福島の詩人和合亮一とのコラボ朗読あり、地元ミュージシャンave やJuni、地元の小学校合唱クラブの演奏もありだ。
沢田知可子は父親が会津出身、「福島市の観光大使」、そして「光りのしずく大使」になっているとのことであり
福島市には縁のある人物ということになる。
「会いたい」の歌の他、たいしたヒット曲があるわけではないが、その曲に生かされているような沢田知可子は、
人々の心を変える美しさを持って活躍しているように思えた。
会いたいの歌詞の中身が実話とすると、亡くなったその人は沢田知可子の中で永遠に生きて働いていることになる。
形のないその人の人生がどんなに多くの人の心を変え、癒してきているかと思えるのである。
映画、マザーウォーターも、独特の映画である。
スローな流れに乗る、ひとりひとりの過去の見えない今を生きている人間たちの日常。
一言呟く言葉にその人の命が輝く、過ぎてきた人生から零れるひとこと。
そんな言葉は、人の心を打つ。
その時、その人が求めている言葉となり、心に響き、凝り固まった心を溶かしてくれる。
そんな言葉が零れるのは、平凡な人生から生まれたりはしない。
不思議と辛酸をなめた人間の言葉は単純明快となる。
余計な物が削ぎ落とされた分かりやすい言葉となって新しく生まれかわる。
生まれ変わった言葉を理解し共感できる者は同じ道かすぐ近くを歩いてきたものでないと容易には判らない。
だから、うれしいのだ。人と呼応できるということが。
詩人、和合亮一が「間」ということを話した。
行間にある、そこに本当の心があると。
見えない言葉、言おうとする言葉、言えなかった言葉、そんな言葉で話せる人になりたいものだ。
夜中にメールが届いた。
一緒に映画を見た、仲間からだ。
夜中に起きだしたらしい。
私と同じだ。
私の打ったメール「間が魔にならないようにしたいね」に感動している。
これがわかるのは、私とTさんだけである。
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