ぱんどらのへや

ちょっとした子育てに役立つ話を紹介していこうと思います。

不登校状態のお子様とのやりとりを絵本にまとめました。

2024年09月23日 | 職業


 臨床心理士・公認心理師等の資格を取得する前に、治療的家庭教師としてお会いしていた不登校状態のお子様との思い出をまとめました。
 何人かのお子様とのエピソードや言葉を基本にして、個人が特定できないようにしてあります。
 絵を担当してくださった、せきぐちみほさんのやさしい絵が、私の周りでは人気です。
 自費出版なので、基本書店には並んでおりません。図書館等にリクエストしていただいて、手に取っていただき、お気に召したら、お手元に置いていただけると嬉しいです。
 図書館・書店に以下の情報(特にISBNナンバー)を伝えいただければ、司書や本屋さんはわかります。取り寄せて下さいます。また、アマゾン、紀伊国屋書店ウェブストア、タワーレコード、楽天ブックス等で購入可能です。
 書名『待ち時間』 文:やまもとふさえ 絵:せきぐちみほ 出版社:文芸社 ISBN:978-4-286-28006-6 1,100円+税


【制作裏話】
 本を制作するのは、2回目です。部活で作った同人誌や、院で学んでいた時に、大学の紀要を編集したことを加えれば、もう少し多くなります。
 前回本を作成した時は、編集グループに加わっていましたし、同人誌や大学の紀要も、仲間とわいわいやりながらの製作でした。 
 今回も、編集者やイラストレーターの方と、いろいろ意見を交わしながら、制作していくのだと思っていました。
 ですが、今回は違いました。編集者と私、編集者とイラストレーターの方というやり取りで、私は最後まで、イラストを担当してくださったせきぐちさまとお会いするどころか、お顔も、お声も知りません。
 せきぐちさまは、私の拙い文に、素敵な絵をつけて下さって、感謝しています。物語がより豊かになったと思います。
 それでも、編集者を間に挟んだやり取りで、もどかしい思いもしていました。
 「読字障害の方にも、少しは読みやすいレイアウトにしたい」「色の見え方が異なる方々にもわかるようにしたい」と編集者に伝えたのですが、「字を大きくしましょう」などと頓珍漢な答えが返ってきて困りました。説明したのですが、解ったふりをされてしまいました。返ってくる言葉をきけば、解ってくださったかはわかります。顔を突きあわせていれば、せきぐちさまにイメージの見本をお見せすることもできたのですが、それは編集者に断られました。それで、私なりに、「文と文の間を空けて下さい」など指示をしました。最初に見本としていただいたせきぐちさまのイラストはきれいなグラデーションで心安らぐものでしたが、あえて縁取りをしてもらいました。紙質は変えられませんでした。
 実際、そのような特性を抱えている方にとってはいかがでしょうか。改めて、”マス”への合理的配慮の難しさを思い知った次第です。

 他にも、直接お会いできない中でのやり取りで難しいと思ったことがありますが、今回は≪共同注視≫について記したいと思います。

 絵本の中に、二人が虹を見つけるシーンがあるのですが、そこに添えられている絵は、二人が見つめあって笑っているようにしていただきました。
 でも、最初にせきぐちさまが描いてきてくださったのは、二人で虹を見ている絵でした。「見つめあうように描き直してください」とお願いすると、編集者から、それは「変だ」と答えが返ってきました。それでも、描き直すようにと伝えると、せきぐちさまが「変だ」と言っているとの答え。それでも、描き直してもらいましたら、今度は校正者から「おかしい」という指摘をいただきました。でも、ここは譲れません。見つめあっている絵にしていただきました。絵本をご覧になった方の中にも、「おかしい」と思った方がいらっしゃるかと思います。

 こだわったのは、≪共同注視≫のシーンにしたかったのです。
 ≪共同注視≫とは何か。要は二人で同じ感情を共有して確かめ合っていることです。
 例えば、一語文が出始めた幼児が、犬を見つけて、覚えかけの「わんわん」と言って指を差し、幼児にとって大切な年長者(ご両親様、祖父母様等)を振り返る。その振り返ったお子様の顔を見て、満面の笑顔で「そうね、わんわんいたね」と返すと、お子様も満面の笑顔になる。その時、お子様は「これは”わんわん”でいいんだ」と確信を持てた喜びと、犬を見つけた喜びを大切な年長者様と分かちあえた喜びで、自信を持ち満面の笑顔になります。次に犬を見つけた時は、その喜びが再体験できるものと確信して、見つけたとたんに、「わんわん」と言って、満面の笑顔で大切な年長者を振り返ります。そこで同じ体験ができれば、確信はより強固となり、自信にあふれかえります。喜びや怖れ、苦しみを、大切な方と共有でき、同じ言葉で分かち合うことで、言葉を始めとする様々なことを体得してゆくのです。子どもは学んでいることを、確実にものにするまで、繰り返します。なので、面倒くさくなっても、何かを発見した喜びをお子様が表現しているときは、笑顔で返していただきたいです。
 幼児だけではありません。授業中でも、思春期前なら、うまくいったとき、
授業参観なら、後ろにいらっしゃる保護者の方を向いて喜びを分かち合うシーンはどこでも起こります。
 大人でも分かち合うでしょう。例えば、野球場。応援しているチームの、ホームランのバットの軽快な音が聞こえた時、そのボールの行き先を確かめた後、親しい人と目を合わせ、喜びを分かち合うことはありませんか?一人で来ていて、知らぬ人と目を合わせてしまって気まずい思いをしたことはありませんか?知らぬ人でも、同じチームを応援している仲間として喜びを分かち合った後、急激に親しくなったような気になることはありませんか?
 それこそ、喜びは倍に、悲しみは半分にです。お互い、瞬時ででも視線を交わし、お互いの想いを確認するのです。

 この絵本の主人公は失敗を皆に笑われて、皆に裏切られたような気持になっていました。そこにやってきた治療的家庭教師が主人公の気持ちを理解し、喜びは倍に、悲しみは半分にという状態になったところだったのです。だから、このシーンは≪共同注視≫している絵にしたかったのです。

 ≪共同注視≫は、人との関係においても、学びにおいても、自分に確信を持てるようになるためにも、とても、大切なことです。もし、お子様が≪共同注視≫していなかった、今、そういう相手がいないようでしたら、お近くの心理職か、児童精神科に相談に行っていただけたらと願います。ギャングエイジ以降は、共有する相手は広がります。友達・仲間・恋人、先生…。気持ちを分かち合える誰かがいれば大丈夫です。


