チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「昭和29年下半期芥川賞受賞作『アメリカンスクール』という駄作/小島信夫誕生から100年」

2015年02月28日 21時01分20秒 | 事実は小説より日記なりや?
小島信夫の小説には
リアリティのカケラもない。おそらくは
文章力がないことを逆手にとって、
意図的にそうした文章を書くように
努めてたのだろう。だから、
読者にはその"小説"なるものの
情景が浮かんでこない。同時受賞の
「プールサイド小景」の庄野潤三とは
対極をなす"芸風"である。
小道具も大道具もない、
アングラ芝居を観てるようにさせてるのである。
そこで描かれるものはもっぱら
登場人物の性根、人となりである。
「サザエ」の中のカツオのような浅知恵とセコサが
一般大衆にウケることを思えば、
編集者や同業者相手に小説を書いた小島の文章が
選考委員に認められたことは不思議でもない。が、
そうしたキャラクターが繰り広げる芝居は所詮茶番である。
気の利いたウィットやアイロニーを込めてるつもりなのだろうが、
それらはまったくシヨウモナイものばかりである。
センスのない低レヴェルのお笑い芸人がおサムいギャグを
(どうだ、おもしろいだろ)
とドヤ顔で押しつけてるかのようだ。
日本が戦って敗れたアメリカとは戦闘せずに済む
楽な兵役で生き延びた小島の、
アメリカへの皮肉も辟易とする。
戦争で日本のために命を落とした方々を愚弄してるに等しい。
中学生のときに新潮文庫の「アメリカンスクール」を読んで
現代作家(当時、小島は生きてた)の小説を読むことの無意味さを教えられた、
ということでは有意義だったとはいえる。
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「メンデルの法則発表から150年、および、長塚節没後100年(『土』とオノマトペ)」

2015年02月08日 19時16分31秒 | 事実は小説より日記なりや?
現在のチェコ、モラヴィア地方のブルノのカトリック教会の司祭だった
(Gregor) Johann Mendel(グレゴアは修道士名、ヨーハン・メンデル、1822-1884)
がブルノの科学研究会でいわゆる「メンデルの法則」を発表してから
150年の日にあたる。現在の
遺伝学の祖となった研究成果である。
自説に都合のいいようなサンプルを採ったが
結果として正しかったことは、最先端の科学は
科学的根拠・裏付けや先例だけでは突破できず、
研究者の感に依るところが大きいことの一例である。

ある遺伝形質を優劣で分かてば、
減数分裂する生殖では
優優 優劣 劣優 劣劣
という組合せができる。このとき、
劣劣のみが他と異なる形質が現れることになる。
メンデルは自分の研究に都合がいいエンドウマメを素材とした。
私は崎陽軒のシウマイや町の来々軒のチャーハンに
グリーンピースがのっかってるのも非難はしないが、
某人種差別主義者で低能ながら悪質テロリスト集団は
遺伝子組み換えエンドウマメを目の敵にするかもしれない。

ちなみに、
MendelとはMenahem(メナヘム)と同義のユダヤ由来の名で、
「ユダヤ同胞を慰める者」
という意味である。
ヨーハン・メンデルは農家の倅だった。本日はまた、
短歌作者・小説家の
長塚節(ながつか・たかし、1879-1915)の
没後100年の日にあたる。長塚は
茨城県の農家に生まれた。
東京とその周辺県の建物は探訪してなかったが、
喉頭結核を治療してくれる医者・病院を
いくつも訪ね歩いた。

その唯一の長編小説「土」は、明治時代の
茨城の農家一家の日常を描いた作品である。
漱石が推挙して、まだ反日左翼売国メディアになる前の
朝日新聞に連載された。
タイトルからも想像できるとおり、
泥臭い文体で綴られてる。が、この「土」は
あまたのオノマトペがちりばめられた小説としても知られてる。
明治期の日本の貧農の話で
エンドウマメ(pea)は作られてないので、
こどもの我慢してたおしっこが勢いよくしゃあしゃあと飛んだ、
みたいな表現はもちろん出てこない。

