、本当にあなたの中に眠っている力(宝物)には、目がいかず、場合によってはその宝物を屑と否定して、ないものねだりばかりしていることが多いものです。使い方がわかっておらず、無駄な使い方をしている場合もあります。
 心理学者ルフトさんとインガムさんが考えたアイディアが素になった「ジョハリの窓」というものがあります。貴方と言う人は①貴方も貴方以外の人も知っている貴方②貴方だけが知っていて貴方以外の人は知らない貴方③貴方は気が付いていなくて、貴方以外の人は気が付いている貴方④貴方も貴方以外も気が付いていない貴方という4つの窓に分かれるというものです。④は前意識や深層心理と呼ばれるもので、それを探るのは、精神分析やユング派の心理療法を受けないとなかなか見えてきませんが、③なら、周りの人に聞いたら教えてくれるかもしれません。もちろん、心理職もお手伝いしますよ。
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死にたい、傷つけたいという気持ちは、心のSOS。

2024年09月17日 | 職業
自殺と言う言い方に変えて、自死と言う言い方があります。ここでも、自殺ではなく、自死という表現を使います。

自死する方が増えて、ネットニュースでもトピックとして取り上げられることが多くなりました。
 様々な予防の取り組みが行われています。自治体によっては、保健所や保健センターで、ゲートキーパー(悩んでいる方に寄り添う方)の養成講座を開いたり、パンフレットや講座で、啓発活動を行っていることもあります。一度、受けてみると、様々な気づきが得られると思います。

自死のサインを出している方もいらっしゃれば、まったくサインを出さずに、ある日突然、決行する方もいらっしゃいます。本当に難しい…。
 その、”サインを出していない”とされる方の中に、「ニコニコ笑っていたのに」という方もいらっしゃいます。ニコニコ仮面を被っていたのかもしれません。動物は弱みを見せると攻撃されるので、弱ってくると、かえって体を大きく見せる習性があることもあり、そんな本能が働いていたのかもしれません。そして、感情が動かなくなっている方もニコニコ仮面になりやすいです。喜怒哀楽。感情が動かなくなったなと思ったり、表情が動かなくなったなと思ったら、声をかけていただけたら嬉しいです。

自死。様々なケースがあります。児童・生徒が自死する場合。保護者の方をはじめ、ご親族が、そのような手段を取られる場合。お友達や近しい方がそのような方法を選んでしまった場合。
 特に、保護者やご兄弟など、同居されていたことがあり、日常を共にされていた方、思い出が多い方が亡くなった場合、残された方の人生・生活に大きな影響を与えます。また、心を分かち合うような友や人生に影響を与えてくれた方を亡くした場合も、影響が大きいです。良い関係だけでなく、嬉しくない思い出が多かった方が亡くなっても、影響が大きいです。
 そういう交流がなくても、元々死にたい・消えたいという思いを抱えていた方も、誰かの自死のニュースを聞いて引っ張られてしまうことがありますので、注意が必要です。
 なので、「自分がいなくなった方が、家族が(仲間が)助かる」なんて思いは、打ち消していただきたいです。貴方がいなくなれば、影響はあります。尤も、自死をされようとする時点で、視野狭窄に陥り、「死ぬしかないんだ」と思い込んでいることが多いので、なかなか、他の視点に立つという切り替えができない。そのような柔軟性のない思考状態になったら、要注意です。

