チャイコフスキー イオランタ
[La guerre des trois Henri]
ハンス・クナッパーツブッシュとジョルジュ・プレートルの
顔の違いをしかとは区別できない拙脳な私には、
進学の話はからっきしわからないが、最近は
高円宮家の姫さまがたや秋篠宮家の皇子さまなど、
皇室の学習院離れがすすんでるらしい。
***♪ソ●・<ラ●│>ソ●・<ド●、
・・>ソ●・<ラ●│>ソー・ーー、
・・<ラ●・ラ●│>ソー・<ラ、
・・ソ>ファ>・ミ>レ│<ミー・>ド●♪
フランス王ルイ13世が作曲したガヴォットである。
私には子も孫もいないので今も小学校の音楽で
これを縦笛で吹くのかどうかわからないが、
アマリリも有名な節である、森永のCMよりも。ともあれ、
このガヴォットの作曲者は最近では実は、
12歳のラヴェルがパリ音楽院でピアノを教わったという
Henry Ghysだっだった、などと言われてるらしい。が、
真偽はともかく、その名の不思議さ、に
私は惹かれる。なぜなら、フランス人らしいのに、
英語の名だからである。もっとも、
それだけだったら何の不思議もない。
ざらにあることである。が、そのスペルの
"y"を"i"に置換するとHenri Ghisと、
たちどころにフランスふうに変化するのである。
本人はそのことに気づいて、
このルイ13世の曲を採りあげたと私は推測する。
Henriはアンリ、g→h→iはアルファベの7→8→9番である。
その数字に意味はないが、連番であることが重要である。
ルイ13世はブルボン朝開祖であるアンリ4世の倅である。
アンリ4世はピレネーのふもと、ベレー帽発祥の地ベアルンのポーで
1553年に生まれたナヴァル王である。1年空くが、
1551年生まれがヴァルワ朝最後の王アンリ3世、
1550年出生がギーズ公アンリ、なのである。この
現役フランス国王(アンリ3世)を含む3アンリは、
王位を争って対立した。これを、世界史では
「3アンリの戦い」などと呼ぶ。今日観るAVは
野中あんり、鈴木杏里、星崎アンリ、のどれにしようかな、
などという私の拙頭の中のせめぎ合い程度の暢気さはない。
ギーズ公アンリ=狂信的カトリック。反中央集権派。
アンリ3世=カトリック。王権強化を計る。
ナヴァル王アンリ=プロテスタント(ユグノー)。
アンリ3世の母カトリーヌ・ドゥ・メディスィス(フィレンツェのメーディチ家の出)は、
カトリック派とユグノー派の融和を目指して、
娘マルゴー(マルグリット・ドゥ・ヴァルワ、つまり、アンリ3世の妹)を
ナヴァル王アンリに娶せる。が、このマルゴーは、
夫アンリとはソリが合わなかった。夫アンリ自体は
「好き者」で、愛人が何十人といたらしいが、
マルゴーとはエッチする関係ではなかったらしい。いっぽう、
マルゴーはギーズ公アンリとエッチ関係だっただけでなく、
兄ら(つまり、フランスワ2世、シャルル9世、アンリ3世)とも
近親エッチの関係だったという。ともあれ、
同じくカトリックといっても、穏健派もあれば
ギーズ公アンリのようにサン・バルテルミの虐殺を平気で行う武闘派もいて、
一枚岩ではなかった(それが、ナヴァル王アンリに有利にはたらいた)。
アンリ3世の不人気とは逆に、ギーズ公アンリはパリ市民に人気があった。
1588年、アンリ3世は和解をエサにして、不仲だった
ギース公アンリとその弟ルイ・ドゥ・ロレーヌ(ギーズ枢機卿)を暗殺した。が、
アンリ3世はその凶行でカトリック派の波紋を増大し恨まれ、
ローマ教皇からも破門された。そこで、ユグノーの
ナヴァル王アンリと手を結んだ。が、翌年、
面会を装ったドメニコ会修道士に短刀で腹を刺され、
サリカ法で女性は王位を継承できないことになってるフランス王位を、
妹婿である王位継承権第1位のナヴァル王アンリに渡して絶命した。
こうしてヴァルワ朝は絶えて、ナヴァル王アンリが
アンリ4世としてフランス王に即位、ブルボン朝が始まった。そして、
カトリックとプロテスタントの抗争の収拾を図って自らはカトリックに改宗、
1598年には「ナントの勅令」を発して、
ユグノーにもカトリック同様の権利を与えた。が、所詮、
アンリ4世は真にはプロテスタントなので、新旧抗争の火種は残ってた。
マルゴーと離婚したアンリ4世はメディーチ家のマリー・ドゥ・メディスィスと再婚。
1601年にのちのルイ13世が生まれた。王位継承者を生んだことで、
マリーはフランス宮廷内で権力を持つようになった。のちに、
倅のルイ13世と抗争するほどに。が、その抗争は
実の母倅とも思えぬ異様な程度だった。
余談であるが、チャイコフスキー最後のオペラ「イヨランタ」は、
盲目のイヨランタ(フランス語名ヨランド)姫が
ヴォーデモン(フェリ2世)の愛によって
自分が盲目であることを認識し手術の決意をして、
無事成功、ヴォーデモンと結ばれてアンジューの地を得る、
という話である。ヴォーデモンに嫁いだとき、
イヨランタはまだ16歳だったが、
キャプテンという二人組の侍女はいなかった。ちなみに、
イヨランタの年子の妹は英国王ヘンリー6世の后となった。
シェイクスピアの3部作「ヘンリー6世」に父ルネとともに描かれる妹は、
"she-wolf of France(フランスの雌狼)" and
"more inhuman, more inexorable(血も涙もない冷血漢)"
と罵られてる。ともあれ、上記の
ギーズ公アンリは、イヨランタとヴォーデモンの曾孫なのである。が、
この家系は1675年に断絶する。それが、
チャイコフスキーの「イヨランタ」の、大団円のはずの終曲に、
侍女らがイオランタに歌った子守歌の悲しいフレイズが
回想される所以である。
(「ほんとうのアマリリス(後篇)/ベラドンナ・リリーは6弁の花だから」に続く)