冒頭の段落はこうである。

<烈しい西風が目に見えぬ大きな塊を【ごうつ】と打ちつけては
又【ごうつ】と打ちつけて皆痩こけた落葉木の林を一日苛め通した。
木の枝は時々【ひう/\】と悲痛の響を立てゝ泣いた。
短い冬の日はもう落ちかけて黄色な光を放射しつゝ目叩いた。
さうして西風はどうかすると【ぱつたり】止んで終つたかと思ふ程靜かになつた。
泥を拗切つて投げたやうな雲が不規則に林の上に凝然とひつゝいて居て
空はまだ騷がしいことを示して居る。
それで時々は思ひ出したやうに木の枝が【ざわ/″\】と鳴る。
世間が俄に心ぼそくなつた。>

そして、この小説の結びはこうである。

<「誠にどうもお内儀さん」
彼は財布を帶から解いて出した時酷く減つて畢つたやうに感じて、
其の財布を外から一寸見て首を傾けた。
彼は又財布の底の錢を攫み出して見た。
燒趾の灰から出て青銅のやうに變つた銅貨は
【ぽつ/\】と燒けた皮を殘して鮮かな地質が剥けて居た。
彼はそれを目に近づけて暫く凝然と見入つた。
彼は心づいた時俄に怖れたやうに内儀さんを顧つて
【じやらり】と其の錢を財布の底へ落した。>

冒頭は「風」を描写するオノマトペが重ねられ、
女房の死を予告してる。
結びでは火事で焼けてしまった住まいの焼け跡に残ってた
銅貨(銭)の焦げた状態とそれ他の銭とぶつかる金属音のオノマトペで
締めくくられ、この小説が終わる先も貧農勘次の
「貧しさ」が続くことを予告してるのである。
オノマトペは言語表現のプリミティヴな形態である。
「土」という小説に相応しいともいえる。
その泥臭い文体とオノマトペ多用もあいまって、この小説は
読みづらい。しかも、案外に長い。いずれにしても、
しいんと残像が続くような後味のする小説である。
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「怪盗ルパンとエルロック・ショルメ/モーリス・ルブラン生誕150年」

2014年12月11日 15時15分24秒 | 事実は小説より日記なりや?
メキシゴ輪が行われた、私がガキの頃、
母方の祖父が死んだ。そのときが
死者の姿を間近に見た初めての体験だった。
この前までお小遣いをくれてた人がいま、
鼻孔に綿を詰められて目の前で動かず横たってた。
(死んでる……)

話は変わるが、
ドイツ語で「こけら葺き屋根」の「こけら」のことを
Schindelという。そして、こけらの
屋根葺き職人を Schindlerという。
ドイツ語系の人にはそれをサーネイムにしてる家系も少なくない。
金杉橋近くのマンションで高校生が自転車とともに巻き込まれて
死んでるのが発見された事件があったが、
スイスの昇降機会社の名もこれにちなんでる。
本日は、
Alma Mahler(アルマ・マーラー、1879-1964)として知られる
Alma Schindler女史の没後50年の日にあたる。

ときに、
「死んでる」の反意語は「生きてる」、
かもしれない。
♪ぽ~ぷらはみんな、い~きている。
いき~ているから、たの死んだ♪
というアンパンマン的ウィットに富んだ歌詞の童謡があるが、
現在は自費出版商法に転じたポプラ社が、
メキシゴ輪が行われた、私がガキの頃、
子供向け「ルパン全集」の改訂版を順次発行してた。
「水嶋ヒロkagerou全集」ではない。
水嶋シロならLe blanc(白)かもしれないが、ともあれ、
私はその全集が一冊ずつ刊行されるごとに買って読んでた。
Lupin(リュパン)は、今日が生誕150年の日にあたる、
純文学作家をめざしてた
Maurice Leblanc(モリス・ルブロン、1864-1941)、いわゆる
モーリス・ルブランが創造したキャラクターで、
狼類という意味のラテン語lupinus(ルピーヌス)からの造語である。

