a green hand

 残されたもの・・

長い、1週間が過ぎた。
こんなに1週間が長いと今まで感じたことはない。

ようやく昨日辺りから平熱に戻りつつあるが、体全体に響いて出てくる咳に嫌気がさしてきた。

義母が亡くなり、23日の葬儀、納骨を終え、娘を駅に送ると今まで我慢に我慢を重ねてきた体へのつけが頭角を現した。

陽気がことのほか寒いのも手伝っている。

3月一杯全ての私的な用事をキャンセルし、休養に専念することにした。

そんな中、ずっと気にかけていたA氏に、お酒のお礼の電話をした。

13年ぶりだ。
私のところにお酒を届けたことについて驚きの誤解があった。
「Mさんにあんな小さなお酒1本を送って恩を返すわけがないでしょう・・」と言われた。

私は単純に13年の時の流れが、少しはA氏の心を溶かしてくれたかと喜んでの電話だったのに。
再婚もしたと聞き、幸せになっていてほしいというのが私の願いだった。
しかし、そう簡単に事は済んではいなかった。

一生重い荷物を背負い生きていくのが自分だとも言った。

娘とのこともなかなかあの日から立ち直るのは大変だったと語り、今は4歳の子を先頭に3人のお母さんになっているがそう簡単に父と娘の中で和解というのは難しいという。

それでも最近になり、お母さんもお父さんも一生懸命生きたんだねと優しい言葉を13回忌のときにかけてもらったとうれしそうに話していた。


人一人の命の重さは想像以上のものがある。

もう少し時間がたって、Mのことをお話できるようになったらお会いしましょうというと、そういう日がきてほしい。
今は会いたくないときっぱり語るA氏の複雑な癒されない心を深く感じさせる電話であった。

でも、今日、迷ったがかけて良かった。
私のところに来るはずのお酒ではなかったお酒に感謝した。

そのお酒は、Mのお墓をいつも参ってくれているMの飲み友達のお店に届けてもらうものだったらしい。

それがIさんとの話の中で誤解を生み、Iさんが私に持ってきてくれたという経緯であった。

Iさんにはそのことを話しておいたからそれを返さないでほしい、Iさんにも言わないでほしいということだった。


私の酒好きな夫を思ってのお酒でも、私にはとても感謝しているというためのお酒でもなかったことが証明された。

私は静かにこのお酒をいただくことにした。

まだまだ心の棘は抜け落ちてはいない。
「Mは天国にいるから・・」と言ったA氏の言葉が悲しい。


義母の残したものも大きい。
最後まで家にいたいという願いどおり、家で一生を閉じた義母。

姉たちの手厚い看護に見守られ、時を見計らうかのようにしてなくなった母。


植物も人間も厳しい冬を越してあと一息というところで、命尽きるものがある。
ホッと息をするその間に、消えてしまう命がある。

その命こそ、私たちの期待する命ではない、別なところで生かされている命なのだと思える。

娘も息子も孫として葬儀のために忙しく動いてくれた。
私が父を亡くした22歳という年齢を思うと、我々がいつ死んでも心配ないと思える二人の姿に誇らしさを覚えた。

それに親というものは、早く死ぬか大変遅く死ぬかどちらかが子どものためになると最近思うようになった。

成長した子どもは、親からなるべく早く離れることがいい・・。

教育力のない親ほどわが子の教育は他人様にしてもらう方が良いからだ。

私はなるべく早期に息子をこの家から追い出さななければいけない。 

買ったばかりの春咲きの苗を花と蕾ごと短く切りつめた。

分の身も切り詰めることができたならきっと新鮮で丈夫な芽が出てくるだろうになどと、病んだ感性がチラリと現れた。
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