 上記のような、大切な方が亡くなれば、感情が揺さぶられ、眠れなくなったり、食欲がなくなったり、ふさぎ込んだり、泣いたりするのは当然の反応です。落ち着かなくなることもあります。他にもいろいろな、いつもと違う反応が起こってくるでしょう。
 たっぷりと喪の作業(哀しみの作業)を行ってしまった方が、立ち直りが早いとも言います。通夜や告別式はそのためにあるという方もいます。亡くなった方の思い出を語りあい、皆で悲しむ。それが供養であり、残された方の明日以降の礎になると。
 でも、ショックすぎて、感情がわかないこともあります。悲しいはずなのに、泣けない。泣けないどころか、笑ってしまう。それも、ショックすぎることがあった時の、よくある反応です。ある程度の年齢で通常な心情なら、本当に心で感じていることはさておいて、その場にふさわしい表情を作ることができます。そういうコントロールもできなくなっているほどのショックを受けているのです。周りの方はギョッとしますが、そういうこともあるのだと、その方が悲しめるようになるまで見守っていただけたらと願います。
 ”死”と言うものが判っていない年齢の子どもも、その場にふさわしくない言動・表情をすることもあります。いつもではない、特別な雰囲気に巻き込まれて、怯えていることもあります。また、”死”を重く受け止めて、親から離れられなくなる等の言動がでることもあります。「死」についてその子なりの理解をゆっくりと聴いてあげるとともに「大丈夫だよ」と受け止めてあげて下さい。

そのような一時的な反応を経て、日常生活に戻っていくことが多いのですが、いつまでも日常生活に戻れなくなっている場合は、ぜひとも、精神科受診か、心理職に相談していただけると嬉しいです。スクールカウンセラーや、自治体によっては、大切な方を亡くした方のグループがある場合もあります。匿名で利用できる電話相談もあります。
 日常生活に戻るというのは、亡くなった方を忘れることではありません。宗教によって、輪廻をはじめとする死生観や死後の在り方は異なるので、ここではそのことには触れませんが、少なくとも、思い出とともに、貴方の心の中には生き続けるはずです。
 良い思い出を思い出せば、寂しさが募るかもしれません。自分に何かできたのではないかと繰り返し考える人もいます。そして、自分が「死ね」と願ったから、死んでしまったのだと思い込んでいる方も少なからずいます。そういう思いを抱えて生きること。それが、例えば、人を助ける職業に就くような昇華をされている場合は、そのままでよいかもしれません。ですが、「幸せになる価値がない」などと思っているのなら、ぜひ、心理職に声をかけて欲しいです。そんなの、私の勝手と思っている方が多いのですが、実は貴方ご自身だけの問題ではないのです。配偶者やご両親やお子様、お友達・恋人等周りにも影響します。周りなんて関係ないという方でも、できれば、貴方ご自身納得のいく人生を送っていただきたいと願います。

 自死するのはどうして?それは、人ぞれぞれ違い、一つのきっかけで自死に踏み切ってしまうこともありますが、踏み切ってしまうまでの要因は様々なことのかけ合わせが複雑に絡み合っているので、このブログで簡単に述べることは差し控えたいと思います。

 自傷。リストカットが有名ですね。頭等体を打ち付ける。危険な行為をする。様々な方法があります。
 これも、そういうことをしたいと思ったことのない人からは、「そんなささいなことで」というきっかけで行うことが多いのですが、そこに至るまでの道は、やはり複雑です。
 「死にたいと思ってやっているわけではない」と言っても、はずみで死ぬ場合もあります。自死するための予行練習の時もあります。当人は無自覚な行為もあります。死ぬことがなくとも、体を傷つけること=心を傷つけることであり、できれば、そんなことがない方が良いのは、やっている本人も含めての願いではないでしょうか。

 このような、自死、自死企図(実際に決行しようとする)、自死念慮(実行まではいかないけれど、そういう思いにとらわれる)、自傷、自傷企図(自傷するための用意とか)、自傷念慮は、心のSOSです。

 そのSOSをキャッチして、専門家に相談する等対応して下さるご家族の方が多いのですが、中には「気がひきたくてやっているのだから、ほっとけ」と言う保護者の方もいらっしゃいます。
 確かに、そういう面もあることはあります。否定はしませんが、それだけではないのです。
 でも、万歩譲って、「気をひくための行為」だとして、気をひくための行為が、自死・自傷というのは、どういうことでしょうか。
 「気をひくための行為」とおっしゃる方には、そこを考えて欲しいのです。命を懸けなければ、自分の体を痛めつけなければ、気をひけない。どのような関係・状況でしょうか?
 一緒に考えさせていただけたら、ありがたいです。
 



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虐待? どう叱る?

