本日は、西洋歌曲の訳詞家、
近藤朔風(こんどう・さくふう、本名=逸五郎、1880-1915)の
没後100年にあたる日である。
朔風の実父は、出石藩仙石家の儒官の家に生まれ、
維新後には明治政府官僚となって
現在の気象庁の設立に関わった人物である。
そのためか、逸五郎は
冬場の天気予報によく出てくるタームである
北風を筆名に用いた。
「なじかは知らねど心わびて」
「泉に沿いて茂る菩提樹」
(「シューベルト『Der Lindenbaum(菩提樹)』歌詞篇/フィッシャー=ディースカウの死にあたって(2-1)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/24729c8924e04025f98f68e8164ecd35 )
「わらべは見たり野中の薔薇」
など、そうした「訳詞」の歌が
音楽の教科書に載ってた時代に育った
私のようなものには海馬に刻まれてる。
それが、ときおり、昭和の懐かしさとともに
呼び覚まされる。
ギョエテの詩"Heidenröslein(ハイデンレースライン)"の
訳詞「野ばら」は以下のようなものである。
"Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell, es nah zu sehn,
Sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
Knabe sprach: ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!
Röslein sprach: ich steche dich,
Dass du ewig denkst an mich,
Und ich will's nicht leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
Und der wilde Knabe brach
's Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
Half ihm doch kein Weh und Ach,
Musst' es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden."
(Knab'=Knabe、Sah's=sah es、will's=will es,
Musst'=Musst es、's=das)
[童は見たり、野中のばら。
清らに咲ける、その色愛でつ、
あかずながむ。紅におう、野中のばら。
手折りて行かん、野中のばら。
手折らば手折れ、思い出草に、
君を刺さん。紅におう、野中のばら。
童は折りぬ、野中のばら。
手折りてあわれ、清らの色香、
永遠にあせぬ。紅におう、野中のばら。]
きよらかに咲いてるかわいらしい野ばらを
愛でてたと思ったら、この
わらべはなんと、
「摘んじゃおうかなぁ……」
とか言って。そしたら、
野ばらも負けじと、
「折ってもいいけど、そのかわり棘刺しちゃうわよ!」
とやりかえす。
欽ちゃんでなくとも、
「どこまでやるの!?」
と訝ってしまう。が、
わらべは野ばらを手折ったのである。
男のエクスキューズとして、
そのまま野に咲いてても、
美しいのは何日かで、
やがて色褪せ、枯れてしまう。
だからいちばん美しい今、
その姿のまま摘んだのさ、
という女たらしゲーテらしいものである。
それを朔風はオブラートにつつんで
うまくまとめたのである。
そのペンネイムどおり、
北風がぴいぷう言う時期に34歳の若さで死んだ。
(シューバートではなく、やはり同時代に同じような年齢で死んだ
Heinrich Werner(ハインリヒ・ヴェルナー、1800-1833)の
「野ばら」を混声4声のアカペラにアレンジしたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao_15/werner-heidenroslein-without-words-arr-for-choir-kamomeno-iwao
にアップしました)
近藤朔風(こんどう・さくふう、本名=逸五郎、1880-1915)の
没後100年にあたる日である。
朔風の実父は、出石藩仙石家の儒官の家に生まれ、
維新後には明治政府官僚となって
現在の気象庁の設立に関わった人物である。
そのためか、逸五郎は
冬場の天気予報によく出てくるタームである
北風を筆名に用いた。
「なじかは知らねど心わびて」
「泉に沿いて茂る菩提樹」
(「シューベルト『Der Lindenbaum(菩提樹)』歌詞篇/フィッシャー=ディースカウの死にあたって(2-1)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/24729c8924e04025f98f68e8164ecd35 )
「わらべは見たり野中の薔薇」
など、そうした「訳詞」の歌が
音楽の教科書に載ってた時代に育った
私のようなものには海馬に刻まれてる。
それが、ときおり、昭和の懐かしさとともに
呼び覚まされる。
ギョエテの詩"Heidenröslein(ハイデンレースライン)"の
訳詞「野ばら」は以下のようなものである。
"Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell, es nah zu sehn,
Sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
Knabe sprach: ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!
Röslein sprach: ich steche dich,
Dass du ewig denkst an mich,
Und ich will's nicht leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
Und der wilde Knabe brach
's Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
Half ihm doch kein Weh und Ach,
Musst' es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden."
(Knab'=Knabe、Sah's=sah es、will's=will es,
Musst'=Musst es、's=das)
[童は見たり、野中のばら。
清らに咲ける、その色愛でつ、
あかずながむ。紅におう、野中のばら。
手折りて行かん、野中のばら。
手折らば手折れ、思い出草に、
君を刺さん。紅におう、野中のばら。
童は折りぬ、野中のばら。
手折りてあわれ、清らの色香、
永遠にあせぬ。紅におう、野中のばら。]
きよらかに咲いてるかわいらしい野ばらを
愛でてたと思ったら、この
わらべはなんと、
「摘んじゃおうかなぁ……」
とか言って。そしたら、
野ばらも負けじと、
「折ってもいいけど、そのかわり棘刺しちゃうわよ!」
とやりかえす。
欽ちゃんでなくとも、
「どこまでやるの!?」
と訝ってしまう。が、
わらべは野ばらを手折ったのである。
男のエクスキューズとして、
そのまま野に咲いてても、
美しいのは何日かで、
やがて色褪せ、枯れてしまう。
だからいちばん美しい今、
その姿のまま摘んだのさ、
という女たらしゲーテらしいものである。
それを朔風はオブラートにつつんで
うまくまとめたのである。
そのペンネイムどおり、
北風がぴいぷう言う時期に34歳の若さで死んだ。
(シューバートではなく、やはり同時代に同じような年齢で死んだ
Heinrich Werner(ハインリヒ・ヴェルナー、1800-1833)の
「野ばら」を混声4声のアカペラにアレンジしたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao_15/werner-heidenroslein-without-words-arr-for-choir-kamomeno-iwao
にアップしました)