※「Peing(ペイング) -質問箱-」公式サイト
※私に質問を送りたい人は、こちら
登録者に対して、匿名で自由に質問を送ることが出来る「Peing(ペイング) -質問箱-」。
ここ最近、また質問をいただける回数が増えてきて、ありがたい限りです。
色々な質問を頂いたので、特に気になった質問をピックアップしていきますよ~。
◆ツイッターでの返答
ゲームの歴史には間違いなく名を残すでしょうけど、将来、教科書の歴史の本に載るのか?と言われると、どうなんでしょうね…。
例えば、任天堂の創立者とかのほうが、載る可能性が高いのかなって感じがします。
◆追記
革新的なゲーム機で任天堂の一時代を築いた、故・岩田 聡さん。この世を去って5年以上たった今でもなお、その偉大さを思い知らされます。
それでも、任天堂の歴史の一端にすぎませんし、人類の歴史の一端にすぎません。
そりゃまあ私としては、教科書に載せて欲しいほどの功績を残したと思っていますけどね…。10年後くらいとか、実はこっそり歴史の教科書に載っていたりしてくれると嬉しいです。
一方の宮本 茂さん。
テレビゲームの歴史とともに長く業界を渡り歩いてきた宮本さんのほうが、むしろ教科書に載る可能性は高いのかも…なんて思ったりします。
テレビゲームを語るうえで「マリオ」は絶対に外せない存在ですからね。それを生み出したという功績は、末代まで語り継がれるべきものです。
◆ツイッターでの返答
大型タイトルの牽引で、成功していたとは思いますけど、今ほどの成果にはならなかったでしょうね。
また、2年目には3DS LLが発売されているので、早かれ遅かれ、結局は値下げしていたのかもしれません。
◆追記
回答した後で、改めて思いましたけど…もし値下げしていないまま、2年目に3DS LLを発表したとしたら…どんな価格設定になっていたんでしょうか?
思えばニンテンドーDSの時代、長いこと本体価格の”値下げ”をすることなく進んできました。「初代DS」→「DS Lite」→「DSi」→「DSi LL」と発売され、価格は徐々に上がっていく。DSの大ヒットもあってか、まるでそれが「当たり前」なんて流れになっていたような気がするのです。
だとしたら…3DSは25,000円のままで、3DS LLを28,000円とかにしていた可能性も、あったのかもしれません。ちなみに、実際の3DS LL発売当時の価格は、18,900円でした。
あるいは、任天堂のゲーム機としての価格の”ボーダーライン”が25,000円だったから、そこまでは強気でいこう!っていう思いもあったのかもしれません。少なくとも据え置き型ゲーム機は、スーパーファミコン~Wiiまで、ずっと25,000円でしたので。
ただ、一家に一台の据え置き型ゲーム機と違い、欲しい人数の数だけ必要なのが携帯型ゲーム機ですからね…。
◆ツイッターでの返答
小学校では沖縄。
中学の時は、訳あって行けず。
高校では北海道の富良野。
専門学校の時は、東京と沖縄でした。
◆追記
特に思い出深いのは、高校の時の北海道と、専門学校の時の東京かな~。
高校では、確か3泊4日の研修旅行で、1日目は富良野まで移動して終了。
2日目と3日目は、どっぷりスキー場を満喫。
最終日は、約2時間の自由時間で札幌市内へ。適当なお店に入って札幌ラーメンを美味しく頂いたら、出る頃には行列ができていてビックリ!というのは、よく覚えています。
ちなみに、父親の実家が島根だったこともあり、この頃すでにスキーの経験あり。楽しかったですよ。今は滑れるか分からないけど(苦笑)
専門学校の東京旅行では、確か1日目に新宿のホテルでお泊まり。
2日目は「東京ドームシティ」を満喫。ただし、当時の私は、まだ「後楽園ゆうえんち」だと思っていましたが。
1日目に、同級生の何名かで夕食を食べに出たはいいけど、帰り道が分からなくなるという事態に。地図を読むのが苦手な人ばかりだったなか、私が地図を片手に先導し、なんとかホテルに帰れた時には、妙に感謝されました(苦笑)
※参考画像を引用※
その数年後。2006年に私は、初めて「東京ゲームショウ」に行くことに。
思えば、研修旅行で初めて東京に来たことが、良いきっかけになったのかもしれませんね。
◆ツイッターでの返答
影響された…とは少し違うかもしれませんが。