2024年09月16日 | 職業
虐待による死亡のニュースが流れます。心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします。

そんなやりきれない結果を一つでも無くすために、様々な活動・施策が行われており、たくさんの人々が努力しています。
 通報の件数もかなりの数となっています。よく言われることですが、虐待そのものが増えたのではなく、関心を持ち、行動する人が増えてきたということです。そして、行政も、まだまだ足りないという人は多いですが、行政なりに受け止めているからこそ、”統計”に現れてきているのです。

「通報」子どもの命と心を求めるためにはとても大切な手段の一つです。
半面、「これって通報されるのではないか?」と、おびえる保護者の方もいらっしゃいます。

何が虐待で、何が躾なのか。簡単なようで意外に難しい問題ですね。

人は、社会で生きていくことが前提となります。
 『デルス・ウザーラ』(映画・本)のように、”社会”には馴染まずに、”森(自然)”の中で生きていく人もいます。その森で生きていく人は、森のルールに従わなければ、生きていけません。
 同じように、社会で生きていくためには、その社会のルールやマナーを学ばなければいけません。その為には躾が必要になります。時には叱らなければなりません。また、子どもは、その子どもにとって大切な人の期待に応えたいのだと以前書きました。その期待に応えさせることが、実は子どもにとって、虐待になっている場合もあります。
 考えれば考えるほど、いろいろなシチュエーションを思い起こすほど、一般的な定義などできない問題です。
 子どもの気質×望み×社会からの要請×ご家族・ご親族の期待の組み合わせによって、変わってきます。

とはいえ、躾なければいけない場合、何に注意しなければいけないのでしょうか?
 指示をしているのに、その通り動かない。よくあることです。
 まず、その指示を子どもが理解しているかを確認してください。
 ★難聴ではないか?
 ★音は聞こえているが、その音を言葉として理解しているか?
 ★カクテルパーティー効果(騒がしい中でも、自分に必要な言葉を聞き分けること)が、働いているか。中には、指示と他の人のおしゃべりと同等のレベルとして捉えて、馬耳東風している子どももいます。
 ★自分への指示の言葉は理解しているが、興味関心が散りやすく、注意散漫で、指示通りに動く前に、他のことが気になって、指示を遂行できていないということはないか。
 ★指示された言葉は聞き取れているが、その意味を理解していない場合も行動には移せません。
 ★意味を理解していても、行動が、その子にとっては難しすぎてできないこともあります。
 ★言葉は聞き取れて、意味も理解し、指示した人が何を期待しているかもわかっているが、その通りにはやりたくないこともあります。これは、子どもが自分の力を試したくて、自分のやり方をやりたいこともあります。また、何らかの感情的なことがあって、やらない、やれない場合もあります。やらないのは反抗とか、感情的な諍いで、相手の指示に従いたくない場合もありますね。やれないのは、不安とか嫌悪とかの感情に書き込まれている場合もあります。
 ★言葉は聞き取れて、意味も理解し、指示した人が何を期待しているかもわかっているが、そもそも、その指示に意味を見出せなくて、指示を無視している場合もあります。
 他にももっといろいろな理由があって、指示に従わない場合もあるでしょう。
 こんな状態の時に、大声で指示に従うようにまくしたてても意味がありません。叩いたり、蹴ったりしても意味がありません。恐れをなして、一時的に指示に従うこともありますが、本当の意味で、躾になってはいません。禍根を残します。そして、親子関係以外でも、人を指示に従わさせようとするときに、大声で怒鳴ったり、暴力による方法をとります。パワハラです。社会で生きていけるように躾けているのに、本末転倒です。
 なので、遠回りしているようですが、上記のような、指示に従えない理由のようなものを探り当て、対処していくことが必要です。
 難聴に関しては、耳鼻科を受診していただけると嬉しいです。年齢によって、把握できる音のレベルが違うという研究が発表されています。保護者の方が把握できていない音をお子様が拾っていて、カクテルパーティ効果がうまく機能していない場合もあります。
 「難聴ではない」けれど、聞き取れていないような場合、心理職に相談してみてください。お子様の困りごとに合わせた心理テストや面談・観察で、心の状態を含めた客観的な状態をして、対応策を検討しましょう。
 勿論、反抗とか感情的な諍い、指示の意味への意見の相違などの場合は、お子様が相談室に来てくれないことも多いです。その場合は、保護者の方だけで十分です。

