もしかしたら本当に読みたい本ではないのか、他の雑事を後に回しても読みたい意欲が失せたのか、雑事が主役になってしまったのか?もう少し考えてみないとわからない。
旅友から電話がある。
県立美術館に教え子と行ってきたという。
美術館もすっかりご無沙汰である。
この旅友は、かつて私のピアノの先生、気づくとピアノはクビになり、海外旅行初体験の相棒へとチェンジしていた。
それからの10年間は、海外の主だった美術館を巡る、貧乏旅行の相棒となる。
Mは旅先で必ず生徒たちにハガキをセッセと書いていた。
この友とは、それ以来不思議な関係で、いい時期を一緒に過ごした思い出話しで満たされるために電話で話してる気がしてならない。
個人旅行での美術館巡りには思い出がありすぎる。
おなじ本を読んでも同じものを写真に撮るにも切り取り方が違う我々には、思い出が倍以上に膨らむ。
人生の10年間が尊い経験であったのだ。
そうとう昔のことなのに話題は新鮮である。
年を重ねるほどに得難い経験だったと気づかされる。
旅のスタートを切った頃、彼女は不幸のどん底にいて私は絶頂期にいた。
10年も早く退職し、退職後最初に出かけたのがパリ。
夜遅くに、パリに着いたので翌朝地下鉄から地上に出るまで何もみていない。
初めてパリの建築物が目に飛び込んできた地上の朝が忘れられない。
それがオペラ座であった。
そのことを知るにも時間がかかった。
案内者はいないのだから。
我々はその建物から離れられずに暫くいた。
誰かが導き、引き寄せてくれた最初のものがオペラ座だったことが大きな「意味」を持つ。
年を追うごとに「意味」が尊いものになってきていたのだ。
人生においての楽しみは、私にとり音楽と絵画と本と庭。
この10年間のわがままを許してくれる家族があったからこそ支えられた。
不幸のどん底に風穴を開けたMにも美術館巡りはターニングポイントであり、そこから人が変わってしまった。
まじめすぎて悩みの多いMから「ま、いいか」のMへと変化した。
長い髪を三つ編みにしたピアノの先生がバッサリショートに切っての再スタートだった。
今では記憶が遠のいて、探そうとしなければかき消えてしまうぐらい別の人である。
人の人生も私の人生も過ぎてみればおもしろい。
そろそろ県立美術館ぐらいには行ってみようかの気分をいただいたMからの電話であった。