真面目に働いているご褒美として平日に休暇をいただいた。
昼寝とサウナで時間を浪費するのはもったいないので、papachan家・男チームで山旅に出動だ。
今回は、4日間かけて東北の山と世界遺産とグルメを満喫する。
それでは、総移動距離1400km超の遠征スタート!
初日は、東北道をひた走り平泉を目指す。
牛タンコロッケを食べたり、牛タン定食を食べたり、食べてばっかりで幸せ。
息子と交代で運転するので、長距離運転も気にならない。
自宅から7時間半かけて平泉にたどり着いた。
今日は、世界遺産見学がメイン。
何はなくとも、まずは中尊寺から。
中尊寺金色堂は、建立900周年らしい。
そうだったのか。
ちなみに、中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山された。
ではでは、いざまいろう。
奥州藤原三代の栄華をこの目に焼き付けようではないか。
月見坂を登って本堂をめざす。
八幡堂・弁慶堂・薬師堂などなどを横目に見ながら、たくさんの観光客とともに坂を歩く。
10分弱で本堂に到着。
お賽銭箱は本堂の中にある。
正座をし、厳かな気持ちで両手を合わせて願掛け。
家族が健康でいられますように。
仕事がうまくいきますように。
明日とあさっての登山は晴れますように。
美味しいものが食べられますように。
5円のお賽銭で少々欲張りすぎた。
お目当ての金色堂は、本堂から少し先にある。
ここからは、拝観料1000円を納めねばならない。
讃衡蔵という宝物殿も観覧できるので、けっして高くはない。
坂道の先にある金色堂は、写真で見た風景のとおりだ。
金色堂は、その輝きを守るため覆堂(おおいどう)の中にある。
写真に見えているのは、その覆堂であり、金色堂は中に納まっている。
もちろん、覆堂の内部は写真撮影厳禁だ。
金色堂の名のとおり、すべてが金色。
見事な仏像の数々も黄金に輝いている。
金色堂は霊廟でもあり、藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と泰衡の首級が納められているそうだ。
源頼朝は、義経をこの地で討ち、義経をかくまったことで奥州藤原氏も滅ぼされる。
荒くれものの坂東の武士の目に、この黄金文化はどのように映ったのか大変興味深い。
最後におみくじを引いて、運試し。
私は吉、息子は小吉。
そんなもんだね。
次は、こちらも世界遺産の毛越寺。
中尊寺と同じく慈覚大師円仁により開山された。
毛越寺は、モウツウジと読む。
モウオツジ→モウツジ→モウツウジと読み方が変化したとパンフに書いてあった。
高校生のころ、友人と読み方について論争を展開したが、今日決着がついた。(笑)
中尊寺が山の中にあるのに対して、毛越寺は平たんな境内だ。
砂利を踏み踏み、本堂へ向かう。
大きく立派な本堂だ。
本堂の右手に広がるのが、大泉が池。
この池の向うに伽藍が配されていて、臨池伽藍と言うらしい。
残念ながら、数々のお堂は火事によりほとんどが消失していた。
今は、柱を支えた基礎の大石だけが整然の並んでいるのみである。
池は見る角度によって、様々な表情を見せる。
築山、洲浜、荒磯などの景観が配されており、往時は中島を経由して円覚寺へとつながる二つの橋があったとのことだ。
京の都もびっくりの広大な浄土庭園である。
東日本大震災で池中立石が傾いたため、水を抜いて修復した際、護岸の玉石が池の中まで続いていることがわかり、当時の土木技術の確かさが認められた。
本日ラストは、一関市の観光スポットである厳美渓に立ち寄った。
木曽の寝覚ノ床に似ていなくもないな。
一度見ておけば満足。
今夜は、一関駅前のビジネスホテルに宿泊する。
明日の栗駒山登山に向けて、英気を養うために息子チョイスの定食屋さんでとんかつを食した。
とんかつはもちろんのこと、白米が抜群に美味しかった。
これで、明日の勝利は約束された。
※東北遠征DAY2(栗駒山編)へ続く
昼寝とサウナで時間を浪費するのはもったいないので、papachan家・男チームで山旅に出動だ。
今回は、4日間かけて東北の山と世界遺産とグルメを満喫する。
それでは、総移動距離1400km超の遠征スタート!
