これは、鍼だけを頼りにしていても駄目だと思い、鍼はしばらくというかずっとお休みにした。
腰痛も生活習慣を改めれば治るのではないか、人を頼りにしていてはいけないという結論に達した。
鍼でよくなると、その日一日なんでもなく動ける。
そしてまた鍼、この繰り返しでは、根本の治療ができてないし、ぎっくり腰に一月もかかっているのはおかしいと思い始めた。
その一月が自分の健康状態を何とかしなければという気持ちに駆り立ててくれたもの、とありがたく感謝することにして鍼治療は修了した。
日常の生活を振り返ってみた。
台所に立つと必ずお腹をシンクの淵につけて作業している。
パソコンも机に体の一部が触れているし、洗面も立ち姿も全て自分で自分の体を支えていないことに気づく。
体を動かす筋肉の存在をあまりにも意識しなすぎである。
というか健康であれば意識する人の方がおかしいだろう。
日常の所作で複式呼吸を常に心がけないと曲がった時にギクリがきそうで怖い。
膝を曲げて腰を下ろし、物を拾うときも起き上がるときも腹筋を意識しないと怖いのである。
不意の動作はストレスがかかりなお悪いことがわかった。
私の場合、決して慌ててはならないのだ。
そこで日本の昔の生活を振り返ってみた。
なんと日常の中で腰を使った筋肉をつける自然な動作の多いこと。
あまりに便利になった生活はいつのまにやら生活習慣病なるものが巣食う。
日本のたたみでの生活、拭き掃除、足は曲がってもぎっくり腰にはならないだろうなどとまた勝手な妄想が・・。
体温が低い私は、隠れ冷え性らしい。
なるべく体を温める食べ物や飲物をとり、チーズ類を多く摂取するよう心がけることにした。
私は、普段、食事に関心がなく、食事は人様に作るものぐらいの感覚でしかない。
血液の流れが悪いのも顕著で右手と左手の色も温度も違ってる。
コーラスのとき、後ろで歌っていた友がその違いに気づいてとても驚いていた。
体の左側が悪いのは左が冷たいのと何か関係があるのではと勝手に自己判断してみた。
昔から健康診断を無視した状態だった。
たまに検診をするときまってで引っかかるのは、「血液関係」血が薄いだとか貧血だとか、だから献血は一度もしたことがない。
いつも不採用なのだ。
朝起きると、日の出直前の最低気温の時間帯が一番ひどく、肩がすっかり冷え込んで頭痛で目が覚める。
足は冷えてないのにお腹の中心が冷えている。
冷えに気づいたときから、お風呂の入り方も工夫してみた。
何よりもこんな風に体を気にした生き方は一番嫌なことであり、なんとかしなければと現在考え中である。
私を知る人は「考えてないで医者に行け」とイライラするみたいだが、どこかでそれを拒むものがある。
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