【治療的家庭教師】
 この絵本のご家族のように、「学校に行っていなくとも勉強は」と考えるご家族やご本人は多いです。塾に行くこともあれば、家庭教師を雇う場合もあります。最近は、動画で授業を配信というものも多くなりました。オンラインで授業してくれるところもあるようですね。昔ながらの通信教育もあります。
 大手塾の中には、不登校状態にある方を対象にしたメニューを揃えているところもあるようです。個人経営でも、登校していた頃に通っていたご縁でというところもありました。塾も、授業形式から、先生1人に対して、児童・生徒が2,3人とか、寺子屋形式のものもあるようです。フルースクールやサポート校でも行っているところはあるようです。
 塾は特に、その塾独自のメソッドがあります。上記のどの方法でも、不登校ご本人に合うやり方が良いのではないかと思います。勿論、特性、エネルギー状態も含めたレディネス、未来をご本人がどう考えているかによってです。エネルギーの枯渇した時期では無理でも、充填してきて動き出すレディネスが整ってきたら、何らかの形で学習を始めるということもありますので、一度ダメだったからと言って諦めないでください。様子を見守っていてください。
 ところで、上記の家庭教師等は、学習習得を目的としたものです。
 治療的家庭教師は、学習習得も視野に入れますが、現状を変えることを主眼にしています。この絵本の主人公で言えば、ご両親は「勉強を」と言っていますが、「心を閉ざした主人公への働きかけを」と、契約の時に話をしています。だから、勉強だけでなく、一緒に遊んでいるのです。勉強したご褒美に遊ぶ家庭教師もいますが、そこをちゃんと契約時に保護者の方と話しておかないと、「遊んでばかりいて!」と契約を切られてしまいます。この主人公に関しては、「人とつながりたい気持ちを取り戻す」ことによって学校へ戻れるようにと関わりました。小学校低学年の場合は、半分保育士の代わりだったこともあります。外にでることができなくなった子は、外に出る援助をと、その子が行きたいと言った映画に同行したこともありました。でも、緊張があまりにも強くて、関わり方の方針・目標を変えようと話をしたこともあります。
 治療的家庭教師は、多くは、学生・院生です。親や先生のような縦の関係ではなく、同年齢の横の関係ではなく、ちょうど中間の斜めの関係です。それが程よい効果を与えることもあります。治療的家庭教師を志望する方は不登校という状態に関心を持っている方が多いので、心理・福祉や教育を学んでいる学生が多いです。まったく関係ない学部の学生もいます。この経験をもとに、心理・福祉・教育に興味を持つこともあります。
 子ども家庭支援センターや児童相談所、教育相談センターなどが制度として治療的家庭教師を派遣している自治体もあります。心理職・福祉職・教員養成機関を持っている大学で対応してくれているところもあります。勿論、身近な方に頼んでも良いと思います。ですが、不登校の問題はセンシティブで、場合によっては双方負担が大きくなることもあるので、治療的家庭教師がスーパービジョンを受けられる体制を作っておくことが大切と私は思います。「治療的家庭教師が、知らない人に相談すると、我が家のことが筒抜けに」とご心配になる方もいらっしゃるかと思います。心理・福祉は守秘義務を倫理として掲げています。教育領域も、個人情報保護の観点をお持ちです。契約時に確認しておくことがよいかと思います。
 
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知能検査について気を付けていただきたいこと

2024年09月21日 | 職業
心理職が行う心理テストにはいろいろなものがあります。
その中でも、馴染みやすいのは知能テストではないでしょうか。

様々なテストが開発されていますが、比較的日本でよく使われているのは、ウェクスラー式とビネー式だと思います。
 ウェクスラー式は、言語理解・知覚推理・ワーキングメモリー・処理速度という4つの指標も出て、より詳しく、その人の強みと弱みが判ります。なので、教育領域で使われることが多いです。2005年版「田中ビネー知能検査Ⅴ」では、結晶性・流動性・記憶・論理推理という4つの指標も出るようになりました。「改訂版鈴木ビネー知能検査」もあります。

【対象年齢】
 「ウェクスラー式」はWAIS(正式名称が長いので、ウェイスと略しています)、WISC(正式名称が長いので、ウィスクと略しています)、WPPSI(正式名称が長いので、ウェプシと略しています)の三つに分かれます。
  WAISは高校生以上の成人。
  WISCは小学生・中学生。 
  WPPSIは幼児(3歳10か月~7歳1か月)
 2005年版「田中ビネー知能検査Ⅴ」は2歳から成人まで。
 「改訂版鈴木ビネー知能検査」は2歳から18歳まで。
ですが、乳幼児の場合、大人からの聞き取りやチェックするタイプのテストもあります。また「新版K式発達検査」(適用は0歳~成人)を使うこともあります。
 調べたいことに合わせて、テストを受ける方に合わせて、検査を選ぶことが建て前ですが、検査者(テスター)が熟練している検査を使うことが多いです。
 
 どの心理検査も、その検査がはかろうと意図している側面の評価が出てきます。なので、心理状態をはかるテスト等と、幾つかの心理テストを組み合わせ、ふだんの様子も聞き取り、総合的にアセスメントしなければならないと、私は訓練されました。鬱状態や、投げやりになっていて、実力が発揮できない場合に、知能テストの数値だけで決めつけられてはたまりません。
 とはいえ、受けるテストが多いと、それだけ時間がかかり、何度も来室していただかなければなりません。なので、特に教育領域では、知能テストだけと言うことが多いです。
 知能テストは、他の心理テストに比べて、マニュアル通りにすれば、とりあえずの数値は出ます。知能テストを制作・販売している機関は、スーパーヴィジョンを受けながら、そのテストに精通することを求めています。数値だけで判断してはいけません。例えば、同じ数値でも、答えた答えはすべて正解でも、慎重すぎて答えた数が少ないのと、答えた数は多くても、ミスが多くて正解が少ないのと、同じ正答数でも、意味づけは違います。
 認知心理学・発達心理学・臨床心理学等の心理学の知見に詳しく、そのテストに精通しているテスターは、上記の投げやりや態度やエネルギーがなく実力が発揮できない等、マニュアルにない部分、数値だけでなく、答え方の癖なども様子も、心理学の知見を素に、その方らしさ、強み・弱みをアセスメントします。受ける方・知りたい情報によって、テストを選ぶことが建て前と上に書きましたが、すべてのテストを平均的に習得するよりも、一つのテストに熟練して言う方が、より豊かなアセスメントができます。
 ところで、心理テストと言っても、話のネタのようなものから、精神鑑定に使われるものまで、様々です。ここでご紹介したテスト「田中ビネー式知能テスト」「鈴木式ビネー式知能テスト」「ウェクスラー式(WAIS・WISC・WPPSI)」「新版K式発達テスト」等は、万単位の方々にご協力いただいて、”標準化”という作業を行い、学会や研究会等で研究を重ねて、正確性を突き詰めていますので、テスト自体の信頼性は高いです。解釈の精度の違いは多少ありますが。

