学校で、子どもの暴力行為が問題になっています。
今に始まったことではないのですが、時代によって、暴れ方が異なっている印象はあります。
昭和世代は、生徒が、先生や校則に反発して、生徒VS先生の枠組みで暴れるというものがありました。生徒VS先生と言うのは、今の時代にもありますが、内容は違っているようにも見えます。厳しい校則や締め付けに反発してと言う形で語られていた学校暴力・学校崩壊。でも、今は、そんなイデオロギーを掲げて反発と言うより、自分で対処できないネガティブな思いを発散させているようにも見えます。尤も、昭和世代の暴力だって、自分で対処できない思いを発散させているだけのように見えますが。
なんらかのかたちで組織的に、集団で暴れている場合もあります。集団で、皆が暴れているように見えて、実は一人一人ばらばらに暴れている場合もあります。なんらかのかたちで組織的に、集団で暴れている場合は、その指示系統を見つけて対処すればいいのですが、一人一人ばらばらに暴れている場合は、個々に対処していくと、一人対処している間に、次の問題が起こり、いつまでも同じことの繰り返しになりやすいです。かなり戦略的に対応しなければなりません。できれば複数人で協力し合って対処していった方が良いのですが、ワンオペでやらざるを得ない場合もあり、何とかしようと思っている人がバーンアウトしやすいです。
学校での話として書きましたが、ご家庭に当てはめれば兄弟喧嘩。ワンオペで対処なさっている主婦の方が疲れ果てるのは当然なのです。昭和世代なら、子どもは外で子ども集団で遊んでいたので、ガキ大将にあたる年上の子どもたちが采配してくれましたが、今はそのような集団もありませんし、体を使って、無駄なエネルギーを発散する場も少なくなりました。そんな状況ですべてを請け負うのが、家で主婦をしているお母様です(主夫の場合はお父様)。協力して下さる誰かがいればよいのですが。ただ、学校とご家庭と違うのは、ご家庭で喧嘩しているのはご兄弟。やはり、そこは、ある程度まで喧嘩すると自然に仲直りしたり、時にはご兄弟で協定を結んでいたり。そして、何より、一緒に楽しむ時間もあるのではないでしょうか。
さて、集団で暴れることについて上に書きましたが、一人で暴れている場合もあります。
子どもが、暴れて、保育園/幼稚園/こども園や学校から、何とかするように言われる。
園や学校では暴れないが、家で暴れる。
クラスに暴れる子がいるから、子どもが学校に行きたがらない。実質的な被害を受けている。
暴れるお子さんは、特殊なケースと思いきや、意外に誰にでも起こりえることです。
不登校になっている子どもの中に、このままでは園や学校で暴れそうだから、家に引きこもっているという子どももいます。
そういう子どもではなくとも、登校しろ、しないのバトルが高じて暴力になることも多いです。
喜怒哀楽。怒りも人間の感情の一つです。
人は生まれてから、まず、”不快”という感情が出てくるのだそうです。そして、”快”を知り、だんだんといろいろな感情が判るようになってくるのだそうです。「おむつが濡れた」不快。「お腹がすいた」不快。「暑い・寒い」不快…。赤ちゃんは人に世話をしてもらわなくてはなりません。不快を感じずに、泣いたりしなかったら、おむつはそのままになり、お尻がただれてしまいます。感染症で病気にもなります。と言うように、生きるために必要な感情が生まれてくるのです。
怒り→攻撃性→アグレッション。アグレッションは、人生を台無しにする要素のように言う方もいらっしゃいます。昔、アグレッションについて調べた心理学者がいました。アスリートは異様にアグレッションが高いそうです。でも、そのアグレッションをいつでも発揮するのではなく、ここぞという場で発揮する。だから、あんなにすばらしいパフォーマンスができるのですね。アスリートだけではありません。アグレッションは、人生を切り開いていく力です。アグレッションがなければ、無気力になります。受験で志望校に受かるように自分を駆り立てることもできません。適正に怒ることができなければ、いいように使われるだけです。怒り、攻撃性は、自分を守るときに発揮するものでもあります。要はコントロールする力を身につければよいのです。
コントロールすると言っても、抑え込んでいるだけでは、いつか爆発します。普段、おとなしい、人が好いと言われている人が怒り出すと手が付けられなくなるのは、貯めこんだ怒りが爆発したためです。人からは「これだけのことでこんなに怒るなんて」と後ろ指差されます。怒りを露にした人にしてみれば「これだけ我慢したのに」と言いたくても、それまで”我慢”していることを見せてこなかったので、周りの人にはわかりません。悲しい結果になります。