子供ごころには充分楽しめたが、
同時期に読んでたドイルの「シャーロック・ホームズ」のほうが、
事件モノとしては記憶に残った。そのホームズであるが、
ルブランは自作に他作家の創造キャラである"ホームズ"を登場させてる。
当時の子供向け全集には入ってなかった
"Herlock Sholmes arrive trop tard"
(エルロク・ショルメ・アリヴ・トゥロ・タル)
「(邦題)遅かりしシャーロック・ホームズ(遅すぎたシャーロック・ホームズ)」
である。シャーロック・ホームズをもじってエルロック・ショルメ。ショルメじゃなくて
ショーメだったら宝飾品をごっそり強奪されてしまいそうである。
ともあれその中に、
「言葉」がキーとなってる箇所がある。

(原文……アクサン記号は省略)
---En quoi, Seigneur?
---Dame! L'H tournoie, l'R fremit et l'L s'ouvre...et c'est ce qui a permis a Henri 4 de recevoir Mlle Tancarville a une heure insolite.
---Mais Louis 16? demanda Devanne, abasourdi.
---Louis 16 etait un grand forgeron et habile serrurier. J'ai lu un Traite des serrures de combinaison qu'on lui attribue. De la part Thibermesnil, c'etait se conduire en bon courtisan, que de montrer a son maitre ce chef-d'oeuvre de mecanique. Pour memoire, le Roi ecrivit : 2-6-12, c'est-a-dire, H. R. L., la deuxieme, la sixieme et la douzieme lettre du nom.

(拙カタカナ発音)
(……アン・クワ、セニュル?
……ダム! エルラシュ・トゥルヌワ、エレル・フレミ、エ・エレル・スヴル……エ・セ・ス・キ・ア・ペルミ・ア・オンリ・キャトル・ドゥ・ルスヴワ・マドゥムワゼル・トンカルヴィル・ア・ユナル・オンソリト。
……メ・ルイ・セズィエム? ドゥモンダ・ドゥヴァンヌ、アバスルディ。
……ルイ・セズィエム・エテトン・グロン・フォルジュオン・エ・アビル・セリュリエ。ジェ・リュ・アン・トレテ・デ・セリュル・コンビネゾン・コン・リュイ・アトリビュエ。ドゥ・ラ・パル・ドゥ・ティベルメニル、セテ・ス・コンデュイル・オン・クルティゾン・、ク・ドゥ・モントレ・ア・ソン・メトル・ス・シェドゥヴル・ドゥ・メカニキ。プル・メムワル、ル・ルワ・エクリヴィ:ドゥ-シス-トゥズ、セタディル、アシュ。エル。エル。ラ・ドゥズィエム、ラ・シズィエム、エ・ラ・ドゥズィエム・レトル・デュ・ノン。

(拙大意)
「どういうことですか?」
「ご覧になっているとおりですよ。H(アッシュ=斧)は回転する、震える(エール=空)に、L(エル=翼)は開き……こうして、アンリ4世は夜中のとんでもない時間にタンカルヴィル嬢を迎えることができたわけです」
「では、ルイ16世は?」と、あっけにとられたドヴァンヌは尋ねた。
「ルイ16世は、鍛冶や錠前作りに関しては相当な腕前だったといいます。王の著書とされる『組合せ錠前論』 を読んだことがありますよ。ティベルメニルの城主にしてみれば、この見事な仕掛けを主君に披露することは、臣下として当然の務めだったというわけです。王は忘れないように、2-6-12とメモしました。つまり、 Thibermesnil(ティベルメルニル)の2番目、6番目、12番目の文字、H、R、Lのことです」