【どんなことがわかるのか】
 はっきり言って、知的なレベルをはかるテストです。
 その子の知的なレベルに合わせて、学習内容や学習の仕方を変えた方が良いという視点から、ビネー氏とシモン氏が「ビネー知能検査」を作ったのか始まりです。
 学ぶには、その子のレディネスが整っているかが重要です。まったくレディネスが整っていない場合に学ばせようとしても、教える方も、教わる方も苦労するだけです。レディネスが芽生えているけれど、うまくいかない場合は、コツをその子ができるような工夫をして、できるようにしたら、子どもは学びたがります。コツをつかんだら、子どもがどんどん学びたがります。そのレディネスも知的・精神的発達の段階に合わせないと、お互い不幸になるのです。
 昔、放送大学の講義で聞いた話ですが、初等教育は、自然発生的に、どの地域・文化でも、大体5歳から7歳から始まるのだそうです。小学校入学は6歳ですね。昔はお稽古事は6歳(数え年なので5歳)の6月6日に始まることになっていました。家庭以外の場で、家族以外の方の指示に従って、集団の中で学ぶというレディネスが整うのが、小学校入学の頃で、それ以前はその準備が整っておらず、家庭の中で個別対応での躾の段階なのだそうです。
 ピアジェ氏は発達を①感覚運動期、②前操作期、③具体的操作期、④形式的操作期というように分けました。③具体的操作期と言うのは、具体的なものを手掛かりに考える段階ということです。算数で「🍎が幾つと梨が幾つで」とか、ブロックを使って”四則演算”を理解することです。”生活科”として、植物を手に取って観察したり、地域のお店を訪問して、具体的に身体全体を使って学ぶというやり方が多いのは、このレディネスの段階だからで、この年代の発達に合っているやり方なのです。④形式的操作期(11歳前後~)に入ると、目の前に具体的なものがなくとも、頭の中で考えることができるようになります。学校の勉強も、小4・5年から分数の掛け算・割り算や、三権分立等、頭の中でのイメージが必要なものが増えてきます。勿論、先生は図形、星座や原子などのモデルを作って説明し、より具体的にイメージしやすくしていますが。頭の中で考えられる段階というレディネスが必要になるのです。
 ところが、子どもが全員、このような発達を遂げればよいのですが、知的障碍者の手帳をいただけるレベルのお子さんでは、④形式的操作期のレディネスが整わないなどが起こります。頭の中でイメージできず、理解できず、授業に参加し続けている苦痛はいかばかりか。「できない」「解らない」「授業がつまらない」と言う思いを抱え、自分自身の強み・良さが見えなくなってくる子もいます。

 勿論、知能検査はそのようなレベルをはかるだけではありません。
 前回投稿した「発達障害」の時に、私は音韻把握が苦手で、工夫をしていると書きました。その自分の特性に気が付いたのは、このWAISを受けた時です。他にもいろいろ自分の特徴(特性)に気が付きました。児童・生徒の時代に受けていたら、自分の人生変わっていたのではないかと思うほどの衝撃でした。
 自分が良い思いをしたので、つい「このカレー美味しいよ」のノリで、知能テスト被検を勧めてしまって、苦笑されています。

 お勧めすると、どんなことをやるのかという質問をいただきます。
 具体的な内容をお伝えすることはできません。カンニングになってしまいますので。
 受けた方/子どもの感想をお伝えすると、「クイズやゲームみたいで面白かった、またやりたい」と言う子どもいます。それでも、”テスト”であり、何らかの”結果”が出るので、「緊張した」「嫌だった」という子もいます。
 こんなお子さんもいらっしゃいました。不登校で、家ではオンラインゲーム三昧です。保護者の方が「勉強しなさい」と叱っても、馬耳東風です。保護者の方は「さぼり」と断定、憤慨していらっしゃいました。いろいろ経て、そのお子さんが知能テストを受けることになりました(私以外の方がテストしてくださいました)。適当な答えでさっさと終わらすのかと思いきや、目安の時間の3倍かけて全部やり切りました。通常、1時間以上かかるときは、疲れによるパフォーマンスの低下を防ぐために、後日続きをとすることが多いです。でも、今回、ご当人が続けて頑張ることを望み、あまりにも真剣に取り組んでいるので、最後までやったとテスターがフィードバックしてくれました。そして、やり終えた後、そのお子さんが「俺だって、時間をかけてやればできるんだ」とつぶやいたとも。それを聞いて、ハッとしました。このお子さんはさぼりたくてさぼっていたのでしょうか?この知能検査の所見を素に、家以外の場面で、どううまくいかなかったのか、どうやったら達成感を得られるようなことができるのか。対策を立て直しました。まずは達成感を得られるようなことから、スモールステップで初めました。少しずつ、自分が困っている場面を教えてくれるようになり、その子なりのチャレンジをするようになりました。
 このように、子どもが自信を持てるきっかけを探す手掛かりにもなることがあるのです。

【どこで受けられるのか】
 手帳取得の為なら、児童相談所です。
 東京都の予算で働いている公立学校のスクールカウンセラーは、学校内で児童・生徒の心理テストを取ってはいけないことになっています。自治体によって違うようです。
 自治体には教育相談室/所/センターがあることが多いです。そこで受けることができることもあります。たいていの教育相談は、「テストを受けたい」と言っても、まずはその機関の心理職と話をして、必要と思われれば、受けることができるというのが、多いです。
 学校のスクールカウンセラーや特別支援教育関係の教員・コーディネーター、担任に訊いてみるのも一つの方法です。学校独自に、知能検査請け負ってくれる方を雇っていた学校もありました。
 あとは『日本臨床心理士会』のHPに、『臨床心理士に出会うには』があります。クリックすると、通いたい地域や、求めているサービスなどで絞り、検索すると、機関が出てきます。すべての開業・医療機関が登録しているわけではありませんので、ヒットしないこともありますが、チェックしてみるのも一つの方法だと思います。
 公認心理師・臨床心理士養成を担っている大学の心理相談室で受けてくれる場合もあります。教授のスーパービジョンを受けながら、公認心理師・臨床心理士を目指している方がテスターとなることが多いので、割安です。大学のHPでご確認ください。
 テスターはテストを受ける方と知り合いじゃない方が正確な数値が出ます。ふだんからの知り合いがテストすると、お互い甘えが出てしまい、正確な数値とならない場合があります。 

