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と私に言う。
私は、あまり早くからの英語塾は意味がないと思っているので、
そうしてあげたいのは山々だった。
しかし、親の教育に口出しはならんと、端から意見を言うつもりはない。
用事を終えて帰ってきたママが言う。
「学習塾の宿題は済んだの?」
「○○先生がっかりするよ~。2回も休んだんだから・・。」
?先生のために塾に行くのかぁ~。
?先生のために2歳から月謝を払って・・。
夜中に目が覚めた。
決まって未熟者の考えが浅はかなときに目覚める癖がついている。
人は、誰かの為に頑張るものなんだ。だから、塾の先生ががっかり
するよでも、ママががっかりするよでもなんでもいいんだと。
今回の演奏会、自分のために頑張ったのだろうかと考えてみた。
多くの部員が。皆さんに喜んでもらえてよかった、一番は先生に
喜んでもらえて良かったと口を揃えて言うではないか・・。
それと娘の高校時代に、私が娘の態度を窘め、そのことに反抗し、
娘が私に向かって言った言葉を想い出していた。
「お母さんが○○校に私を行かせたかったようだから頑張ったのに・・」
○○校で起きたつまらないことは全部お母さんのせいだと言う理屈で
反抗した、忘れられないショックだった娘の言葉・・。
私はその時に、なんということをいう娘だろう、自分の為に自分で
決めたことではなかったのかと強く娘を攻めたように記憶している。
今も未熟者だがその当時はもっと未熟者だった。
「お母さんの為に頑張ってお母さんの望む高校に合格しようと
頑張ってくれたのね、ありがとう」と本来なら
私は、言わなければならなかったのだ。
人は、誰かのために頑張るものなのだということを長い間
わからずにいた。こと、自分の家族に対しては全くの無知であった。
だから、自分を褒めてくれるものや期待してくれるものの
為に頑張るし、頑張れるのだ。
Yちゃんのママは、正しいことを言っていた。
最も単純で大切なことが、いろいろと知識を身につけるうちに
ぼやけてしまうことにも気づかされた。
そして誰かの為に頑張ったことが、ようやく自分のためになる
のであって初めから、自分のために頑張るのでしょうという
理屈では、小さい子は頑張れないように思うのだ。
夢のために、誰かの為に、そしてたくさんの時間を経て、頑張ったことが
最後に自分のためになるのだ。
この考えもこの先、数十年生きたとすると、また変わるのかもしれない。
未熟者の成長は老いても少しずつではあるが「ある」と信じたい。
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