(註)
Seigneur=様、Dame=(間投詞)もちろん、そうだ、chef-d'oeuvre de ~=~の傑作

The Sovereign reigns but does not govern.
(ダ・ソブリン・レインズ・バット・ダズ・ノット・ガヴァン.)
サリカ法を奉じない英国王のようには君臨すれども統治seize、
でなかったためか、ギロチンにかけられてしまった
ルイ16世が、「錠前オタク」だったことは史実である。

ともあれ、
この「遅かりしシャーロック由良之助」には、こんな一節もある。

(原文……アクサン記号は省略)
Monsieur Devanne, tout le monde n'est pas apte a dechiffrer les enigmes.
(拙カタカナ発音)
(ムスィュ・ドゥヴォンヌ、トゥ・ル・モンドゥ・ネ・パ・アプトゥ・ア・デシフル・レゼニグム。)
(拙大意)
「ドゥヴォンヌさん、誰もが謎を解けるわけではありませんよ」
(註)
apte a 不定詞=不定詞の能力がある、dechiffrer=解読する

人には向き不向きがあるものである。純文学よりも、
ルブランには娯楽大衆小説が向いてたのである。
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「ヘスター・プリンのAdulteryとスカーレット・オハラのNarcissism/ナサニエル・ホーソーン没後150年」

2014年05月19日 23時16分41秒 | 事実は小説より日記なりや?

ホーソーン没後150年


我が頭髪の後退ぶりはHAGE and WAZKAであり、
その中身の脳は、藤波辰巳と左とん平の顔を
瞬時には判別できないほどの拙脳であり、
ヤクも嗜めないたちなので芸術的才能も皆無である。
一昨日、日本の歌謡界でヒットを飛ばしてきた
歌謡歌手が覚醒剤所持容疑で逮捕された。
相方やファンはけしからん、がっかりだよ、
みたいなことを言ってるようである。が、
歌謡歌手や歌謡曲作家も"アーティスト"のはしくれである。
音楽のおの字も解さない一般大衆に
本当の鮨を知らない人々にも代用魚で
"すし"を垣間見せてくれる
回転寿司屋のようなものなのである。が、
凡人が作る歌謡曲を聴いてもありがたみは稀薄である。
メンヘラだから、ヤク中だから、社会不適合人格だから、
常識とは無縁な人物が他には自己表現できない手段だからこそ、
そういった"楽曲"に価値があるのであって、
週一のゴミ出しをせっせと行うご近所ウケもいい
イクメンの男が作ったきわめて常識的な"楽曲"に
何のありがたみがあるというのか。
クスリで命を削ってまでも大衆の心をとらえる、
いわば"魂を売った"外道が"楽曲"を産み出すからこそ
一般常識人の大衆にとっては奇特な存在なのである。
回転寿司屋でもごくまれにでも
大間のマグロを一皿100円で出してくれる
非常識な男だからこそ価値があるのである。
身銭を削ったにせよ、強奪してきたものにせよ。

本日は、米国の作家、
Nathaniel Hawthorne(ナタニエル・ホーソーン、1804-1864)
の没後150年の日にあたる。10代のガキの頃、
積極的に読んだ作家の一人である。といっても、
好きだというわけではない。
幼稚園と小1まで給食に脱脂粉乳を飲まされた敗戦国のガキ心に、
戦勝国アメリカを知るよすがとして選んだ作家なのである。
レコンキスタを終えたスペインおよびポルトガルによる、
イエズス会を先鋒とするカトリックによる世界制覇の野望は、その途上に、
プロテスタントのオランダ、そして、英国、さらには米国と、
覇者は変われども、キリスト教民が成し遂げた。現在、
世界をリードしてるのは、民族や宗派は異なれども、
キリスト教国家なのである。
政教分離・三権分立という建前があるにも関わらず、
英国王の即位、米国大統領の就任において、また、
一般民の裁判でも、キリスト教の聖書のもとに誓いをたてる。