初日は、東北道をひた走り平泉を目指す。
牛タンコロッケを食べたり、牛タン定食を食べたり、食べてばっかりで幸せ。
息子と交代で運転するので、長距離運転も気にならない。
自宅から7時間半かけて平泉にたどり着いた。
今日は、世界遺産見学がメイン。
何はなくとも、まずは中尊寺から。
中尊寺金色堂は、建立900周年らしい。
そうだったのか。
ちなみに、中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山された。
ではでは、いざまいろう。
奥州藤原三代の栄華をこの目に焼き付けようではないか。
月見坂を登って本堂をめざす。
八幡堂・弁慶堂・薬師堂などなどを横目に見ながら、たくさんの観光客とともに坂を歩く。
10分弱で本堂に到着。
お賽銭箱は本堂の中にある。
正座をし、厳かな気持ちで両手を合わせて願掛け。
家族が健康でいられますように。
仕事がうまくいきますように。
明日とあさっての登山は晴れますように。
美味しいものが食べられますように。
5円のお賽銭で少々欲張りすぎた。
お目当ての金色堂は、本堂から少し先にある。
ここからは、拝観料1000円を納めねばならない。
讃衡蔵という宝物殿も観覧できるので、けっして高くはない。
坂道の先にある金色堂は、写真で見た風景のとおりだ。
金色堂は、その輝きを守るため覆堂(おおいどう)の中にある。
写真に見えているのは、その覆堂であり、金色堂は中に納まっている。
もちろん、覆堂の内部は写真撮影厳禁だ。
金色堂の名のとおり、すべてが金色。
見事な仏像の数々も黄金に輝いている。
金色堂は霊廟でもあり、藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と泰衡の首級が納められているそうだ。
源頼朝は、義経をこの地で討ち、義経をかくまったことで奥州藤原氏も滅ぼされる。
荒くれものの坂東の武士の目に、この黄金文化はどのように映ったのか大変興味深い。
最後におみくじを引いて、運試し。
私は吉、息子は小吉。
そんなもんだね。
次は、こちらも世界遺産の毛越寺。
中尊寺と同じく慈覚大師円仁により開山された。
毛越寺は、モウツウジと読む。
モウオツジ→モウツジ→モウツウジと読み方が変化したとパンフに書いてあった。
高校生のころ、友人と読み方について論争を展開したが、今日決着がついた。(笑)
中尊寺が山の中にあるのに対して、毛越寺は平たんな境内だ。
砂利を踏み踏み、本堂へ向かう。
大きく立派な本堂だ。
本堂の右手に広がるのが、大泉が池。
この池の向うに伽藍が配されていて、臨池伽藍と言うらしい。
残念ながら、数々のお堂は火事によりほとんどが消失していた。
今は、柱を支えた基礎の大石だけが整然の並んでいるのみである。
池は見る角度によって、様々な表情を見せる。
築山、洲浜、荒磯などの景観が配されており、往時は中島を経由して円覚寺へとつながる二つの橋があったとのことだ。
京の都もびっくりの広大な浄土庭園である。
東日本大震災で池中立石が傾いたため、水を抜いて修復した際、護岸の玉石が池の中まで続いていることがわかり、当時の土木技術の確かさが認められた。
本日ラストは、一関市の観光スポットである厳美渓に立ち寄った。
木曽の寝覚ノ床に似ていなくもないな。
一度見ておけば満足。
今夜は、一関駅前のビジネスホテルに宿泊する。
明日の栗駒山登山に向けて、英気を養うために息子チョイスの定食屋さんでとんかつを食した。
とんかつはもちろんのこと、白米が抜群に美味しかった。
これで、明日の勝利は約束された。
※東北遠征DAY2(栗駒山編)へ続く
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