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岡先生には大変失礼なものいいのようにも思うが許して欲しい。
大数学者にして教育による日本再生を願いつつ生きた人。
そして戦後の教育を憂い、「情緒」ということを盛んに訴えて命を閉じた真に「情緒の人」と私は解釈している。
人となる一番大事な、乳児期、幼少期の教育を疎かにしているのが我が国の今の教育である。
情緒とはこころ、それも美しいこころのことである。
岡潔のすごいところは、世界的に有名な大数学者が幼子に視点をおいて「情緒」を見つめ続け訴えたところだ。
自分の孫から聞き取った日常の会話文など著書には実名で示されてある。
全く正直にかいてある。
もし、彼が、昨今のニュースを聞いたなら、「ほら見たことか」とますます日本を憂うるだろう。
彼が生きていたら、彼は絶望とかすかな希望を持って教師たちや母親に「情緒教育}を訴え続けるのではないかと思う。
今の世の中、そういう「真の情緒」を説ける「情緒の人」はいなくなった。
明治を生きた人はどこかが違う。
そんな違いを、その時代に生まれた人の本を読むと感じられる。
清々しいというか、読んだ後に自分のこころまでもきれいになった気分になれる。
それは、日本人としての美しい心なのだと分かった。
明治を生きた片鱗を持つ四井の人たちからでさえそれは感じられた。
そのような人も本当に残り少なくなった。
その人々の言葉は、決して古いのではなく本物の日本人だと解る年齢になった。
今の人間を見ても、子どもたちの会話を聞いても「真に美しいままのこころ」に出会うことは少ない。
どこかへ置き忘れてきたか最初からなかったのか・・・。。
小さい子ども時代からでさえそうと感じる。
全く小さい体をした大人なのだ。
嘘の多い中で育っている。
岡潔は、孫の「情緒」を美しくするために「人を喜ばせるのはいい子、悲しませるのは悪い子」を繰り返した。
岡潔自身は祖父から「人の事を先に、自分のことは後に」と5歳から中学まで繰り返し言われて育ったという。
二つのことを現代の子供たちに教えただけでも世の中の悪いことは随分と減るのではないだろうか・・。
岡潔がどこかで言っていたが、戦前の教育から軍国主義を抜いた教育が一番いいと・・。
母がよく言う、「修身」この教育は日本人のこころを作っていたのだなあと今更ながら思う。
それは母の生き方が示している。
しかし、どうだろう。
戦後、お年寄りの教育は古いと言って大事にされなかった。
教師も価値観を180度転換せざるを得なかった。
そうして古い価値観を一掃し、新しいものが一番大事にされる時代を迎えた。
一番にヒビが入ったのは日本人としての元々あった美しい情緒である。
日本という土壌に新しいアメリカナイズされた教育が入ってきた。
母が受けた「修身」という教科、これだけでも残っていたなら・・。
これが敗戦ということなのかもしれない。
それにさえ気付かされないように日本人の価値観は音もなく変化し続けた。
「今の教育は違うんだ」と自信なげに話す大人が多くなり、混沌の中で育ったのが我々の世代であるように思う。
それを後押しするような風潮になっていたのだ。
それでも昔の教育を知っている世代がいるのはいい。
そういう戦後20年後あたりから私は子どもたちの大事な時期の教師となった。
その責任はいつも感じている。
戦後半世紀も過ぎてからようやく気づきつつあるのか・・。
岡潔が憂いていた60年後ということである。
テレビのニュースを見るといい。
目を覆いたくなるニュースばかりである。
日本国民は日に何度も不幸な同じニュースを見たがる。
マスコミはそういう視聴者に合わせ、手を変え品を変え視聴率のため、不幸を経済にかえて利益を得る。
岡潔が人の顔つきが変わってきたとよく言っていた。
女性が特に変わってきたというが、明治に生きていないのでよくわからない。
多分、大和乙女からかけ離れてきたという意味なのだろう。
私も乙女ではないが、岡潔に今、会ったとして自信を持って顔を見てもらえるとは決して思えない。
ただ、こころは濁りやすいので時々掃除してあげないといけないと思っているのだが・・?
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