たしかに、建国当時はまだ
宗教(キリスト教)によって国を統治することが
もっとも効率的だったかもしれない。が、
いずれはその"効力"も途切れるときが来る。ことに、
ネット時代になった現在、
宗教を隠れ蓑にした非科学やオーラは
一気に通用しなくなってしまってる。
"あの世"などないことは、
まともな神経をしてれば幼稚園児にでも解る。が、
そうした反面、もともとキリスト教のまやかしに乗せられない
日本人は現代ではかえって、疑似科学に対する警戒心も薄い。
みのもんたの番組で何々がいいと放送すれば、
たちまちスーパーからそれが品薄になった時代とさほど違わず、
"放射能が除去できる○○"
の類を信じて買いこむむきが未だに少なくない。
ABO式血液型で人格を区分する愚はおそろしく深く浸透してる。

ホーソーンは自らの出自をメイフラワー号時代に遡る、
アメリカ建国を担ったと自負するピュアリタンである。さらに、
ホーソーンは4歳のときに父を亡くしてる。
幼少期に親が欠如すると、
片親の価値観漬けにされ、あるいは、
祖父母のような隔世世代の価値観を押しつけられるため、
きわめて偏狭な価値観の持ち主になることがある。また、
片親もしくは両親がいないことでその成長過程において
艱難辛苦を味わうと、反社会性の精神が植えつけられる、
という場合もままある。が、
両親が揃ってても、その二人の価値観が、
宗教や政治信条で結ばれてるものだったりすると同じことである。
ケチの子はケチになり、反権力思想の子は反権力思想の持ち主になる、
といったことは往々にしてある。

ホーソーンの代表作である
"The Scarlet Letter(邦題=緋文字)"(1850年)
は、現在でも米国の一般的教養人の間では知らぬ者がないほど、
"スタンダード"となってる古典文学である。
女主人公Hester Prynne(ヘスター・プリン)は、
親の借金のためにヒヒジジイと結婚させられた。そして、
その男の行方が知れなくなって死んだと思われた時期に、
ヘスターは生物の本能によって欲した男と情交をもった。そして、
女の子を出産し、Pearl(パール)と名づけた。
リメンバー・パールちゃん、である。

キリスト教プロテスタント清教徒が支配するボストンの社会はそれを許さなかった。
ヘスターを裁判にかけ、死罪を要求した。が、
"特段のご慈悲"によって数時間の"晒し"と、
一生涯、胸にA文字を縫いつけた衣装を身につけて暮らす、
という裁定が下された。"A"とは、
"adultery(アダルテリ=姦通女)"
という意味である。江戸時代の日本でも、
"姦通"した者への処罰はおおむねそんなものだった。ちなみに、
キリスト教信者と日本人の倫理観の肝の差異は、
前者が罪悪への神からの赦しの可否にあるのに対して、
後者は当事者または"ご近所"もしくは"世間さまの目"
による禊ぎの可否にある。

それはさておき、
ヘクターは夫が死んでるという認識の上で他の男と交わったのであり、
一般的な不義密通とは性質が異なる。それでも、
"法"はヘクターの行為を罪として処罰するのである。
法律は守らなければならないものであるいっぽう、
法律が正義になじまないことも少なくない。また、
真実は第三者には知る由がない。そこで、
陪審員制度が敷かれるのである。が、
現実には真実よりも"いかに陪審員が真実と信じるに足るか"
が重要となるのである。よって、
判断の決め手となる"信じるに足る"証拠が揃ってるほうに人は傾く。
だから、英米の刑事裁判の場合、
"Guilty"(有罪)あるいは"Not Guilty"(非有罪)であって、
「有罪」あるいは「無罪」ではないのである。