【テスト結果の活用】
 数値だけをフィードバックされることはほとんどないです。4つの指標や、答え方等についてもアセスメントして、”所見”という形でフィードバックしてくれることがほとんどです。
 お子様ご本人が自分も聴きたいと言った時に、お子様ご本人が判るような言葉で所見をまとめてフィードバックしてくれるところもありました。どのようにフィードバックをするか話し合ってください。テスターが学校を訪問して、保護者の許可を得て、教員やスクールカウンセラーも同席させていただいて聞いたこともあります。テスターと私のやりとりを聞いて、納得された保護者の方もいらっしゃいました。書いてある文は日本語として理解できるのだけれど、よくわからないと思っている方が多いようです。保護者の方も教員も。スクールカウンセラーが入ることで、書かれていることと、お子様の日常を結びつけることができます。
 その結果を、学校での指導に活かしてもらいたいと言って、持ってきてくださる保護者が多いですが、テストした機関から頂いたものをすべて持ってきていただけると一番助かります。中には、数値だけを持ってきてくださる方もいらっしゃいました。その数値とお子様のふだんの様子を思い浮かべて、所見を類推して活用させていただきます。ですが、数値よりも、テストを受けているときの様子なども書かれている所見の方を持ってきていただけたら、ありがたいです。以前投稿した「発達障害」にも書きましたが、学校で見せている顔、ご自宅で見せている顔、心理テストの場面で見せている顔が違うこともあり、新たな面が見つかることもありますので。皆に知れ渡ってしまうとの危惧は無用です。心理職には守秘義務が、教員は個人情報保護の観点があります。どんなふうに開示していいか、開示しないのかを話し合っておきましょう。テストの結果が周りに知れ渡ったこともありますが、発信元は、当のお子様でした。お子様とも話し合っておきましょう。
 進学・就職した時に、不利になるのではないかと心配される方もいらっしゃいます。どんな対応をするかわからない場合は、黙っていてください。就職には、障碍者枠を使って就職する場合は障碍者手帳を持っていることを申告しなければなりませんが、それ以外は規定されていないはずです。社内ルールは確認してください。発達障害のある方への合理的配慮を求める場合、学校や職場によっては、診断書や知能テストの所見の提出を求められることがあります。元々、知能テストを受けた理由は、お子様にあった環境を整えることにあると思います。初めは、スクールカウンセラーに、どんな学校かを聞いて、ちゃんと対応してくれると判ったら、結果を伝えた方がよいのではないかと思っています。

【特別支援学級や、特別支援学校を勧められた】
 人の価値は学業の出来だけで測れるものではありません。『佐賀のがばいばあちゃん』の主人公は勉強は全くできませんが、お笑いの才能、足の速さ、そして、馬鹿をやる主人公たちを叱りながらも認めてくれる周りがいて、主人公も生来の明るさ・逞しさで生きている姿が描かれていました。漫才師島田洋七氏の実話を素にした話です。そんな風に、お互いの強みをを認めあう世界は理想的です。でも、最近の学校は全国学力調査もあって、”学習習得”へのプレッシャーが強くなってきたように思います。
 上に書きましたように、知的レベルが、どうしても、自分一人で生活できないレベルや、形式的操作期に至らないレベルのお子様もいらっしゃいます。合わない学習を1日6時間行うことのつらさ。洋七氏のような強みを周りが認めておおらかに対応してくれればよいですが。
 ご本人が辛そうな場合は特別支援学級などへの転籍をお勧めすることがあります。その時の保護者の方の反応で多いのが「せめて、高校ぐらい出ておかないと就職できない」と言うものです。昔は障碍者手帳を付与されると、「生活保護を受けながら、作業所でわずかばかりの賃金を得て」という方法しかなかったように思えます。でも、今は違います。私は東京で仕事しているので、東京での話で申し訳ありませんが、特別支援学校高等部は、かなり就職に力を入れています。在学中から、就職を想定したマナー・身だしなみをはじめとし、就職に有利な資格を取得して、就職につなげていくコースもあります。そして、一番の特色は、就職後のフォローも学校の仕事となっていることです。卒後就職90%進学10%の高校を担当したこともありますが、卒業時は先生の努力もあって、就職できますが、トラブルが発生した時のフォローがなく、退職、フリーターになる子がなんと多いことか。学校以外でも手帳を持っている方々のための就労支援の事業所もあります。地元の状況を調べておくことも大切なのではないでしょうか。
 そしてもう一つ多かったこと。見学に行っていただいたら「勉強が遅れているのに、あちらの教室では塗り絵や籠を編んでいた。それじゃ困る」でした。作業療法の一つです。『大人のぬりえ』が流行ったように、ストレス緩和に最適ですが、それよりも、視覚と手の協応を鍛えるのに、最高なんです。力の抜き方も覚えられます。そして、籠編み。認知症予防の方法を思い出してください。「手指を動かすことで、脳の活性化を図る」です。「なんでこんなことを」と落胆する前に教員やスクールカウンセラーに質問してみてください。
 そのうえで、お子様・ご家族のお気持ち・将来について、話しましょう。

【気を付けて欲しいこと】
 知能検査を受けるメリットを中心に書きましたが、良いことばかりではありません。思い描いていたイメージと、テストの結果が違うことがあります。手帳をとれるレベルだった。ギフテッドと思っていたら違ったというものもあります。全体の数値は平均ですが、4つの指標のばらつきが大きすぎて驚かれる方もいらっしゃいます。ギフテッドでも、このばらつきゆえに達成感が生まれにくくなっている方もいらっしゃいます。
 心理職としては、「ありのまま」を認めて、強みを伸ばしていただきたいのですが、日本人はどうしても努力が好き。弱みを克服せねばならないと躍起になる方もいらっしゃいます。生きている価値を認められなくなってしまうレベルの方もいらっしゃいます。
 理想に近づけるように努力するのも良いかもしれません。理想をありのままに近づけるのも良いかもしれません。どちらを取るにしても、レディネスを頭に置きながら、訓練していただきたいと思います。
 そして、『佐賀のがばいばあちゃん』の主人公の強みは、知能テストでははかれないことも覚えておいてください。
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発達障害?

2024年09月19日 | 職業
発達障害について学びだした時に、教授がこんなお話をしてくれました。
 落語の『一つ目小僧』をあげ、今発達障害の特徴を持たない方がマジョリティなので、発達障害の特徴は”困りごと”として扱われて”治す”ように求められるが、彼らがマジョリティなら、発達障害の特徴を持たない我々が、発達障害の特徴を持てるように訓練を課されるのではないか。と言うものでした。

 そんな風に、私自身の”常識””価値観”を問われるのが、発達障害を抱える方に関する相談です。社会で生きていくために変わってほしいけれど、それは価値観の押しつけか?
 そんな思いにとらわれた時に、私が読み直す本があります。
  ※本田秀夫先生監修『自閉症スペクトラムの子のソーシャルスキルを育てる本 幼児・小学生編』講談社
  ※本田秀夫先生監修『自閉症スペクトラムの子のソーシャルスキルを育てる本 思春期編』講談社
  ※杉山登志郎著『発達障害の豊かな世界』日本評論社
 人が社会で生きていくために、何を身につけなければならないか。けっして”できる””できない”の価値判断だけが重要なのではないと思わせてくれます。そういう意味では、これらの本は発達障害の方についての話なのですが、すべての子育てに通じる話だと思います。