★叱るときの注意。
  急に大きな声で怒鳴りつけると、子どもがパニックになって、暴れ、泣きわめくことが多いです。そこに、さらに、保護者が大声で指示を出す。虐待を疑われるのではないかと言う修羅場は、こんな感じが多いです。この時に、大声でやりあっても、お互い疲れ、嫌な気持ちが募るだけです。売り言葉に買い言葉。もっと子どもがパニックに陥っているときは、頭も心も真っ白なので、何を言っても入りません。人は大人でも、表情>語気の順で反応し、言葉の内容理解はほんの少しなのだそうです。対処の仕方としては、以前投稿した「暴れる?」をご参照ください。
  そんな事態にならないように、指示を出したいときは警告・警告・ドカンと怒鳴り声の方が良いです。指示を聞き取れていて、意味も理解できていることが前提です。わかっちゃいるけれど、今やっていることが止まらないなどの時に有効です。警告は、できるだけ低い声で穏やかにやってほしい指示をできるだけ短文で伝えます。長いと、そもそも他に気を取られている状態なので、覚えていられません。2回目の警告は、1回目よりドスの聞いた声だと有効です。そんな声出せない場合は、お子様の正面に陣取り、お子様の目を見て警告します。この警告の時点で、指示に従ったら、誉めてあげて下さい。それでも、無視をしたら、ドカンと怒鳴り声です。これも単文です。かえって怖いです。怒鳴りつつも、警告で従えなかった理由は考えて下さい。ひょっとしたら、無理な指示を出していた、お子様なりの理由があったかもしれません。お子様になぜ指示に従えなかったのか、どうしたら従えたのかを聞いて、次回に役立てるのもいいですね。

★子どもが泣き止まないとき。
  なんだかわからないけど、子どもが泣き止まないこともありますね。
  様々な工夫がネットで配信されています。参考になさってください。ただ、これをすればという方法はないようです。〇か月の時に有効だった方法が、成長につれ効かなくなったなんてことはよくあることです。
  心理職からは、こんなこともあるということをお伝えしたいです。保護者の方が、泣きたい感情を我慢していると、お子様がそれに反応して泣き出すことがよくあるのです。お子様が泣き出して、保護者の方が困り切って泣きたくなっているとき、お子様に対して怒りを感じているときも、その保護者の方の泣きたい気持ち・怒っている気持ちに反応して泣いていることもあります。だから、一緒に泣いて発散してしまうか、気持ちを切り替えて、保護者の方の中の泣いている/怒っているインナーチャイルドとお子様を「よしよし」となだめてしまった方が、早く泣き止んだりします。試してみてください。

★「ペアレントトレーニング」と言う方法もあります。
  親が子どもにするトレーニングです。つい、叱ってしまうことが多く、お子様の自尊心が下がって、悪い循環が起きていることが多い状況を変えようという方法です。私が考えたものではなくて、研究会もある、既存の、有効性が立証できている方法です。
  詳しいことはいずれこのブログで説明しようと思いますが、気になる方は、本も出版されていますし、ググれば説明が出てきますので、ご覧ください。
 ここでは、25%ルールを説明します。
 できれば、叱るよりも誉めて育てたい。保護者の方の願いではないでしょうか。でも、褒められるくらいに完璧にできるのを待っていたら、多くのお子様は誉められません。誉められることが少ないと自尊心が下がってしまいます。
 そこで、100%できてから誉めるのではなく、25%でもできていたら誉めるというルールです。何が25%なのか。厳密な規格はありません。指示に従おうとしたとか、失敗してしまった全体像ではなく、一部だけでもうまくいったところを誉めるなどを目安にしていただけたらよいかと思います。尤も、「誉めて、相手(お子様)を動かそう」という意図が見え見えの場合、かえって、「やりたくない」になるので、注意が必要です。

