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a green hand

映画の話から

昨日、Yさんが持参された本「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」私の1冊は「ふつうのおんなの子」の力。

前著が、ブレイディ・みかこ。
1965年生まれ。

「ふつうのおんなの子の力」は、中村桂子著、サブタイトルは子どもの本から学んだこと。1936年生まれ。
他にたくさんの専門書などあるようだが初めての1冊である。

話題は、Yさんの「ぼくはイエローで」の感想からスタートした。

自粛中のここ3ヶ月を振り返ると、「掃除」「読書」「パウンドケーキ作り」「庭遊び」そしてネット配信の「映画」である。

全部好きなことだらけの総称「遊び」。
非日常でも生活は普段と大きく変わることなく、変わったのはコロナ意識が身体に張り付いている感覚というか、これは現在進行形でもある。

たくさんの映画を観た。
中国映画の「月に咲く花の如く」だがネット配信まで使って観たいとの意欲を沸かせてくれたことが皮切りになったこと、感謝に堪えない作品になるだろう。

「ただ君を愛してる」宮崎あおいの静流役の演技がとても好きで一言で言うならただただ美しい作品。
宮崎あおい素晴らしい!好きだな〜。
2006年作 原作市川拓司。

「長屋紳士録」「おはよう」「麦秋」は遠くも近くもない時代を感じられクスリと笑える作品。
「プライドと偏見」「秘密の花園」「小公女」「若草物語」英国の歴史、階級社会に生きる様、不条理の中で生きている姿を十分みせてもらった。

いくら立派な馬車や船でも飛行機や新幹線の時代と違い、のんびりとした時間が流れていた。
それでも戦後まもなくの日本映画では「なんだって忙しい世の中になった」と言わせている。

今、飛行機も新幹線も以前のように気軽に利用できない状況にあるわけだが、時はゆっくりと流れているのだろうか、ただ窮屈になった気分に過ぎないのだろうか。

「ふつうの女の子の力」権力や地位、金欲、忖度しなければならない立場、戦争の是非と無縁なところではっきりと主張できるおんなの子。

人として丁寧に日々を生活し、大人になっても「女の子」と著者は言う。
急にそう言う女の子にはなれない。

それぞれの映画で光る女の子は、誰かの意見で行動したり、頭で考えているのではない。

湧き出る弾けんばかりの子どもらしさに、失敗を繰り返しながらも自分を生きている。

そして理屈なしに戦争は悪だと本能的にがわかり、平和を希求する、自然に一番近い、男の子や女の子なのではないか。
自然に近い子どもは1番に自然を大事にするはず。
破壊ではない。

世界の国々のリーダーに、女の子の力がもう少し、備わっていれば本筋が見えてきて価値観も変わるのでは〜とブツブツ。







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