中学の時、友達の輪に入りたくて「遊戯王」を始めたのと、高校の時に同級生が持ってきて以来遊ぶようになった『ブラッディロア』シリーズかな〜。
◆追記
「遊戯王」は、中学3年生の時から始めました。
遊ぶためというよりは、友達の対戦を見ていて、なんとかんく試しに1パック買ってみようかな~って買ってみまして。
※参考画像を引用※
それでたまたま当たったのが、当時の激レアだった「真紅眼の黒竜( レッドアイズ・ブラックドラゴン ) 」だったのです。マジです。
これこそ運命。あそこで激レアを引いてなかったら、やってなかったのかしれないですね。
※参考画像を引用※
高校生になっても、同級生と遊ぶことが多かったですけど、高校3年の頃。その同級生がいつしか「ガンダムウォー」というカードゲームのほうを、よく遊ぶようになってきたので。その時もまた、それに合わせる形で「ガンダムウォー」を買うようになりました。
一応、『スーパーロボット大戦』シリーズのおかげで、多少の知識はありましたので。
ちなみに、当時の私の推しは「ガンダムX」の範囲兵器デッキと、「クロスボーン・ガンダム」の換装デッキでした。
※参考画像を引用※
そして、『ブラッディロア』シリーズ。
これ、知っている人は少ないと思いますが…かつてのハドソンが展開していた、3D対戦格闘ゲームです。
全てのキャラクターが「獣」に変身できる能力を持っており、変身することで能力アップ&技が変化するという特徴がありました。一方で、かなりの流血表現があるため、万人受けはしませんでした。
ある日、同級生がPS2『ブラッディロア3』を持ってきて、いきなり対戦しよう!ってなったんですね。
こちらは初めてプレイ…というか、存在も初めて知ったくらいだったので。そりゃまあ勝てるハズもなく。悔しいので、ソフトを借りて色々と練習していたら…とあるキャラの「覚えるのが大変だけど、ほぼ無限に可能なコンボ」というのを見つけまして。次に友達が遊びに来た時、その無限コンボでボッコボコにしたわけです(苦笑)
それ以降、ゲームキューブの『ブラッディロア エクストリーム』、PS2の『ブラッディロア4』と購入してきましたが、それ以降シリーズ展開されることはなく。
ハドソンが消滅した今、続編の可能性はゼロでしょうね…。
今回は、以上になります。
また質問がいただけたら、ブログでしっかり取り上げていこうと思います。どうぞよろしく~。
↓↓外部リンク↓↓
※ツイッター上で答えてきた、私の質問箱リスト
ツイッターで「@segmentgames #peing」と検索しただけのものです(苦笑)
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ここ最近、また質問をいただける回数が増えてきて、ありがたい限りです。
色々な質問を頂いたので、特に気になった質問をピックアップしていきますよ~。
◆ツイッターでの返答
ゲームの歴史には間違いなく名を残すでしょうけど、将来、教科書の歴史の本に載るのか?と言われると、どうなんでしょうね…。
例えば、任天堂の創立者とかのほうが、載る可能性が高いのかなって感じがします。
◆追記
革新的なゲーム機で任天堂の一時代を築いた、故・岩田 聡さん。この世を去って5年以上たった今でもなお、その偉大さを思い知らされます。
それでも、任天堂の歴史の一端にすぎませんし、人類の歴史の一端にすぎません。
そりゃまあ私としては、教科書に載せて欲しいほどの功績を残したと思っていますけどね…。10年後くらいとか、実はこっそり歴史の教科書に載っていたりしてくれると嬉しいです。
一方の宮本 茂さん。
テレビゲームの歴史とともに長く業界を渡り歩いてきた宮本さんのほうが、むしろ教科書に載る可能性は高いのかも…なんて思ったりします。
テレビゲームを語るうえで「マリオ」は絶対に外せない存在ですからね。それを生み出したという功績は、末代まで語り継がれるべきものです。
◆ツイッターでの返答
大型タイトルの牽引で、成功していたとは思いますけど、今ほどの成果にはならなかったでしょうね。
また、2年目には3DS LLが発売されているので、早かれ遅かれ、結局は値下げしていたのかもしれません。
◆追記
回答した後で、改めて思いましたけど…もし値下げしていないまま、2年目に3DS LLを発表したとしたら…どんな価格設定になっていたんでしょうか?