★他にも、「トークンエコノミー法」など、様々な方法が開発されています。

最後に、
「自分は子どもを愛せない」「かわいく思えない」という保護者の方もいらっしゃいます。少なくないです。
 親子にだって相性はあります。親御様にも、「過去」があり、「今」があり、「未来」がある。その中で、お互いいろいろな感情を持って、しかるべきです。親子は親子だけで存在しているのではありません。ご夫婦関係が親子関係に影響を与えている場合もあります。ご親族や地域の方、ママ友・パパ友、勤め先、様々な関係の中で生きています。それぞれの影響の中、本当はこうしたくないのにという言動をとってしまっている場合もあります。
 特に、学生時代から、努力家な方が、完璧主義の罠に陥りやすいです。学業も仕事も、それなりにご自分の工夫や努力でどうにかしてきた。なのに、この目の前の子どもは、自分の思い通りにならない。秒を惜しんでいるときに、癇癪を起す。怒りマックスになりますよね。
 誰かに縋りたいとき、縋ってくる存在。それも子どもゆえですが、鬱陶しい気持ちになるのも人間として当然湧き上がる気持ち。
 お子様が感情の塊で全身で表現するように、
 そんなときのご自分やお子様にだけ、焦点を当てないでください。かわいくて、愛おしい時もあるでしょう。一緒に楽しんでいるときもあるでしょう。泣いたり、笑ったり。様々な場面もあるかと思います。気持ちは変わるのです。もし、変わらない場合は”視野狭窄”に陥っている可能性があります。ケアが必要な状態になっています。
 「自分は子どもを愛せない」「かわいく思えない」気持ちを誰かに吐き出してしまえるといいですね。匿名でかけられる電話相談もあります。
 そして、そんな自分を責めないで。
 そして、お互い、生き延びる術を行いましょう。ご飯を食べて、お風呂に入って、洗濯をして、掃除をして、気持ちよい寝床で寝て。できることからでいいです。誰かにヘルプを出していただけると、嬉しいです。

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学校で話す人がいない…いじめ?!

2024年09月15日 | 職業
学校生活を送るにあたって”お友達”の割合は大きいものです。
 この場合の”お友達”は、気が合って、一緒にいると楽しいという”お友達”だけではありません。
 ”ぼっち”と言うと言葉も、以前よりは受け入れられて、あえて”ぼっち”で過ごす子どももいるようになりましたが、でも、大半は”ぼっち”認定されないように、一緒にいる人を必要とするようです。”ぼっち”には、私的には潔いイメージもあるのですが、まだ、世間が持つイメージである”暗い””友達ができない問題をもつ人”などが付きまとっているようです。

生まれてから、人は人と関わり続けます。
 勿論、最初は世話をしてもらわなければ、生き残れません。
 でも、世話をするー世話をされる以外の関わりも自然発生的に生まれます。
 同じような年齢の子どもが集まると、機嫌がよくなる子、機嫌が悪くなる子、様々です。

遊び方にも発達過程があります。
 2,3歳。お砂場でこのくらいの年齢の子どもが遊んでいるのを見て、お子さんがお砂場に行って遊びだすことはありませんか?先にいる子と一緒に遊ぶのかと思いきや、それぞれ別々にコツコツとお砂場で遊んでいる。不思議ですね。友達と関われない子なのかと心配にもなりますが、先にいる子も黙々と一人で遊んでいる。相手のお子さんが無視するからかしらなんて、気になってしまいます。なのに、ある子がお砂場に飽きて、滑り台に行くと、その場にいた同じような子どもが皆滑り台に行く。でも、そこでも黙々と滑っているだけ。並行遊びと言って、この年齢にはよくある現象なんです。