同じ人はいません。皆、得意不得意等の特性が、微妙に違います。
 私自身を例に出して言えば、私は音韻把握が苦手です。騒がしい場所だと、自分に必要な音を取り出すことが苦手です。音は聞こえます。でも、自分に向けられた”言葉”として把握するのが苦手です。それで、いろいろなミスをして、いつも叱られてばかりでした。無視したと友達と喧嘩になったこともあります。そういう特性に気が付いてからは、集中して聞けば把握できるようになること、静かな場所で数人で話すとミスが少なくなるし、聞き返せばよいのだと、自分の不得意をカバーする方法を工夫するようになりました。
 見るのが苦手な方もいらっしゃいます。他にも他にも。皆、苦手と得意が違います。同じように聞くことが苦手、見るのが苦手と言っても、お一人お一人、細かいところでは違うし、カバーする方法も違います。
 このような話をすると、不得意は訓練したり、気を付けて直せばよいのではないかとおっしゃる方がいらっしゃいます。訓練とか、気を付けるというレベルではどうしようもない特性を持っていらっしゃる方・お子様もいらっしゃいます。そんな時、私としては、そのような特性を持つ方に無理なプレッシャーを与えないように、「障碍(障害)」という言葉を使って、説明させていただくことが多いです。

★「自閉症スペクトラム障害(自閉症スペクトラム症)」
   以前は様々な呼び名がありました。「広汎性発達障害」「高機能自閉症」「軽度発達障害」「カナータイプ」「アスペルガー症候群」…。今は統一されて、「自閉症スペクトラム」と表現することが多いです。
 日本の精神科領域の診断は、DSMというUSAの「精神障害の診断と統計マニュアル」によることが多いです。DSMが改定されるたびに、この自閉症スペクトラムや発達障害と言われるものの診断基準が変わるのです。今は5版にそって診断、表現されていますが、また、改定されたら変わるかもしれません。
  幼い時はカナータイプ(言葉があまり出ず、人との関わりを持ちたがらないタイプ:映画『レインマン』の兄)が、思春期以降はアスペルガータイプ(積極的に人と関わろうとするのだが、うまくいかないタイプ)になるとか。反対もあります。AD/HDのような衝動性が強かったお子様が、長じて、衝動性は目立たなくなってきたが、自閉症スペクトラムの特徴が顕著になるとか。診断基準では、列記してある特徴の中からDSMが求める数の項目を満たす時に診断されるとあるのに、2つしか満たさないけれど、困っていることは自閉症スペクトラムの特徴を持つ方と変わらないとか。幼い時は、特徴があまり目立たなかったけれど、だんだんと色濃くなるとか。厳密に定義しようとすると、複雑すぎて、定義が難しいのです。だから、いつも研究されて、議論されて、改定するたびに変わるのです。
 生まれ持ったものなので「子どもの頃からその特性があること」が前提です。大人になってからというのはあり得ません。でも、特性に気づかれない/気が付いていない場合があります。もし、大人になってから”診断”してもらう必要があったら、できるだけ、幼いころからの記録を集めて下さい。母子手帳・連絡帳・通信簿・テストの解答用紙。行動面ならホームビデオもあると良いですね。
 このように、複雑なので、学会で発表するとき以外は診断名はあまり使わず、あくまで、その時に現れている特性を中心に、様子を見、相談にのることが、私のスタンスです。ただ、難しいのが、「その時に現れている特性を」と書きましたが、自閉症スペクトラムの方の中には一度学んでしまったことを変更することが難しい方もいらっしゃるので、【未来】も想像しながら、対策を考えています。
 尤も、診断名を使わずにいると、本当に専門家なのかという疑いをもたれるのが、へこむところです。


★「経過観察と言われたけれど…」
   こども家庭庁では、1歳6か月健診と3歳児健診を義務としています。それに加えて、5歳児健診など、自治体独自の健診を行っていることもあります。就学前健診もあります。
  幼稚園教諭・保育士・教員も研修を重ねています。本来、医学的な診断名をつけるのは医師の仕事なのですが、たくさんの方が気軽に使っています。ネットで自己診断してくる方もいらして、ちょっと恐ろしい状況になっています。医師以外はあくまで(疑い)なので、受診するようにお勧めすることが基本です。公立中学校にはスクールカウンセラーが配置されています。自治体によっては、小学校・高等学校にも配置されていることもあります。こども園・幼稚園・保育園、公立の学校でも、巡回心理士が廻っていることもありますし、要請されて園や学校に出向く方式を取っていることもあります。私立は園や学校によって様々です。
  これらの場で、特性に気づくことがあります。お会いした瞬間に、その特性を専門家が感じ取ることもあれば、制作物や行動観察や、保護者からお話を伺って、総合的に判断する場合もあります。基本、集団でいる場所の様子、ご家庭での様子、1対1の面接での様子など、様々な場での情報を集めて、判断します。保護者の方が違和感を持っていらっしゃる場合もあれば、日常では同じことの繰り返しなので、気が付かれていらっしゃらない場合もあります。「困っている」状態も、お子様のみならず、保護者の方も様々です。学校での様子から自閉症スペクトラムの特徴を持っていらっしゃると私が判断したお子様の保護者の方に、乳児期の困りごとを確認した時のことです。「何も困っていない」とおっしゃいます。そこで、具体的に夜泣きについて伺いました。その保護者の方は、「抱いていないと寝ないので、一晩中抱いていた。でも、壁にもたれて私も休んでいたので困っていない」とおっしゃいました。人って様々だなと認識を改めた瞬間でした。
 そうやって、健診を受けても、園や学校に相談してみても「様子をみましょう」と言われて、戸惑ってしまっていらっしゃる保護者の方はたくさんいらっしゃいます。「様子をみましょう」と言われても、どうしたらよいのかわからないですよね。発達には個人差があります。もう少し成長すると変わってくる場合があるからです。特に多いのが、発語。ほとんど話さなかったのが、3歳ぐらいになって、堰を切ったようにおしゃべりになる子がいます。歩き出すのは遅かったけれど、足腰が強いので転びにくい子もいます。世の中はなんでも”早く”が求められますが、早く歩き始めると、まだ足腰が育っていない場合もあり、転びやすい子もいます。本当に個人差です。簡単には判断できないので「様子を見ましょう」になってしまうのです。
 「様子を見ましょう」と言われてどうしたらいいのかと気にしてくださるのでしたら、お子様が不機嫌になる場面とか、子育てしている中で、保護者の方が困っていらっしゃる点・気になっている点とかを記録していただけると嬉しいです。お子様の素敵な面も記録しておいていただけると良いですね。日々、忙しいと、毎日変わりなく過ぎているように思えます。でも、意外にお子様はぐんぐん成長しているものです。一か月ごとに読み返すと発見があったりします。園や学校の先生方に、話を聴いてみるのも良いかもしれません。先生方が、お忙しいようなら、心理職と話をしてみるのも良いかもしれません。心理職も「様子をみましょう」と言うかもしれません。そうしたら、どういう点に注意して様子を見ればいいかを聞いてください。ポイントを知っているだけでも、安心できます。


