不登校状態となっている児童・生徒が増えた!という記事が流れています。
正直、私がスクールカウンセラーとして担当していた地域の特性か、スクールカウンセラーとして働き始めた頃から比べると、その頃からクラスに2、3人であったので、今更増えたような気はしないのですが、お子さんや保護者の方の感覚・意識が、コロナ禍を境にして変わったような気がしています。
コロナ禍でステイホームに慣れてしまった児童・生徒が多くなったような気もします。あの頃は、学校に行っても様々なことが禁止、もしくは中止となりました。一番警戒感が強かった時には友達とのおしゃべりさえも禁止されていました。そんな状態を強いられた子どもたちが、学校なんて面倒くさいと、自らの居場所を探し見つけて、学校に魅力を感じなくなったような気がします。「勉強なら家でやっている。なぜ学校に行かなければいけないのか」不登校状態のお子様に何度言われたことでしょう。そして、コロナ禍では、それがスタンダードになり、家で学習するためのサービスが充実してきました。益々、「登校しなさい」と、叱りづらくなっています。
大人世代でも、学校不要論を唱える方が増えました。電車の中で流れるショートムービーでそんな主張をみた衝撃を今でも覚えています。とはいえ、保護者の方が、以前ほど登校を強く促せないのは、「追い詰めて、自殺でもされたらどうしよう」という不安ではないでしょうか。自殺されるくらいなら、不登校状態を認めた方が良い。フリースクールやサポート校など、受け入れてくれるところはあるのだからという思いでいらっしゃるのではないでしょうか。
学校に行くか、行かないか。難しい判断です。
不登校状態から引きこもりになることがあると聞きます。8050問題も頭をかすめます。反対に、一時期不登校状態であっても、自分らしい生き方を見つけたという話も聞きます。
その分かれ目は、何が違うのでしょうか。
その答えは、一人一人の中にあります。
前回の記事の中で、「過剰適応が続いており、もう続けられなくなった。受験などが控え、将来が不安になった。精神が発達したことにより、バランスが崩れ、今までのようには行けなくなった…。ホルモンバランスの変化により、今までのようには行けなくなった」などの例えを書きました。
そう、過去を振り返り、未来を見て、今を考えて、結論を出さねばなりません。
過去を振り返る。意外に難しいです。
場合によっては、生まれる前のことから伺うこともあります。そのお子様は、ご両親やご親戚からどんな期待を背負って生まれてきたのでしょう?歩き始め、初めての言葉。保育園?幼稚園?おじいさまやおばあさまに育てられたお子様もいらっしゃいます。どんな遊びを好んだのでしょう。そして、今中学生なら小学校では?今高校生なら中学校では?
最近は、ご両親が、お子様の顔を見るのは寝顔だけという場合もありますね。そうすると、お子様に関わってくれていた方々の話を聞かなければなりません。
写真や、ホームビデオ、スマホの動画、母子手帳(赤ちゃん手帳)や、園の連絡帳などを持ってきていただいて、お話を聞くこともあります。たいていは、ご兄弟のエピソードが混乱していることや、他のことで手いっぱいで覚えていらっしゃらないとおっしゃっていたのが、時間をかけてお話をしているうちに、だんだんと思い出してくださることが多いです。完璧に覚えているとおっしゃっていた方が、他のエピソードを思い出される場合もあります。
そんな話を隣で聞いているお子様の表情の変化。花開くように変わっていったり、反対に苦しくなったりすることもあります。(勿論、心理の専門家が話を聞いているのなら、苦しいだけのお話にはしません)
そんなやり取りの中に、解決に向けての、大きな種が隠れていることが多いです。
未来を見る。これもまた、難しいです。
引かれたレールに息苦しさを感じているお子様もいらっしゃいます。保護者の方としたら、お子様の将来を考えてプランニングしたのですが。プランを一緒に建て直さないといけないのですが、そのすり合わせが難しい。
反対に、まったくノープランで、どうしたらよいのか不安になって動けなくなっているお子様もいらっしゃいます。「子どもの意思を尊重したい」という思いから「あなたが決めていいのよ」と言われるお子様もいらっしゃいます。でも、お子様はまだ白紙の状態。決めようにも、何を手掛かりに、何をどうすればいいのかわかりません。一人では決めかねるのが一般的です。どうお子様の意思を尊重しながら、どう手助けしたらよいのかが難しい。
お子様がやりたいことを持っていても、大人としたら認められない場合も多いです。「YouTubeで稼ぐ」と言われても、「そんなことで食べていけるわけない」と思うのが大人の多くの反応ではないでしょうか?スポーツどころか運動もしていないのに、「サッカー選手になる」と言われても、です。これらは極端ですが、微妙な差異をどうすり合わせるかが難しい。
そんな将来のことだけではなく、部長をやりたいけれど勉強も等、様々な不安があります。9月~12月は行事が多い学校が多いです。初めての体験が続く時期でもあります。
お子様はどんな不安を抱えていますか?