また、コントロールしていると自分は思っていても、周りの人の認識とずれている場合もあります。それが、パワハラ・カスハラ・〇〇ポリスなどとなって現れる場合もあります。
ということを踏まえたうえで、暴れている子どもについての対処法の一つを提示いたします。
実年齢は関係ありません。その方の心の発達状態が問題なのです。そして、心の発達状態も、一つのスケールでは測れません。忍耐強さがとても発達しているからと言って、怒りについては幼児期並みと言う方もいらっしゃるのが不思議なところです。そして、人の心は、何かの問題にあたると、”退行”します。ふだんなら、年齢に見合った対処ができていることも、何か、とてつもない問題にあたると、赤ちゃん返りする場合があります。なので、普段より赤ちゃんになっていると思ったら、それを責めるのではなく、「大変なことが起こっているのだ」という目で見ていただけたら、ありがたいです。
☆まず、暴れている状態に遭遇したら。
よくあるのは、その暴れている子/人に対して、怒鳴りつけてしまうことです。子どもだと、一時的に黙ることもありますね。でも、思考停止になっているだけか、怒鳴る人を新たな危険と感じているだけです。多くは繰り返します。繰り返さずに、黙って効果があるように見えても、解離しているだけなので、別の場所(時には数年後)や別の形で問題行動が現れてきます。怒鳴りつけるのは止めましょう。
長々と大声で説教するのも意味がないと言われています。感情的に暴れている場合は、その人/子の心は、感情であふれかえっているので、他の人の言葉は頭に入りません。場合によっては、本当に伝えたい言葉ではなく、どうでもよい言葉だけキャッチして、売り言葉に買い言葉。バトルが過熱する素になります。
もし、環境が許せば、怪我しないように、怪我させないように、危ないものは片付けて、クラスメートやご兄弟は別の場所に避難させて、収まるまで待っていただけるといいです。学校や園では「クールダウン」「タイムアウト」と言って、そういう部屋を作っている場合もあります。机の下に幕を下げて仕切りにしているところもあります。段ボールを用意したら、子どもたちが飾り付けて素敵な隠れ家になったところもあります。小さなテントを用意されたところもあります。絵本『おしいれのぼうけん』のような押し入れもありますね。昔の人は経験上、クールダウンの必要性を知っていたのでしょうか。発達障害といわれる特性を持っている子との付き合いが多い専門家や保護者の間では周知の対応ではあるのですが、特性を持っていない子にも有効です。ただ、学校や園で行う場合には、事前に、子どもや保護者に説明して、了解を得ておく必要があります。誰でも使えるようにしておくことも良いと思います。順番待ちの方法を、先生が知らぬ間に自主的に子どもたちが作っていた学校もありました。そして、間違ってはいけないのですが、クールダウンしている間は”放置”ではありません。”放置”は虐待です。落ち着いてきているのか、怪我しそうなことをしていないか(特に発作で呼吸が乱れる場合もあるし、憤怒痙攣のようなひきつけのような状態になる場合もある)、”見守り”が肝要です。
また、体をぎゅっと拘束されることによって落ち着く子もいるのですが、これは個人差が大きいので、やってみて、嫌がったらやめて、落ち着くようだったら続けるのが良いと思います。学校で「特別支援教育」のグッズとして、拘束衣を売っています。勿論、これも、学校や園で行う場合は、事前に保護者の方と打ち合わせておくことが必要です。
暴れているときに言葉がけが必要な場合は、単文で静かに話しかけます。共感的な言葉がけが効く子もいます。反対に、感情に翻弄されているので、機械的な言葉がけのほうが効く子もいます。時報をモデルにして、その子バージョンを作っていくのが良いのかもしれません。