★療育や特別支援教育等の支援を勧められたら…
  私的には、上に書いたように、自分の得意・不得意を知って、強みを伸ばし、苦手のカバーの仕方を身に着けた方が、「だめ」と闇雲に、なんだかわからず自尊心を傷つけてしまうことが少なくなるので、ついお勧めしてしまいます。
  でも、中には「障碍者認定される」と拒否する保護者やご親族の方もいらっしゃいます。保護者は療育を受けさせたいと思っていても、お舅様が絶対に許さなかったご家族もいらっしゃいました。周りの子に馬鹿にされる、いじめの対象になると恐れるご家族もいらっしゃいました。学校と対策を練ってください。校長先生が「誰でも苦手がある。その苦手な部分を何とかしようと支援教室で学んで頑張ってる。その頑張りを応援しましょう」と児童・生徒に説いて回ったケースもあります。学校全体の取り組みと、その支援教室に通っていた子の改善と相まって、皆に受け入れられ、支援教室希望者が増えました。ただ、このようにうまくいく学校ばかりではないので、特に保護者の偏見は子どもに影響を与えますので、対策をよく話し合ってください。
  ご家族・ご親族の反対以外にも療育や支援教室での支援を受けられない場合もあります。その時は、家では強みを伸ばすことを中心に関わってください。上で紹介した本田先生のご本を参考に、スキルを身につけさせてください。子どもは成長します。良い面が伸びると、苦手をカバーしたり、苦手が苦手ではなくなったりします。ご本人がやりやすい環境を整えることも大切です。具体的にとか、本田先生のご本とお子様の様子が違うとかのカスタマイズは、お近くにいる心理職と話をしてください。
  もう一つ心がけていただきたいのは、療育のやりすぎです。特に、乳幼児期は、その療育がお子様にあっていると、お子様はできなかったことがどんどんできるようになります。それで嬉しくなって、どんどんやろうとしてしまいます。けれど、それが、お子様を燃え尽き症候群のような状態にさせてしまうことがあります。チックや夜尿等のサインを出してくれていれば気がつきやすいのですが、発達障害の特性を持っているお子様は、ご自分の疲れや感情に気が付きにくく、サインも出しません。そしてある日パタッと、登園・登校・通所拒否を起こします。そうなる前に、ほどほどに。また、伸びると書きましたが、発達は山登りのようなもの。初めは平原地帯を歩いているように、まったく効果が現れなかったのが、ぐんと伸びることもあります。伸びていたのが、伸び悩みをすることもあります。しばらく平原を歩くような気持で、焦らないでください。


★環境を整える
  自閉症スペクトラムの療育には、様々なメソッドがあります。どれが優れているとかではなく、どれが、お子様や一緒に暮らしているご家族に合うかです。お子様の成長に合わせて、合う方法が変わってくる場合もあります。
  注意が散漫にならないようなデスクの仕切りは、市販でも手に入ります。片付けの仕方、身支度の仕方、勉強の量。ちょっとした工夫でやりやすくなります。「できない」「しない」「いうことをきかない」等叱る前に、やりやすい環境を整えて下さい。そのようなアイディア本も市販されています。お子様にあうあわないがあるので、図書館で借りて、やってみて効果があった方法が載っている本を買うのも一つの方法だと思います。園や学校の先生が良い方法を知っていることもあります。似た特性をお持ちのお子様の保護者との情報交換も役に立ちます。
  そして、高校以降は、自分の居場所を選べます。どんな場所なら、お子様が実力を発揮できるのかを一緒に探りましょう。偏差値だけで決めないでください。場の落ち着き具合、人口密度、同じような人が多いのか、特性に理解があって、ちゃんと合理的配慮をしてくれるのか等々。合わない場所(学校・就職先)で、自分をダメにしていくことは極力避けましょう。就職難の昨今、妥協しなければならないこともあります。その場合、第2の場所があれば、何とかなる方もいらっしゃいます。第3の場所の居心地の良い場所がご家庭や自分の部屋であるといいですね。
 そんなお子様に合った工夫や、居場所探しに、心理職も力になりたいと思っていますので、声をかけていただけたら嬉しいです。
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ストレスケアはどうしていますか?

2024年09月18日 | 職業
「ストレスがたまると病気になる」とよく言います。
半面、ストレスは、貴方を成長させる素にもなります。
どう、付き合っていけばよいのでしょうか?

さて、ストレスに強い人って、どんな人でしょう?
 なんでも、我慢できる人?動じない人?どんなイメージを持っていますか?
 精神科医の山本晴義先生は、『メンタルヘルス・マネジメント』PHP研究所2002というご著書の中で、以下のようなことをおっしゃっています。今回は、そのご著書を、私流に表現したものを記したいと思います。先生の言葉のママは、ご著書をお読みください。


★ライフスタイルがちょうどよい人。
  疲れはとれていますか?
  体を動かしていますか?
  お食事は美味しいですか?
  一日の流れは、基本的には同じ様に進んでいますか?
  笑ったり、泣いたり、怒ったりすることはありますか?
 
 「眠れていますか?」と書きたいところですが、現実には、不眠の悩みを抱えている方はたくさんいらっしゃいます。受診や睡眠薬を服用するほどではないけれど、と言う方が大半ですが、ドラックストアに行けば”眠り”に関する市販薬のなんと多いこと。眠りの質を高めるとうたう寝具等も多いですね。老若男女、子どもも含めた現代人の共通の悩みです。「眠れない」と悩んでかえって眠れなくなるよりも、「疲れが取れているか」を参考にしていただきたいです。頭の疲れ、体の疲れ、目の疲れ。ストレッチやリラックスでほぐしてください。睡眠に関する本を読むと、横たわっているだけでもましなようです。そして、何より重要なのは、「眠れない」時に、反省会はやらないこと。夜考えると、たいていネガティブなことばかりが頭に浮かんできます。それよりも、貴方が考える楽園や理想をイメージしたほうが数倍リラックスできます。そして、疲れが取れてから、現実的な対処を致しましょう。

 体を動かしていますか?当然、年齢や摂取しているカロリーによって必要な運動量は違ってきます。健診を受けると、手始めに散歩を勧められることが多いのですが、外に出られない状況もあるでしょう。まずは、ストレッチから始めていただきたいです。なんて言ったら、運動の専門家からお叱りを受けるでしょうか?頭や心を柔軟にするように、体も柔軟にしていただけたらと思うのですが。あと、家事をきちんとするだけでも、多少は運動になるのだそうです。

 お食事は美味しいですか?早食いになっている方や、反対にだらだら食いになっている方が多くなっているようです。個食ではなく、会話をしながら食を楽しむことを推奨される、食の専門家もたくさんいらっしゃいますが、昭和世代だと、食事中は黙ってというご家族のルールがあったりします。また、お一人で召し上がらなければならない方もいらっしゃるでしょう。なので、せめて、楽しんでいただく工夫をしていただけたらと思うのです。キャラ弁とまではいきませんが、赤・緑+もう一色を揃えるだけでも、華やかになります。赤は人参、赤かぶ、トマト、いろいろありますね。緑は葉っぱ類や若布とかこちらもいろいろ揃っています。もう一色はご飯の白、海苔の黒、煮物の茶色、たまごの黄色、こちらも色とりどりです。香りや味、噛んだ時の感触等、楽しみ方はたくさんあります。

