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a green hand

夢をみた

夕べは疲れて早くねてしまった。

約半日を、高校の同級生と我が家で遊んだからだ。
3人の懐かしい友が来た。

震災後、Hさんから電話をもらった。
Hさんとは卒業以来一度も会ったことのない、何も知らない、私からすると
高校でピアノだけを弾いていた人という印象の同級生だった。

東京、仙台とピアノ教室で教え、3年前に両親の面倒をみるために
呼び戻されたという。

Hさんとの繋がりは、高校時代にわが家に泊まったことがあるという彼女の話。
すっかり忘れてしまい、記憶の曖昧さに愕然とする。

私とMさんは年賀状のやりとりだけをしていた。
HさんはMさんが接点で私に会いたくなって電話をくれたという。

もう一人は、大学卒業後、東京で就職し退職して故郷へ戻ってきたSさん。

この人の印象は、まるで男の子のような人。
よく喋るなあと、クラスでコミュニケーションのとれない当時の私は
Sさんには感心するばかりの人だった。

男の子らしい彼女の選んだ道は法科。職業は詳しく聞いていない。

Sさんとの接点は全くなかった。
Mさんを中心にやはり震災前後あたりからお付き合いが始まっていたという。

Hさんの電話から、一度食事をし、次回はピアノを弾くから皆で歌いましょうという希望で今回の会合はまとまった。

Sさんは、歌うのは苦手と言うが音楽大好きで私のクラシックCD、数枚を持ち帰った。
モーツァルトと歌曲集だ。

誰の歌かはわすれてしまったが何とか桂といった気がする。〈中沢桂
東京でのコンサートではお花係とか大変な惚れ込みであり、コンタクトも取れる関係らしい。

Sさんの好みで我が家にあったCDを聴く。
「魔王」の「夜の女王」の部分だけを聴いた。

Hさんのピアノ、ショパン嬰ハ短調をうっとりと聴いた。
本当にピアノだけを弾いてきたんだなと思った。

Mさんの歌を聴いた。
伸びやかで素敵な声だ。

Hさんの伴奏付きで、「落葉松」「千の風になって」「学生時代」その他を我々は歌わさせられた。

高校時代を彷彿とする、美しい午後の時間であった。

お出しした物は息子に前日、手伝ってもらい作ったチーズケーキと母に作ってもらったチラシ
寿司、そして私が作ったすまし汁である。

どちらも大変喜ばれ、高校時代以来のご無沙汰のツケを少しでもお返しできたことが
うれしかった。

Sさんがつぶやいた。「こっち帰ってきてこんな食事をしたのは初めてだよ」と。
たいした食事ではなかった。
でもその気持が分かった。





夢をみた。
Mさんの夢だ。

私はMさんとは高校時代によく彼女の話を聞いた。私も話した気がした。
憶えてはいないが深刻な話だったように思う。時々声をたてて笑う仕草はとても
可愛かった。
小柄でチャーミングなMさん、可愛いばかりではなく強さがあった。

そして、しばらくぶりで会った先日、どうしてこんなに暗い表情なのだろうかと・・。
ところが、しばらくぶりで私の知るMさんの表情に今回出会ったのだ。

あ~この顔。
楽しく歌ったり指揮したりしていたその表情をみた瞬間に、懐かしい私の知る
Mさんの笑顔に出会えた。
うれしかった。

40数年も過ぎればそれぞれにストーリーが出来上がる。
今日、我々は、その片鱗も語ることはしなかった。
後半部分、最終章への参加である。

暗い影をももつに至る人生の長さ、それが分かり合える年齢というのがいい。

チャーミングなMさんのその表情がきっと私の夢にまで出る結果となった。

思い出すことがある。
彼女は応援団でも活躍していた。

話したいことのみを話す主義が自然と現れていた。
話しても話しても切りがなく熱く今を語った。

主義主張の違いも苦にならない不思議さ。いつのまにか
高校のあの教室で意見の交換を続けていた、あの時代に繋がった。

昔と違うのは、私も仲間になって、聞き役だけなく話すこともできていたということ。

相変わらずHさんは放射能についての激論を聞きながら、われ関せずで、ショパンを弾き続けていた。
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