近所にお葬式ができ、義兄は今年、地域の班長で抜けられない。
夫婦揃ってというのが慣習らしく私にSOS
朝早くと言われても急なので9時ごろまでには行くことを約束した。
充分、間に合う時間で約束したが、30分ぐらい早く着くように頑張った。
義姉と交代するのである。
義母は私と偽姉が交替というのが不安そうである。
無理もない。
その時点では何も知らされていないのだから。
説明すると納得するがまたすぐに忘れてしまい同じ事を数回聞いてくる。
でも驚いたことに、1週間前の義母の容態とは全く違い、明らかに回復に向っている。
ただ検査後の衰弱からかポータブルにしていた尿はオムツにするようになっていた。
点滴も2本から1本になり、体温も平熱に戻り、血圧も心配ない。
そして流動食はすっかり食べきるようになっていた。
25日には退院ということである。
信じられない回復力である。
生活のリズムも以前は午後3時ごろからようやく目が覚めた感じだったがそれもなくなっていた。
91歳という年齢のせいか記憶だけは目覚しく衰退した。
自分がどこにいるかいつどんな状態で入院したかは全然覚えていないため
「夢なのか現実なのさっぱりわからない・・」
「頭が変になったようだ」
「ずっと何にも食べていないんだ」ともいう。
「おしっこはどうやってたんだっけ」と狐につままれたような感じで私に聞いてきた。
いろいろ覚えていないのに、夫が昨日の日曜に看病に行ったのはちゃんと覚えていた。
息子に来てもらったのは嬉しいんだと思う。
夫は自分の母親が小さく痩せてしまった姿をみて感慨深げに言う。
重湯をすする姿がとっても可愛いかったと・・。
もともと品のある知的な義母である。
息子に可愛いといわれる91歳のお母さんはなかなかいないのではないだろうか。
12月25日に入院して退院の日でちょうどひと月になる。
元気で退院できるとは思ってもみなかった。
周りの人の手厚い看護のお陰だとつくづく思う。
お母さんはとても幸せなお母さんだったことが改めて良く分かった。
一人の命の重さを感じる。
その重さが一生懸命に生きてきた重さだということも。
その命が周りの人間を変えていく力があるということも。
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