 一日の流れは、基本的には同じ様に進んでいますか?学校でも、職場でも、家事でも、多少の変更やアクシデントがあるものの、だいたい、ルーチンで回っていますね。昨日と同じ今日が過ごせて、明日が来る。大切なことです。初めての経験だらけや、いつ何が起こるかわからない状況なら、毎日が刺激的ですが、落ち着かず、常に興奮状態になってしまいます。興奮状態が続いた後は、心のバランスをとるために、沈静化=動けなくなります。動けなくなる状態が続くと、自分はどうしたのかしら?と不安になりますので、できれば、こまめに興奮とリラックスが交代するほうが良いのです。そして、同じように進むのなら、これから起こることを予想できて、対策が立てられます。昨日と同じ今日が過ごせたら良しとしましょう。余力があったら、+αを加えてみましょう。

 笑ったり、泣いたり、怒ったりすることはありますか?感情が動かないニコニコ仮面の恐怖は、前回の記事に書きました。ニコニコ仮面という状況だけでなく、感情失禁というものもあります。泣く場面で泣けず、なんでもない時、例えば電車に乗っているときに、きっかけなく、涙があふれて止まらないとか。ちょっと、イラっとしただけなのに、怒りが止められなくなるとか。普段から、無理に感情を抑えていると、このような状態になります。「感情的な人に見られたくない」社会で生きていると必要なスキルですね。でも、心に湧き上がってくる感情を認めることと、それをどう表現するかは違うのです。


★ストレス対処行動をとれる人。
  遊ぶ時は遊ぶ。やる時はやる。そのメリハリができていますか?
  解決方法が見つかった時は、取り合えずやってみる。
  ストレス解消法=リラックスできるもの、熱中できるものがありますか?

 メリハリは大事です。人は、いろいろな要素でできています。上記の寝る・食べる・仕事/勉強/家事をする。一つのことを止められなくなることもよくあることです。反省して、切り替えして、また繰り返すでしょうか。ですが、常同行為・強迫・依存の域まで達すると、日常生活や、周りの人との関係性、人生の方向性に支障がきたします。

 問題(壁)にぶつかることはよくあることです。自分の思い通りになることなど、ほとんどありません。そんな時、皆その方なりの解決方法を探ります。いつもの問題だけでなく、初めての困難にあたるときもあります。ベストな解決法が取れればよいのですが、そうもいきません。ベストでないとと思うと動けなくなってしまいます。自死する、犯罪行為に手を染めるなどの人生を破滅するような方法さえとらなければ、やり直しできます。回復力が大切です。リジリエンス力を磨きましょう。

 ストレス解消法=リラックスできるもの、熱中できるものを持っていることも大切です。なぜか、大人と言われる人は、遊ぶことを嫌います。さぼりだと言います。でも、”遊ぶ”ことは、創造性・想像性を培う最高の方法です。リラックスして、何かに熱中することで、活力を得られます。そして、心の健康のためには柔軟性が肝要です。


★自分は、なんとか乗り越える力があると思える人。
  今は苦しくとも、この苦しみは永遠に続かないと思えますか?
  嵐の時は安全なところに避難できますか?
  待つ時は待つ。動く時は動く。
  自分の能力を超えたことはしないけれど、自分にできることはする。動き出すための準備はしておこうと思えますか?

 人も、状況も、少しずつ変わっていきます。変わらないものなど、何もないのです。「永遠に続く」ように見える時は、何かが、続くために何かをしているのかもしれません。「永遠」と嘆く前に、状況を、空を飛ぶ鳥の目、地を這う蟻の目など、今いる場所と違う視点から見てみましょう。

 その視点を持つためにも、安全を確保することは必要です。引きこもりがその”安全”な場所となっている場合もあります。なぜか、「逃げてはいけない」という方が多いです。確かに、何も努力しないで逃げているばかりと言うものももったいないです。でも、命や心・エネルギーを削ってまで、頑張ることではありません。「三十六計逃げるに如かず」という故事もあります。何も対策も武器もなしに、頑張り続けるのは愚かです。安全な場所に身を確保して、エネルギーを充填して、作戦を練り対処することが大切だと思います。

 困難な状況は変わりますが、悪くなる場合もあれば、良くなる場合もあります。そんな中、闇雲に動き続けるのは良策と言えません。嵐の中を進む危険性はお判りでしょう。嵐・ブリザードの間は、待って、体力温存。そして、少し和らいだところで歩き出せばよいのです。和らいだ時にも、実際の嵐の時と同じように、土砂崩れ(落とし穴)や濁流等が起こりそうな危険地帯に気を付けて、回避方法を探っておきましょう。地雷を踏むことは避けましょう。
 
 そして、避難している間に、計画を練ったり、協力者を探したり、自分の中で戦うための武器(実際の武器ではなくて、強みです)を整えておきましょう。


★ソーシャルサポートを持っていて、うまく使える人。
  ソーシャルサポートとは貴方を助けてくれる人たち・制度のこと。お友達やお知り合いだったり、近くにいる人だったり、専門性を持っている人だったり。勿論、ご家族・ご親族も含まれます。
 「人の力を借りるなんて弱い」と思われると心配される方もいますが、そんなことはありません。昭和世代では「弱い」と言う人がいますね。でも、それは今は通用しません。うまくサポートを借りることは一つのスキルです。成功していると言われる人は、成功の秘訣として誰かへの感謝を語るでしょう。サポートを得ているということです。借りることが心苦しいのなら、借りっぱなしではなく、貴方ご自身も、誰かに力を貸せるようになればいいのです。
 物理的・経済的なサポートだけでなく、上記の、「鳥の目、蟻の目」のような違う視点や、自分が何をできるのかとかは、困難な事態に状態に巻き込まれているほど、自分では見えません。見えていたら。さっさと解決しています。誰か、困難な事態に巻き込まれていない人の視点が必要です。困難な事態に打ちひしがれているときは、本当にあなたの中に眠っている力(宝物)には、目がいかず、場合によってはその宝物を屑と否定して、ないものねだりばかりしていることが多いものです。使い方がわかっておらず、無駄な使い方をしている場合もあります。
 心理学者ルフトさんとインガムさんが考えたアイディアが素になった「ジョハリの窓」というものがあります。貴方と言う人は①貴方も貴方以外の人も知っている貴方②貴方だけが知っていて貴方以外の人は知らない貴方③貴方は気が付いていなくて、貴方以外の人は気が付いている貴方④貴方も貴方以外も気が付いていない貴方という4つの窓に分かれるというものです。④は前意識や深層心理と呼ばれるもので、それを探るのは、精神分析やユング派の心理療法を受けないとなかなか見えてきませんが、③なら、周りの人に聞いたら教えてくれるかもしれません。もちろん、心理職もお手伝いしますよ。
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死にたい、傷つけたいという気持ちは、心のSOS。