そして、落ち着いたら、何がどうして暴れたくなったのかを一緒に話し合います。共感的に話を聴きます。でも、カウンセリングと違うのは、その子の心の中で感じた”内的事実”を尊重するとともに、周りの人が認識している”外的事実”とすり合わせすることです。ここで、”外的事実”に重きを置くと、”尋問”になってしまい、”本音”は聞き出せません。もしくは「やっぱりわかってもらえない」と、以後関係が悪くなります。暴れた子の”内的事実”に重きを置くと、巻き込まれた子が不満を持ちます。バランスが難しいです。そしてもう一つ大切なこと。カウンセリングとは”受容”と思い込んでいる人が起こしがちなことですが、世の中にはルールがあります。「そんな風に経験しているのなら、そういう気持ちになって当然」と気持ちは受容しますが、ルールに外れた行為は受容しません。どうしたら、ルールに適した行動をとれるのかを相談してください。また、理由がはっきりするときもあれば、解らない時もあります。わからないときは、暴れたくなる前に感じる体や心のサインを探って、そのサインが現れたら、暴れる前に、隠れ家に入ってクールダウンできるように指導します。隠れ家に入る前に、許可を求めるようにすると、在所確認が取れるとともに、誉めるチャンスが増えますね。そして、暴れる前にクールダウンできたら、後からでもそのことを認めてあげて下さい。
と言っても、体や心のサインを自覚することはとても難しいです。カウンセリングの一種・フォーカシングや特別支援教育のプログラム「心の温度計」などで、普段から練習しておくことが肝要です。
もう一つ大切なのは、巻き込まれた人たちへのケアです。実際に、怪我していたら、治療が必要です。そして、気持ちへの共感。「大丈夫?」「怖かったねえ」「びっくりしちゃったねえ」。自分が守られている、自分へも関心を持っていてもらえていると知れば、人は人に寛容になれるものです。先生が暴れる子への怒りを露にしている横で、児童・生徒が私に「でも、〇〇ちゃんて、私が困っていた時に助けてくれたんだよ」などと、暴れている子のよいところを教えてくれることはよくあることです。暴れている子に暴言を吐いたり、一緒に騒ぎを大きくしようとしたり、ミニ先生になって、火に油を注ぐ子もたくさんいますので、おとなしく避難できたら、そこも誉めるポイントです。「皆、〇〇君を静かに見守ってくれて、助かったわ。ありがとう」という言葉は嬉しいものです。
☆怒りを暴走させないようにするために。
アンガーマネージメント、認知行動療法で、自分がどういう時に怒りを感じやすいか、怒りを感じたら、どう対処するかを学ぶ方法も一つです。そのような講座も開かれていますし、認知行動療法のワークブックもたくさん出版されています。
フォーカシングとは、まだ名づけられないような体の中に沸き起こるものを手掛かりに、”自分”を探っていくもの。いっぱいいっぱいになった心の中を整理する方法もあります。
また、怒りの後ろ側には、他の感情が隠れていると言います。ひどい扱いを受けたから怒った場合、ひどい扱いを受けて悲しかったとか、情けなかったとか、人それぞれ、いろいろな気持ちも同時に沸き起こっています。その気持ちのケアも大切です。その時、上にも書いたように、”怒り”はあなたを守る術でもあるので、”怒り”にも感謝を示していただけると嬉しいです。
そして、上には隠れ家で落ち着くというクールダウンを紹介しましたが、リフレッシュする方法を見つけておきましょう。その場でできるものなら、肩の上げ下げ、手のひらをグーパーするなど、いろいろな方法があります。だいたい、怒りが沸き起こっているときって、体が硬くなっていますので、ほぐしてあげると気分転換になり、柔軟な発想が生まれる場合もあります。
勿論、寝不足や空腹、疲れも怒りを暴走させやすい一因ですので、体調を整えておくことも大切です。
☆怒りを暴走させるような子にさせないような子育てとは。
私が参考にしているのは『怒りをコントロールできない子の理解と援助 教師と親の関わり』大河原美以・著 金子書房です。私の手元にある本は2004年に出版されたものですが、大河原先生のご研究はさらに進んでいます。ただ、この本はどちらかというと理論書で、だとしたら、具体的にどうしたらいいの?と言う部分もあります。
それに答えたのが『ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある』大河原美以・著 河出書房新社です。具体的な会話例なども載っていますので、ご興味がある方はお読みください。
それにしても、このような方法で情報発信したり、交流が出来る社会になり、私自身がここに記述を残そうとしている事に不思議な気がします。
妙な発言だと思われるかもしれませんが、私は数年前に退職し世捨て人のような日々を送り、子ども達には、昭和のアナログ人間と呼ばれています。何が言いたいのか不明な文章になってきたので、今日はこの辺で失礼します。
私も初めてのブログで、確かめながら発信しています。
よろしくお願い申し上げます。