岡本夏木さんのご著書に、幼稚園だったかで、年少・年中、年長のクラス、それぞれの遊び方の違いを書かれたものがありました。(すみません、書名は確認中です)
 この3年間でも、年少のクラスでは同じことをして楽しんでいるだけなのが、年長になると、この年齢になりに協力して遊びを作り上げるようになるのだそうです。

精神発達についてまとめた心理学者はたくさんいますが、今回は、”ギャングエイジ”、”チャム”について説明します。
 小学校低学年ぐらいまでは、そこにいるお友達と遊びます。まだ、”大人”の影響力が大きく、基本的には、大人の言うとおりにできるようになることに喜びを感じます。お友達も大事ですが、大人の言いつけに逆らってまで、お友達関係を続けるのは難しく、そこで葛藤が生まれます。まだ、自分から見た世界がすべてで、相手の視点に立った見方ができず、お互いの言い分が違い、トラブル仲裁にも事実確認をするのに、手がかかります(これが一般論で、個人差があります)
 ところが、小学校4年生ぐらいから、人が自分をどう見るかという、他者からの視点が育ってきます。そして、大人の影響力と仲間の中の価値観が、バランスを崩しやすく、混乱しやすくなります。小学校の先生方と話していても、多くの先生が、この年代位から、”集団”の”質”が変わってくるとおっしゃいます。”ギャングエイジ”です。Wikiには”同性だけの集団”とありますが、小学校では、男女混合の場合もあります。同性だけになるのは、第2次性徴も関わってきて、小学校高学年くらいでしょうか。高学年になっても、男女混同であることもありますが、それだけで”LGBTQ+”とするのは早計だと思います。この先、どんどん、人間関係は変わってきますので。
 そして、精神科医サリヴァンが説いた、チャム≒親友の存在を求めるようになります。『赤毛のアン』のアンとダイアナのような存在です。お互いに、阿吽の呼吸で応答できるくらいに、気持ちのあった存在。”自分”というものの、現身・分身と言ってもよいくらいの存在です。でも、現実にはそんな存在に出会えること自体が奇跡です。でも、そのような存在を求め、とっかえ、ひっかえ、相手を確かめ合います。この傾向は女子の方が男子より顕著です。だから、小学生高学年から中学生までの友人関係は難しいのです。ぐちゃぐちゃになりやすいのです。本当は高校生くらいまで、否、ママ友の間のトラブルでも、この”チャム”を探してと言うのはありますが、たいていは、高校受験で目の前の勉強に関心が移って、そして高校生では、中学生の時よりもソーシャルスキルが巧みになって、対処の仕方が変わってきます。ちなみに、この時の親密な状態から、LGBTQ+を想像する方もいらっしゃるし、そう自認する方もいらっしゃいます。”同質性”を求めることは、”異質”なものを排除したがる傾向も強くなります。例えば、よくある例では、女の子がお父さんを嫌うのも、この傾向が強くなるためです。古典的文学作品などでは「男性のいない国に行きたい」という女性が出てきたり、男の世界を作り上げようとする”マッチョ”が出てきます。そういう思いに駆られる方総ての性志向がLGBTQ+を通すとは限らないので、様子見が必要かと思います。
 友達トラブルが頻発するこのような傾向は、無用と考える方もいらっしゃいますでしょうか。でも、この、自分にとっての唯一無二の存在を探す経験が、やがて、生涯を共にする配偶者を探すための練習期間という方もいらっしゃいます。しっかりと自分にあったパートナーを見つける練習をしてほしいものです。
 また、『赤毛のアン』のアンとダイアナがそうであったように、お互いに違う部分を見つけても、お互いを”親友”として大切にしあうような成熟に発展していくことが理想ですね。