ホーソーンの"The Scarlet Letter(邦題=緋文字)"の終いは、
こう結ばれてる。
(ヘスターの墓碑にはこう刻まれてる、という前振りに続いて)
"ON A FIELD, SABLE, THE LETTER A, GULES"
(オンナ・フィールド、セイブル、ダ・レター・エイ、ギュールズ)
「(拙大意)紋章の地は黒色、そこにAの文字が紅色で」
(field=紋章の地、sable=紋章の黒色、gules=紋章の紅色)

このgulesという紋章における色は一般的な色の呼びかたでは
scarlet(スカーレット)である。だから、
この小説のタイトルは「ザ・スカーレット・レター」なのである。では、
"scarlet"の原義は何かといえば、
言語学的にはペルシャ語由来だろうということで
それ以上は定かでないらしい。が、私見では、
西欧キリスト教社会では、そのペルシャの邪教の拝火教における
「炎の色」であることから蔑まれることになったと推察する。
それがまた、
コロンブス一行が西インド諸島から持ち帰った梅毒の
「瘡」と重なった。梅毒に感染すると、その第二期に
ジベル薔薇色粃糠疹のような赤い発疹症状を呈する。さらに、
第三期には皮膚の腫瘍で赤い瘡だらけになる。
こうしたことから、
性病に罹患しやすい売春婦、淫売女のような
ふしだらな女という意味で、
身持ちの軽い女性を"scarlet"という符牒で蔑んだのである。ちなみに、
色としてのscarletは日本でいう緋色とはまったく異なるので
実際には「緋文字」という邦題は正しさを伝えてないことになる。

さて、
米国映画"Gone with the Wind(風と共に去りぬ)"
は史上最高の映画とみなされてる。主人公Scarlett O'haraが、
希望を失わず一人の女性として未来に向かって立ち上がる姿を描いた、
という美談としてとらえられてる嫌いがある。が、
その実態は、"火病"ともいえるスカーレットのアシュリーへの偏執的恋慕と自己中な性根、
そして、それにも関わらず思いどおりにならない世の中、しかし、
そんな自分には関係なく世界は立ちゆくのだ、という、
マーガレット・ミッチェル女史の自尊心に満ちた人格と
負け犬としての実体験で屈折した諦観が表出した、
一般読者が本来共感などしない類の自伝的小説なのである。

ミッチェル女史はフェミニズム活動家の母親の顔色を常に窺って少女時代を送った。
弁護士業で多忙な父親の存在は稀薄となる。片親の子と同じである。
子供のときの落馬体験が、自信過剰が引きおこす失敗にとらわれ、
小説の中でもスカーレットの父の落馬死だけで事足りず、4歳の娘までも
同じく落馬で死ぬというプロットを採らせた。そして実際に、
ミッチェル女史は不注意で道を横切って車にはねられて
48歳の生涯を終える。

ともあれ、
ミッチェル女史がそのやや短めな生涯に唯一書いた小説の主人公の名を
"Scarlett"としたのは、ホーソーンの
"The Scarlet Letter"を意識してのものだと私は感じる。
スカーレット・オハラは(少なくとも小説の終わりの時点では)3度結婚した。が、
そのいずれもスカーレットが生物の本能として惹かれた相手ではなかった。
アシュリーへの当てつけや打算である。そういった意味において、
自己中多淫症なスカーレット・オハラの身持ちは"scarlet(ふしだらな)"なのである。

17世紀前半の、まだできたばかりの町だったボストンの
ピュアリタンらによって断罪されたヘスターには、
胸に姦通女を意味する"A"の文字を縫いつけた服を着ることが義務づけられたが、
20世紀、そして21世紀のボストンでは、
紺地に白縁附きの赤い文字"B"が貼りつけられたキャップの
レッドソックスが、市民のアイデンティティを確認する小道具となってる。
その"B"は"Boston"の頭文字であって、
"Bitch"を表してるわけではないらしい。
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「アウル・クリーク橋の翻訳で生じた事/アンブローズ・ビアス失踪から100年」

2014年01月02日 22時24分51秒 | 事実は小説より日記なりや?

