この作品は、諸橋近代美術館で見てきたもの。
次の絵も諸橋近代美術館に過去数年存在した同じ作品である。
違いがわかるには拡大してみていただきたい。
タイトルが「ジャポニカ」2001年 2003年に加筆とある。
目の大きな日本人はいないが、Crookのイメージする日本人とはこのように映るようだ。
諸橋氏もとても優しく澄みきった目の表情である。
日本の新聞がCrookにより描かれている。
Japan timesを読んでいる人もいる。
2001年に描かれて、2003年に加筆という、蒐集家諸橋延蔵と画家、Crookとの関係にストーリーがある。
1995年、PjCrookがパリで個展を開催していた。
そこへ、仕事でパリに行った諸橋氏がアラン ブロンデル ギャラリーに立ち寄り出会ったのがイギリス人、パメラジューン クルックの作品であった。
日本人の蒐集家、諸橋氏がその全作品を購入したエピソードはいつまでもCrookの歴史にも残るだろう。
Crookは、自分の作品が相当数海外に流れることを懸念したが、美術館設立の話を聞き、手放すことを決心したという。
諸橋氏の夢は1999年、遂に、福島県会津北塩原村に実現されたのである。
建築にも建設地にも相当のこだわりを持ち、高校時代から大好きだったダリの美術館を設立したのだ。
建築デザインのこだわりは、「中世の厩舎」ということで窓が全て、馬蹄の形をしている。
話を戻そう。
2001年のジャポニカと2003年のジャポニカの違いである。
画中の男の読んでいる新聞に2001年には無かったメモ書きがある。
2003年、諸橋氏が外国の地で事故により突然亡くなった年に重なる。
2003年に加筆とあるそのメモには、pj Crookの哀悼の意が込められた加筆である。
pj crookと諸橋氏の人となりが垣間見える意味ある「ジャポニカ」になったのである。
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