![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/6b/f5f9b1ac9bee657f075be43d8ddc13c8.jpg)
リビングから一段と高い音が聞こえてきた。
夫が朝食後の洗い物をする時のラジオの高い音だ。
水を使うので洗う時の音に負けないボリュームでラジオをかけるのが夫の習慣になっている。
行ってみるとラジオでは「でんでんむしのかなしみ」について話していた。
季節的に長い梅雨に相応しいでんでんむしのお話、そして日曜日。
子どもにもお母さんにも聞いてもらえたらという企画かもしれない。
このお話に出会うきっかけは、美智子皇后の時代に「橋をかける」-子供時代の読書の思い出-すえもりブックスから出版された一冊の本である。
1998年、インドのニューデリーで開催された国際児童図書評議会で上映された皇后のビデオテープによる基調講演はテレビでもニュースとして放映された。
その講演の中に「でんでんむしのかなしみ」について触れられていた。
私はそのお話をそれまで知らなかった。
それに新美南吉という教科書であまりにも有名な人。
物語がスッと入ってこない私の経験の乏しさと想像力のなさ。
昔の人より今の人を重んじる傾向にあり非常に現実的な私が長いこと我が人生の中に居座っていた。
新しいもの好きの私には、古さを理解できる優しさがなかった。
しかしそのお話は、私の心を打った。
自分のそれまでの辛い様々な経験が重なったのだ。
私はなんて不幸なんだということにジッと堪え、過ごしてきた時間がスッと消えた瞬間だった。
自分だけが大変なのではない。
どんな人の人生にも悲しみはあると思えた瞬間だったのかもしれない。
世間知らずが世間を知った瞬間だったのかもしれない。
長いこと、自分の殻には悲しみがギッシリ詰まっていると考え続けたでんでんむしがその自分の殻の重さを友達のでんでんむしに伝え聞く勇気があったからこそ新しい世界へと歩みを進める事ができた。
自分が古くさくなると共に、古臭いと感じてきた新美南吉の優しさや純粋さ、何より人としての美しさを感じて止まないのだ。
夫がつけたラジオの耳障りな高い音がリビングから流れついたことで、「でんでんむしのかなしみ」に再び触れる事ができたこと、夫のおかげである。