★「学校で話す人がいないから学校に行きたくない」
  このように、お子様に言われたら、どうしましょう。
  実際に、こう言われた、どうしようと保護者や教員の方が相談にいらっしゃるのは多いです。児童・生徒が来室して、こう言うこともあります。
  すでに投稿したブログにも書きましたように、お一人お一人違うので、マニュアルがあるわけではありません。
 ですが、ある一つのケースを、個人が特定できないように加工して、記したいと思います。ちなみに、このパターンは、細部が違うものの、多いです。

保護者の方が、来室されました。昨今のニュースを見て、「いじめではないか」とも心配されていました。「学校の指導が悪い。訴えることも辞さない」とも。「学校で話す人がいないから学校に行きたくない」と言っているのは、中学1年生のお嬢様でした。Aちゃんとします。
 【過去】元々、Aちゃんは人見知りするほうで、お友達も多くはありません。でも、仲良くなると長続きするタイプです。小学校高学年の女の子のお友達関係は難しいと聞いていて、保護者の方は心配されていましたが、幸い、”アンとダイアナ”のようなお友達を見つけました。Bちゃんとします。
 中学は学区が違い、別れることもありますが、幸い、同じ学校に進学しました。他の小学校からも来て、クラスの数も多くなるので、別々になるのかと心配しましたが、同じクラスになりました。Bちゃんも、Aちゃんと同じクラスになったことを喜んでくれました。Aちゃん親子はこれで安心と喜びました。
 そんな、Aちゃんが、「学校で話す人がいない」と言うのです。どうしたことでしょうか。
 保護者の方と、保護者の方を通してAちゃんの許可を取って、先生方に様子を聞きました。クラスには知らぬふりをして、主に、休み時間に観察に行きました。
 【今】Bちゃんは元々、Aちゃんと比べて、好奇心旺盛で、活発でした。Bちゃんは、他の小学校から来た新しい人とも積極的に交流を深めていました。部活も運動系に入り、委員会活動にも加わっていました。だから、休み時間は、Bちゃんの周りには人が集まっていました。勿論、BちゃんはAちゃんのことも大切です。だから、休み時間に話をするとき、Aちゃんにも声をかけて一緒に輪に入れるように工夫していました。Aちゃんが好きなことを話題にして皆で話ができるようにしていました。Bちゃんの部活が終わるまで、Aちゃんは図書室で待っていて、一緒に帰りました。でも、途中までは部活のメンバーもいます。自然、帰り道の話題は部活関連になり、Aちゃんは面白くありません。Aちゃんは、小学校の時のように、Bちゃんと二人きりで遊びたかったのです。Aちゃんが好きなことを好きな、他の小学校から来た子が、Aちゃんに話を振っても、Aちゃんが思うような応答にならないので、Aちゃんは「話ができない」と思っていました。
  こんな現状が明らかになったら、貴方ならどうしますか?
  Bちゃんに、Aちゃんに合わせろと言うのは酷です。BちゃんはBちゃんなりに、Bちゃんらしさを作っていかなければなりません。
  Aちゃんに、もっと積極的に輪の中に入りなさいと言うのも酷です。もともと人見知りしやすいのですから。
  これが、小学校低学年なら、教員と協力して、教員や私が間に入って、一緒に遊べるように調整していくこともあります。
  小学校中学年や高学年でも、場合によっては、雑談している間に入って、「先生とろ~い」と言われながらも、調整していくこともあります。「先生とろ~い」と言われるのは、この年代の子の話は、とにかく早いのです。略語も含め、私が知らない話もどんどん飛び交い、話題も簡単に移り変わっていきます。彼らは彼らの暗黙の世界があるので、部外者の大人が入っていっても、なかなかついていけません。そこに棹差すことが、話すテンポが遅い子の見本になったり、かえって嫌がられたりするので、”調整”も簡単にいきません。
  でも、Aちゃんは中学生…。
 【未来】数年後には、受験をして進路を決めていきます。同じ高校に進学したとしても、東京都立の全日制の高校なら、7クラス、8クラスは当たり前。同じクラスになる可能性はほとんどありません。ましてや、その先の進路。大学や専門学校。その先の就職。仮に、同じ事業所、同じ部署に行けたとしても、仕事はお友達関係の延長ではありません。いつまでも、Bちゃんにしがみついてはいられないのです。
  そういう未来を説明したうえで、Aちゃんがどうしたいのかを確認しながら、生きるためのスキルを磨いていきます。自分の世界を貫き、”お一人様”で生きていきたいのか。でも、やがては社会に関わらねばなりません。”おひとり様”であるプライドを胸に、人と関わりを持つ方法を身につけなければなりません。そうではなく、皆と一緒にBちゃんと仲良くする方法を見つけるのか。Bちゃん以外のお友達を探すのか。その試行錯誤の中で、Aちゃんが苦手に思っていることは何なのか。妥協できること・できないこと。勿論、目指す方向性は変転してかまいません。試行錯誤とはそういうものです。そして、一つ山を越えると、違った景色が見えて、また、目標は変わるものです。
   先に投稿したブログにも書きましたが、保護者の方の関わりかたも変わってきます。乳幼児から学童期までは、友達の作り方を教えてあげるのも、必要でしょう。前思春期・思春期の頃は、並走。この場合、進路を一緒に考えることも大切です。生まれ持った特性として、人口密度の高い場が苦手な子どももいます。統制の取れていないガチャガチャした環境が苦手な子どももいます。公立学校は、いろいろな子どもが来ることが多いので、比較的、騒がしいです。東京ですと、公立・私立の違いだけでなく、小学校・中学校ではフリースクール・高校ではサポート校や通信制等、ある程度は選べます。私立は高いですが、奨学金等が使えるところもあります。人になれないと就職した時のことを心配される保護者の方も多いです。大企業は福利厚生は確立していますが、中小企業や零細企業等、お子様のお良さを活かせるところを探すのも手です。そのためにも、この友達トラブルをきっかけとして、お子様の対人関係の癖を見直すことが肝要です。大企業は部署替えも多く、変化に対応できる人の方が生き残りやすいです。人間関係の変わりやすさにも慣れることができるのか。”お一人様”のプライドを胸に、”学校””職場”だけの人間関係に対応する術を身に着けておくことも、将来のためになるのではないでしょうか。そして、青年期からそれ以降。中年期になっても親の手助けを必要とすることはあると思いますが、あくまで、バックを守ることで、このくらいになるお子様の人生の主人公はお子様です。