今を考える。
”今”の状態を把握することから始めて下さい。
眠れていますか?時間よりも、起きた時にすっきりしているかを目安にしましょう。
食欲はいかがですか?食べすぎも、食べなさすぎも心配です。
ご家族との関係はいかがですか?意見や気持ちが食い違うことが多いと、気持ちの良い挨拶ができなくなりますね。極端な場合、部屋に引きこもって誰とも顔を合わさないことや、家に帰ってこないことも。
お友達との関係はどうですか?お友達と言っても、学校だけの付き合いではありません。ネット上でのお友達が一番心許せる友だというお子様もいらっしゃいます。ネット上の知り合いというと、危険なニュースばかりを耳にすることが多いので、禁止したくなりますが、心許せる友達を否定されることも心傷つく種ですので難しいところです。そのお友達が、お子様を騙そうとしているのかいないのか、どう確かめるのか、難しいところです。ちなみに、不登校状態になり、ネット上での友達しかいなかった方が、そのネット上の友達の助言を受けて、自分の人生を考え始めたというケースは山ほどあります。大人の助言は嘘くさく感じていても、同じような経験をし、一緒に楽しんだ人の助言なら聞くに値すると思うようです。そして、同じような経験をし、不登校状態から抜け出した人が、混ざっていることもあります。一概に、否定はしないでください。でも、確かに、悪人はいますので、警戒心も無くさないでください。また、本や映画・音楽・絵画・ゲームの中に”親友”がいることもあります。真剣に芸術を鑑賞するとき、そこに、芸術や作者との対話が生まれます。純文学だけでなく、漫画やアニメーションだって同じ効果があります。漫画やアニメーションが、人生のバイブルという方は多いでしょう?
お子様がどう思っているのかも大事です。行きたいけれど行けないのか。行きたくないのか。行きたくないのならその理由。こんなに簡単に割り切れるものではなく、この3つの気持ちがグルグルしていることが多いです。
そして、何より大切なのは、自尊心の状態。傷つき、家に籠りたくなるような場合、自尊心が傷ついています。自尊心がニュートラルな状態でなければ、自分を良い方向に導くように考えることも、決定して行動することもできません。何かのきっかけや事件があるならそのことについて対処していくこともできるでしょう。でも、意外に多いのは、日々心をすり減らして、ご自身にもわかっていない場合。また、こんなことで傷ついてと否定している場合。周りもこんなことでと思っている場合が多いです。
勿論、最終的には、その傷を増やさないような方法を考える必要がありますが、とりあえずは、その傷を癒さねばなりません。人によって方法は違います。ひたすら寝ることが必要な方もいます。食べることを大切にしなければならない方もいます。そして、遊ぶこと。誰かと”楽しい”と思える時間を分かち合うこと。
”遊ぶ”ことに関して、日本人は否定的ですね。「学校にも行っていないのに、遊ぶなんて」何度聞かされたでしょうか?登校しないという悪いことをしているのだから、牢獄の中に閉じ込めて、使役しなければいけないのでしょうか?でも、子どもと大人の”遊び”の意味は全く違うのです。大人が”遊ぶ”時、本業の中の息抜きが多いでしょうか。本業=やらなければ生活が成り立たないこと。大人になれば、いろいろなシーンでの責任を負っています。仕事への責任、家族への責任。お疲れ様です。そんな疲れた状態をリフレッシュするものが”遊び”ですね。そう考えれば、大人化して学校や様々なシーンで頑張って力尽きたお子様にも、リフレッシュが必要なことはご理解いただけると思います。大人化した子どもの中には、企業戦士化した子どももたくさんいますからね。ただ、リフレッシュ以外にも意味があります。子どもの専門家を名乗る方のほとんどは、「遊びは学び」と言います。遊んでいる中で、子どもは授業の中で学べないことをたくさん学んでいるのです。自分の思い通りにならなかったときの対処法とか。思わぬ発想が浮かんでくる時も遊んでいるときが多いですね。自分らしさを見つけるのも、遊んでいるときです。そうやって自分で自分に課したものをクリアした時、自信が生まれ、自尊心が心の中で輝きだします。