アンブローズ・ビアース アウルクリーク橋


新年である。
英語で「年」をこのように定義した作家がいた。
"year(noun):a period of three hundred and sixty-five disappointments"
(イア(ナウン):ア・ピリアド・オヴ・スリー・ハンドレッド・アンド・スィクスティ・ファイヴ・ディサポイントマンツ)
「(拙大意)年(名詞)=期待を裏切られる日が365回積み重ねられた期間」
この"The Devil's Dictionary(悪魔の辞典)"で知られる米国の作家、
Ambrose Bierce(アンブロウズ・ビアス、1842-?)が、
1913年12月26日以降の消息がわからなくなって100年が経った。
かつて北軍兵として関わった南北戦争の旧戦場を巡る旅に出て、
やはり内戦中のメキシコのチワワで行方がわからなくなったとされてる。
ビアスは私が中学生のときにヘミングウェイ、フィッツジェラルド、
O ヘンリー、ドライザー、ホーソーンなどと並んでよく読んだ米国作家の一人である。
ヘミングウェイやフィッツジェラルド同様、つねに「死」の影がちらつく芸風である。おそらく、
幼少期に相応のトラウマを親から負ったのだろう。

が、
この人物もまた現在の日本では振り向かれることが
ほとんどない作家である。その代表的短編、
"An Occurrence at Owl Creek Bridge"(1890年出版)
(アナカーランサッタウル・クリーク・ブリッヂ)
「(拙大意)アウル・クリーク橋で起きた事」
でさえ、その訳本がほとんど出てない。出てたとしても、
例によって誤訳ばかりである。ので、
yearとearの発音の違いをいい年して判別できる耳を持たない拙脳なる私など、
英語の原文をチンプンカンプンのまま読むしかないありさまである。

冒頭の、
"A man stood upon a railroad bridge in northern Alabama,
looking down into the swift water twenty feet below. "
の"(a )railroad bridge"からして、まともに訳せない輩ばかりである。
これは広義の「鉄橋」の「鉄道橋」であって、けっして
「鉄の橋」ではない。だから「鉄橋」と訳してしまうと、
ビアスが新聞記者だったからといって、
♪今は山中、今は浜♪
と福島浜通を突っ走ってる気になってしまう。が、
これは米国はアラバマ州のお話である。だいたい、
南北戦争時の米国の田舎の鉄道の橋が「鉄製」なはずがあるものか。
蓬莱橋ほどの長さはないとしても、
「木製」の鉄道橋以外、考えれるはずもない。第一、
鉄製の橋だったら有事のときに容易に断ち落とすことができない。第1文に続く、
"The man's hands were behind his back,
the wrists bound with a cord.
A rope closely encircled his neck.
It was attached to a stout cross-timber above his head
and the slack fell to the level of his knees."
を読んでも一目瞭然、"a stout cross-timber"は、
「堅固な木組み」である。この場合のtimberは
単数形であっても単数を表してるわけではない。
cross(十字。交差)という名詞とハイフンで結んで、
複数の木材が"組まれた状態"になってることを表してるのである。
この部分だけが木材でレイルの下の橋桁だけが鉄製であるはずがない。