思えばニンテンドーDSの時代、長いこと本体価格の”値下げ”をすることなく進んできました。「初代DS」→「DS Lite」→「DSi」→「DSi LL」と発売され、価格は徐々に上がっていく。DSの大ヒットもあってか、まるでそれが「当たり前」なんて流れになっていたような気がするのです。
だとしたら…3DSは25,000円のままで、3DS LLを28,000円とかにしていた可能性も、あったのかもしれません。ちなみに、実際の3DS LL発売当時の価格は、18,900円でした。
あるいは、任天堂のゲーム機としての価格の”ボーダーライン”が25,000円だったから、そこまでは強気でいこう!っていう思いもあったのかもしれません。少なくとも据え置き型ゲーム機は、スーパーファミコン~Wiiまで、ずっと25,000円でしたので。
ただ、一家に一台の据え置き型ゲーム機と違い、欲しい人数の数だけ必要なのが携帯型ゲーム機ですからね…。
◆ツイッターでの返答
小学校では沖縄。
中学の時は、訳あって行けず。
高校では北海道の富良野。
専門学校の時は、東京と沖縄でした。
◆追記
特に思い出深いのは、高校の時の北海道と、専門学校の時の東京かな~。
高校では、確か3泊4日の研修旅行で、1日目は富良野まで移動して終了。
2日目と3日目は、どっぷりスキー場を満喫。
最終日は、約2時間の自由時間で札幌市内へ。適当なお店に入って札幌ラーメンを美味しく頂いたら、出る頃には行列ができていてビックリ!というのは、よく覚えています。
ちなみに、父親の実家が島根だったこともあり、この頃すでにスキーの経験あり。楽しかったですよ。今は滑れるか分からないけど(苦笑)
専門学校の東京旅行では、確か1日目に新宿のホテルでお泊まり。
2日目は「東京ドームシティ」を満喫。ただし、当時の私は、まだ「後楽園ゆうえんち」だと思っていましたが。
1日目に、同級生の何名かで夕食を食べに出たはいいけど、帰り道が分からなくなるという事態に。地図を読むのが苦手な人ばかりだったなか、私が地図を片手に先導し、なんとかホテルに帰れた時には、妙に感謝されました(苦笑)
※参考画像を引用※
その数年後。2006年に私は、初めて「東京ゲームショウ」に行くことに。
思えば、研修旅行で初めて東京に来たことが、良いきっかけになったのかもしれませんね。
◆ツイッターでの返答
影響された…とは少し違うかもしれませんが。
中学の時、友達の輪に入りたくて「遊戯王」を始めたのと、高校の時に同級生が持ってきて以来遊ぶようになった『ブラッディロア』シリーズかな〜。
◆追記
「遊戯王」は、中学3年生の時から始めました。
遊ぶためというよりは、友達の対戦を見ていて、なんとかんく試しに1パック買ってみようかな~って買ってみまして。
※参考画像を引用※
それでたまたま当たったのが、当時の激レアだった「真紅眼の黒竜( レッドアイズ・ブラックドラゴン ) 」だったのです。マジです。
これこそ運命。あそこで激レアを引いてなかったら、やってなかったのかしれないですね。
※参考画像を引用※
高校生になっても、同級生と遊ぶことが多かったですけど、高校3年の頃。その同級生がいつしか「ガンダムウォー」というカードゲームのほうを、よく遊ぶようになってきたので。その時もまた、それに合わせる形で「ガンダムウォー」を買うようになりました。
一応、『スーパーロボット大戦』シリーズのおかげで、多少の知識はありましたので。
ちなみに、当時の私の推しは「ガンダムX」の範囲兵器デッキと、「クロスボーン・ガンダム」の換装デッキでした。
※参考画像を引用※
そして、『ブラッディロア』シリーズ。
これ、知っている人は少ないと思いますが…かつてのハドソンが展開していた、3D対戦格闘ゲームです。
全てのキャラクターが「獣」に変身できる能力を持っており、変身することで能力アップ&技が変化するという特徴がありました。一方で、かなりの流血表現があるため、万人受けはしませんでした。
ある日、同級生がPS2『ブラッディロア3』を持ってきて、いきなり対戦しよう!ってなったんですね。
こちらは初めてプレイ…というか、存在も初めて知ったくらいだったので。そりゃまあ勝てるハズもなく。悔しいので、ソフトを借りて色々と練習していたら…とあるキャラの「覚えるのが大変だけど、ほぼ無限に可能なコンボ」というのを見つけまして。次に友達が遊びに来た時、その無限コンボでボッコボコにしたわけです(苦笑)
それ以降、ゲームキューブの『ブラッディロア エクストリーム』、PS2の『ブラッディロア4』と購入してきましたが、それ以降シリーズ展開されることはなく。
ハドソンが消滅した今、続編の可能性はゼロでしょうね…。
今回は、以上になります。
また質問がいただけたら、ブログでしっかり取り上げていこうと思います。どうぞよろしく~。
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