ところで、今、いろいろなニュースが流れる中、保護者の方の学校への信頼度が低くなっているように感じます。
 私がスクールカウンセラーを始めた頃は、教員に不信感を持っていても、保護者はまず、管理職(校長先生・副校長先生/教頭先生)やスクールカウンセラーのところに相談に来て、それで埒が明かなければ、教育委員会に行ったケースが多いです。でも、今はいきなり教育委員会。
 確かに、ニュース報道を見ていると心配になりますね。
 勿論、不適切な対応の場合は、改善を要求しなければなりません。
 でも、上記のように、初めから訴えることを前提にすると不利です。
 お子様はどこに戻っていくのでしょう?もめた学校に戻ることがどんな影響をお子様にあるのでしょうか?
 文句を言うなと言っているわけではありません。お子様がSOSを出しているから、学校ができること、保護者ができることを話したいと、協力を求める言い方で来て下さると、お互いやりやすいのではないでしょうか。
 そのうえで、学校と言う場が、お子様に合わないことがはっきりするかもしれません。転校する方もいらっしゃいますが、どういうところが合うのかを吟味せずに転校すると同じことを繰り返しやすいです。
 ひょっとしたら、学校との協力で、お子様が学校に戻り、楽しい思い出を作り、卒業されるかもしれません。
 ”学校”と言っても、いろいろな教員の集まりです。合わない教員もいれば、味方になりたいと思っている教員もいるかもしれません。スクールカウンセラーも同じです。
 というような協力ができない場合、それから教育委員会に行っても、弁護士を立てても良いのではないのでしょうか。
 
 

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