このことはこの短編小説の最後にも響いてくる。
"Peyton Farquhar was dead; his body, with a broken neck,
swung gently from side to side beneath the timbers of the Owl Creek bridge."
(ペイトゥン・ファークワー・ウァズ・デッド;ヒズ・バディ、ウィザ・ブロウクン・ネック、
スワング・ジェントリ・フロム・サイド・トゥ・サイド・ビニース・ダ・テンバーズ・オヴ・ディ・アウル・クリーク・ブリッヂ)
「(拙大意)ペイトン・ファークワーは死んだのだった。死体は、首が折れ、
静かに左右に揺れてた、アウル・クリーク橋(梟川橋)の木組みの下で宙吊りになって」
なのだが、貶日左翼の岩波文庫の訳など、
<ペイトン・ファーカーは死んでいた。首の折れた、彼の体は、
アウル・クリーク鉄橋に流れ集まった材木の下で、右に左にゆっくりと揺れていた>
などと臆面もなく誤訳ってた。驚きである。
鉄橋には磁気でも帯びててしかも橋の下の川に
材木がて集まったみたいなことを言ってる。もしくは、
小説途中の走馬燈の幻想のように、
ロウプが切れてペイトンの体が川に落ちたまま流木の下、つまり、
水中で<右に左にゆっくりと揺れて>た、とでも言ってるのだろうか。
Creekって小川なので、水深が何mもない川なのに、である。仮に、
充分な水深があったとしよう。としたら、
ロウプが切れて川に落ちてまだその場で淀んでるということだから、
首が折れてるというのはおかしい。それに、
the swift water(急流)と真っ先に描写されてるのだから、水中で死体が
<右に左にゆっくりと揺れ>るなんてことは不可能である。ただし、
急流なのにthe swirling waterだとも言ってて、
流木が淀んでる、という箇所もあるにはある。が、
仮に緩流箇所があったとしても、
淀んでる流木が上下に浮き沈みすることはあっても、
<右に左にゆっくりと>なんては揺れはしない。しかも、
<流れ集まった材木の下で、右に左にゆっくりと揺れて>
ると言ってるので、はたして、
材木のに邪魔されて下の死体は見えるのだろうか。
観測者はダイヴァーでしかありえなくなってしまう。
奇妙奇天烈な誤訳であるばかりでなく、
銭を払って買った読者を小馬鹿にしてる。かように、
貶日左翼出版社やマスコミというのは
「朝鮮人従軍慰安婦強制連行強制労働」だけでなく
文学作品においても「ウソを伝える」ことを稼業にしてるのである。
絞首刑死体が首に巻かれたロウプで振り子のように
左右にゆらゆらとしてる哀れな光景を
抑えた感情で描いてるのに、である。

いっぽう、
誤訳の達人に訳させた"新訳"もので
無垢な若者らを煙に巻いて儲けてるらしい光文社のは、
<ペイトン・ファーカーは死んだ。
首の折れた死体がアウルクリーク橋から下がって、
右に左にゆらゆら揺れた。>
である。こちらはさすがに原作者に断りもなく
"材木を集めたり"はしてないが、
"the timbers of the Owl Creek bridge"
の箇所をただ<アウルクリーク橋>とだけにして逃げてしまってる。そして、
swungをただ1周期だけ揺れた、としてる。
swingという動詞は
「右に振れて左に振れて真ん中に戻る」という周期=揺れを
「揺れを継続的に表す」ものである。というより、
振り子のおもり(ここでは死体)は振れたら1周期だけで止まる、
ということは、何らかの外力が加わらないかぎりありえない。
たとえば、誰かが手で押さえて揺れを止めるとか。
まったくセンスのかけらもない翻訳である。
この小節の冒頭からして、
<鉄橋に立つ男がいた。橋はアラバマ州北部の川にかかり、
六メートルほど見おろす水の流れが速い。>
である。なんともぎこちない日本語である。

この短編は、
冒頭の
"It(=a rope) was attached to a stout cross-timber above his head"の
"above his head"(彼の首の上の=首と木組みは離れてる)の
"above"と、
終いの
"(his body,)beneath the timbers of the Owl Creek bridge"の
"beneath the timbers of the Owl Creek bridge"
(アウル・クリーク橋の木組みの下(の死体)=死体と木組みは離れてる)の
"beneath"が、
主体を替えて上下反対方向から描写されてる、という
ビアスの計算された修辞なのである。
コメント (2)
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