あるヘルパーさんが泥棒呼ばわりされ町の噂になった事があった。
その当時の私にはそんなこともあるのかぐらいの気持ちで年を経てきた。
母が70歳台に入ると先はそう長くないと当時の私が思い、自分も仕事を続けるのが大変になり仕事を辞めた。
憧れの専業主婦である。
専業主婦だった友人に誘われヘルパーの2級講座に参加した。
理由は働くためではなく母がいざとなった時の準備であった。
母がいざとなった昨年末、私自身は老いて役に立たず、若いヘルパーさんのお世話を受け現在に至っている。
話を戻すと泥棒呼ばわりされたヘルパーさんは被害者である。
それがよくわかるのは自分が老いてくることで「わかる事」が増えてきたからである。
「 人のせいにするな」とよく言われるのは人は人のせいにする事が多いからなのだと解釈した。
そして自分のこと。
例えば探し物をする。
無い、誰か使ったに違いない、あった、あー私だった、そこにおいたのを忘れていた、こんな事がが多くなる。
そして自己嫌悪。
私の中に人のせいにするという悪い癖がいつの頃かわからないがあったのだ。
人のせいにして探し続けている間、人を攻め続けている。
そういう自分を俯瞰してみると惨めであり、滑稽でもある。
こうして自分が見えるうちはいい。
自分のせいとわかった時に自己嫌悪に駆られ自分の悪に気づかされるから。
確実に自分のせいが多くなれば自然と人のせいにしないで誰のせいでもなく私だと言い聞かせながら探し続けるだろう。
そして痴呆や認知症になるまでは反省も可能なはず。
と思うが今でもチラリと疑う事がある。
それは全て自分のせいである。
人のせいにするなと言った人は人の為す何事も自分のせいなのだと確信がもてたんだろうなと思う。(未熟者のブツブツ)
ストレスの多い時代に、ストレスも誰かのせいになってはいないだろうか。
ストレスとは自分に取り、よいことでも悪いことでもストレスになるという。
そしたらストレスって何?
人のせいなのかい?私のせいなの?(これは夫に対しての不満w)
ストレスなどという言葉を作った人が悪いと、些細な探し物以上の大きな事を人のせいにしている私である。
どうか我が娘息子には母のこの悪癖が遺伝していないことを願うばかりである。
今日も一日良い日でありますように。