だから、お子様が遊んでいるときの状態にも目を配ってほしいのです。心が傷ついているときは、乱暴で、あえて傷をつけたがっているような遊びをします。ゲームでも相手をやり込めたり、いじわるしたり、ズルをしたり、暴言もあるでしょう。他の遊びでも似たようなものです。心が動いていないときには、ゲームをやっていても、ボーとしています。のめりこむことも興奮することもせずに、繰り返します。見たくもないTVを時間つぶしに見ている状態です。だったら、やらなくてもと思うのですが、何もしないとネガティブな思いが湧き上がってくるので、やらないよりやっていた方がマシなのです。でも、本当に楽しんでやっているとき。お子様がどんな表情をするかご存じですか?大抵は、頬が紅潮して、目がキラキラしています。こういう表情をするようになれば、動き出す日は近いです。
お子様が不登校になった時、相談に応じる心理の専門家は、保護者の方にも相談にいらっしゃることを求めます。
「不登校になっているのは子どもなのだから、その子が来なければ解決しないんじゃないの?」と言われることがよくあります。
でも、実際は、保護者の方だけが相談にいらして、お子様は一度も相談室に姿を見せないでお子様が動き出すことが多いです。保護者の方が通っているところを見たいと言って最後に来て下さることもあります。
お子様がご自分の意思で最初から来室するのは珍しいです。上にも書いたように、お子様は自尊心が下がり、自分には何もできないと思っていることが多いです。もしくは大人への反発もあるかもしれません。どうせ説教されるに決まっている、行けと言われても行けない。行けるならとうに行っている。
お子様も一緒に来てくれれば、何も語らなくとも、その佇まいで、その気持ちを察することができるのでありがたいですが、無理強いして、心の傷を増やすことも気が進みません。
なので、保護者の方にご協力を求めるのです。保護者の方に面談をとお誘いすると、「私たちの子育てが間違っているのか?」とお怒りになる方も多いです。
でも、上に書いたようなことは、身近にいらっしゃる方に聞かないとわからないことも多いです。そして、お子さん自身が気が付かないことをご家族の方が気が付いていることもあります。一緒にお話ししているうちに、思い出したり、気がついたり、違う見方をされるようになったりします。
そして、もう一つ大切なことは、精神発達です。人は、生まれてから、乳幼児期・児童期・前思春期・思春期・青年期・成人前期・成人後期・高齢期と発達していきます。それは、お子様一人ではなく、ご両親も、ご兄弟も、同居されている他のご親族もです。かつ、家族にも、家族ライフサイクルがあります。その掛け合わせの中で、保護者の役割は変わってきます。乳幼児期~児童期は保護者がイニシアティブをとって、お子様を”導く”やり方が主導です。でも、前思春期・思春期になれば、自律・自立に向けて、保護者の方とお子様が並走するやり方が必要になります。青年期以降は、保護者はゴールキーパーでしょうか。お子様が一人でやるのを見守り、困っていたら手を出す程度くらいがちょうどよいのではないでしょうか。ずっと青年期以降になっても、保護者の方が全て決めて主導していたら、昔のTVドラマの登場人物の冬彦さんになってしまいます。でも、多くの保護者の方は、このことを頭で分かっていても、心の中のお子様はいつまでも乳幼児期。ましては、不登校の状態になると、親が何とかしなければと思い、関わりを多くしてしまいます。お気持ちは共感するものの、お子様が自立に向けて、どの程度手をかけるか、手を放すかは、外からみていないと見えなくなるものです。そのあたりを、臨床心理学の知見に基づき、提案させていただくことはあります。
不登校から抜け出すための、マニュアルがあると良いのですが、あなたがこの世でたった一人であるように、お子様もこの世にたった一人。役立つ臨床心理学の知見はあるものの、それをいつ、どのように使うかはあくまでオーダーメイドなのです。