2024年09月17日 | 職業
自殺と言う言い方に変えて、自死と言う言い方があります。ここでも、自殺ではなく、自死という表現を使います。

自死する方が増えて、ネットニュースでもトピックとして取り上げられることが多くなりました。
 様々な予防の取り組みが行われています。自治体によっては、保健所や保健センターで、ゲートキーパー(悩んでいる方に寄り添う方)の養成講座を開いたり、パンフレットや講座で、啓発活動を行っていることもあります。一度、受けてみると、様々な気づきが得られると思います。

自死のサインを出している方もいらっしゃれば、まったくサインを出さずに、ある日突然、決行する方もいらっしゃいます。本当に難しい…。
 その、”サインを出していない”とされる方の中に、「ニコニコ笑っていたのに」という方もいらっしゃいます。ニコニコ仮面を被っていたのかもしれません。動物は弱みを見せると攻撃されるので、弱ってくると、かえって体を大きく見せる習性があることもあり、そんな本能が働いていたのかもしれません。そして、感情が動かなくなっている方もニコニコ仮面になりやすいです。喜怒哀楽。感情が動かなくなったなと思ったり、表情が動かなくなったなと思ったら、声をかけていただけたら嬉しいです。

自死。様々なケースがあります。児童・生徒が自死する場合。保護者の方をはじめ、ご親族が、そのような手段を取られる場合。お友達や近しい方がそのような方法を選んでしまった場合。
 特に、保護者やご兄弟など、同居されていたことがあり、日常を共にされていた方、思い出が多い方が亡くなった場合、残された方の人生・生活に大きな影響を与えます。また、心を分かち合うような友や人生に影響を与えてくれた方を亡くした場合も、影響が大きいです。良い関係だけでなく、嬉しくない思い出が多かった方が亡くなっても、影響が大きいです。
 そういう交流がなくても、元々死にたい・消えたいという思いを抱えていた方も、誰かの自死のニュースを聞いて引っ張られてしまうことがありますので、注意が必要です。
 なので、「自分がいなくなった方が、家族が(仲間が)助かる」なんて思いは、打ち消していただきたいです。貴方がいなくなれば、影響はあります。尤も、自死をされようとする時点で、視野狭窄に陥り、「死ぬしかないんだ」と思い込んでいることが多いので、なかなか、他の視点に立つという切り替えができない。そのような柔軟性のない思考状態になったら、要注意です。

 上記のような、大切な方が亡くなれば、感情が揺さぶられ、眠れなくなったり、食欲がなくなったり、ふさぎ込んだり、泣いたりするのは当然の反応です。落ち着かなくなることもあります。他にもいろいろな、いつもと違う反応が起こってくるでしょう。
 たっぷりと喪の作業(哀しみの作業)を行ってしまった方が、立ち直りが早いとも言います。通夜や告別式はそのためにあるという方もいます。亡くなった方の思い出を語りあい、皆で悲しむ。それが供養であり、残された方の明日以降の礎になると。
 でも、ショックすぎて、感情がわかないこともあります。悲しいはずなのに、泣けない。泣けないどころか、笑ってしまう。それも、ショックすぎることがあった時の、よくある反応です。ある程度の年齢で通常な心情なら、本当に心で感じていることはさておいて、その場にふさわしい表情を作ることができます。そういうコントロールもできなくなっているほどのショックを受けているのです。周りの方はギョッとしますが、そういうこともあるのだと、その方が悲しめるようになるまで見守っていただけたらと願います。
 ”死”と言うものが判っていない年齢の子どもも、その場にふさわしくない言動・表情をすることもあります。いつもではない、特別な雰囲気に巻き込まれて、怯えていることもあります。また、”死”を重く受け止めて、親から離れられなくなる等の言動がでることもあります。「死」についてその子なりの理解をゆっくりと聴いてあげるとともに「大丈夫だよ」と受け止めてあげて下さい。

そのような一時的な反応を経て、日常生活に戻っていくことが多いのですが、いつまでも日常生活に戻れなくなっている場合は、ぜひとも、精神科受診か、心理職に相談していただけると嬉しいです。スクールカウンセラーや、自治体によっては、大切な方を亡くした方のグループがある場合もあります。匿名で利用できる電話相談もあります。
 日常生活に戻るというのは、亡くなった方を忘れることではありません。宗教によって、輪廻をはじめとする死生観や死後の在り方は異なるので、ここではそのことには触れませんが、少なくとも、思い出とともに、貴方の心の中には生き続けるはずです。
 良い思い出を思い出せば、寂しさが募るかもしれません。自分に何かできたのではないかと繰り返し考える人もいます。そして、自分が「死ね」と願ったから、死んでしまったのだと思い込んでいる方も少なからずいます。そういう思いを抱えて生きること。それが、例えば、人を助ける職業に就くような昇華をされている場合は、そのままでよいかもしれません。ですが、「幸せになる価値がない」などと思っているのなら、ぜひ、心理職に声をかけて欲しいです。そんなの、私の勝手と思っている方が多いのですが、実は貴方ご自身だけの問題ではないのです。配偶者やご両親やお子様、お友達・恋人等周りにも影響します。周りなんて関係ないという方でも、できれば、貴方ご自身納得のいく人生を送っていただきたいと願います。

 自死するのはどうして?それは、人ぞれぞれ違い、一つのきっかけで自死に踏み切ってしまうこともありますが、踏み切ってしまうまでの要因は様々なことのかけ合わせが複雑に絡み合っているので、このブログで簡単に述べることは差し控えたいと思います。

 自傷。リストカットが有名ですね。頭等体を打ち付ける。危険な行為をする。様々な方法があります。
 これも、そういうことをしたいと思ったことのない人からは、「そんなささいなことで」というきっかけで行うことが多いのですが、そこに至るまでの道は、やはり複雑です。
 「死にたいと思ってやっているわけではない」と言っても、はずみで死ぬ場合もあります。自死するための予行練習の時もあります。当人は無自覚な行為もあります。死ぬことがなくとも、体を傷つけること=心を傷つけることであり、できれば、そんなことがない方が良いのは、やっている本人も含めての願いではないでしょうか。

 このような、自死、自死企図(実際に決行しようとする)、自死念慮(実行まではいかないけれど、そういう思いにとらわれる)、自傷、自傷企図(自傷するための用意とか)、自傷念慮は、心のSOSです。

 そのSOSをキャッチして、専門家に相談する等対応して下さるご家族の方が多いのですが、中には「気がひきたくてやっているのだから、ほっとけ」と言う保護者の方もいらっしゃいます。
 確かに、そういう面もあることはあります。否定はしませんが、それだけではないのです。
 でも、万歩譲って、「気をひくための行為」だとして、気をひくための行為が、自死・自傷というのは、どういうことでしょうか。
 「気をひくための行為」とおっしゃる方には、そこを考えて欲しいのです。命を懸けなければ、自分の体を痛めつけなければ、気をひけない。どのような関係・状況でしょうか?
 一緒に考えさせていただけたら、ありがたいです。
 



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