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香典

2013年08月02日 21時41分00秒 | 葬式はそうそう(葬送)あるもんじゃない



香典についての Q & A

Q 香典って何ですか
A 香典は香に始まり変遷を重ね「こう」ありたいという形までを次に示す。
1) 第1段階の香典は、香を焚(た)くこと
2) 第2段階の香典は、米を供えること
3) 第3段階の香典は、カネを供えること
4) 第4段階の香典は、葬式費用の一部を分担すること
5) 第5段階の香典は、弔意を表明すること
6) 第6段階の香典は、涙を流すこと

香を焚(た)き、食事し、お金を出し、費用を分担し、弔意をあらわし、涙を流すこと、
それが香典である。

Q 香典の起源は
A 釈迦入滅の際に弟子たちが香木を持ち寄り茶毘に付したとされ、香奠は、
葬儀の際に故人に所縁の深い人が香木を持参し、霊前に焚いて供えたことから始まったものです。
仏教儀礼に欠かせない香は仏教伝来と共に日本に伝えられました。

Q 香典の意味
A 葬儀や法事に参列する時、亡くなった人の霊前にお供えする現金を香典と言います。
香典は、昔は香奠と書き、奠は、すすめること、供えることという意味で、
仏前または死者の霊前に香を供えることでした。
お墓に香花(櫁,しきみ)を捧げたことや仏様を供養する六種供養に由来すると言われます。
六種供養とは、仏様を供養する方法で、華・塗香・水・焼香・灯明・飲食の六種をいい、
中でも、香は仏様を供養し身を浄める意味と、香の立ちのぼっていく煙にのせて
仏様を送り迎えする意味とがあります。
香典はやがて、香の代わりに供える金品となり、香・線香の代金という意味になり、
現在はその意味も薄れ、喪家は葬儀や法事で出費が嵩むため、その一部を香典として提供し、
負担を軽減する意味に変わってきています。

Q 香典の歴史は
A 香典は、最初はお金ではなく、米や麦、野菜などの食物香奠のことであり、
会葬者が故人とともに食事するという意味も込め、食料を持ち寄る風習でした。
元々は近隣の人々の相互扶助の意味合いが強く、遺族の経済的な面を考えて、
村人同士が助け合ったもので、農村部においてそれは長い間変わらなかったのです。
室町時代には、武士が金銭香奠を出した記録があり、明治時代には、金銭香奠が
一般的になりましたが、農村部が金銭香奠に移行し始めたのは大正時代からと言われます。

Q 村八分とは
A 村八分、残り二分は火事と葬式であり、村八分になっていても、火事になれば
類焼防止に駆けつけて消さねばならない。
葬式も、そこから出た魂が村全体に『たたり』を及ぼすと恐いから、葬式を出すかどうかを
見届けなければ安心出来ないので、付き合いがなくても押しかける。
又、その家に余裕がなければ食物とか燃料とかを持って行って援助して葬儀をさせ、
それが香典という形式で今に残った。

Q 香典の義理とは
A 昔は香典帳が保管され、香典を受けた側は、金額と相手を記録しておき、
相手先に不幸があると自分が受けた同額相当の香典を渡し、これを義理と言う。
都市における香典は弔意の表明であり、第三者に対する礼として行われ、
喪家に対し暗黙に自分の礼に対する返礼を求めており、贈答儀礼としての香典返しとなった。
礼とは第三者間の付合いを円滑に処する知恵であり、義理であり、賄賂性が潜在するものでもある。

Q 弔意の表明とは
A 香典は、かつては香奠と書き、香を供える、捧げる、という意味で、本来は弔意の表明です。
香典、供花は贈る側の意思、弔意の表明であり、受け取る側の事情によるものではないのです。
従って、遺族は弔問者の気持ちを汲んで、ありがたく頂く、受け取るというのが自然です。
「香典をもらわなくても葬儀は出せる」「香典返しが面倒だから」といった理由での香典辞退は、
弔意の拒絶ととられ、弔問者を途惑わせるものです。
葬式を質素に簡素にというのは、本人の意思や遺族の都合であって、
長い付き合いの友人・知人の気持ちは、充分配慮すべきことでしょう。

Q 香典辞退とは
A 葬式に行くと
「故人の遺志により香典は堅くご辞退申し上げます」なんて書いてあることがある。
住所の書かれていない香典があると、お返しを送るために調べるのが大変だったりするからである。
香典を出す方にすれば、住所を書けばお返しの催促みたいで、あつかましいような感じがする。
でも、もらった方の立場で考えると、住所が書いてなければ、何とか探し出して
お返しをしなければと思う。
「香典を受け取らないとは何事か!」「受け取ってもらわなければ自分が天国へ行けない」
などと言われ、結局、断りきれずに受け取ることになってしまったり、断る方が疲れる。
頂くものは、お心と思って素直に頂くのが良い。
北海道では、会葬御礼の挨拶状と、数百円程度の品物が香典の領収書と共に即時に渡され、
忌明け時に香典返しを行うことはない。
葬儀には参列できないが、どうしても弔意を伝えたい、というときには、
弔電なら受け取ってもらえるから、人に香典を託すより確実だ。

Q 葬式の本質とは
A 今の葬式は、息子の会社関係者等、故人の生前を全く知らない第三者が葬式に参加し、
この第三者が大多数を占める葬儀社主導の葬式が一般的となりました。
会社に勤務する人にとっては、昼間行われる告別式に会社を休んでまでは出席しにくいため、
勤務後である夜間に行われる通夜にだけ参列して、お葬式に行ったことにする事になります。
本来、通夜は家族、親族が最後の別れを充分にし、心の整理をする貴重な時間ですが、
会葬者も義理で参加する意識が強いので、都合のいい夜の通夜で義理を果たすようになり、
遺族が、通夜の会葬者の接待に追われるようになってしまいました。
会葬者が200人以上にもなってくると、遺族は参列者や会葬者の接待に忙しく、
死者の弔いに専念できないという不満が出てきました。
葬式は本来、死者を弔うものであり、故人を知らない第三者の多数の葬式への参加は、
葬式の本質を歪めるものです。

Q 家族葬とは
A 涙無しには送れない大切な人とのお別れは、どうあるべきか、その答が、
一番最初のQAの『第6段階の香典は、涙を流すこと』に込められています。
家族葬は、葬式を本来の死者を弔うものへ回帰させたいという願いを表明するもので、
ごくごく親しい人だけで静かに行うので、周囲を気にする必要もありませんし、
じっくりと故人とお別れをすることが出来ます。
同じ時間を二度とは持つことが出来ませんから、心のこもった内輪だけの葬儀で、
身内だけで、静かに別れの時を過ごすこの時間を大切にしたいものです。
過去にも密葬は有りましたが、一般的な葬式において参加者に枠を設け、
故人を知らない義理だけの関係者には、来てもらうには及ばない、来てもらいたくない、
という発想は新しいものです。

Q 香典の相場は
A 地域の慣習によっても異なりますが、香典には一般的な相場が存在します。
近隣の人 3,000円~5,000円
一般会葬者 5,000円~10,000円 (友人、勤務先関係、取引先)
関係者 10,000円~30,000円(叔父、叔母、親戚)
親族など 30,000円~50,000円 (祖父母)
家族 50,000円~150,000円

敗戦直後は経済的疲弊で、香典や香典返しは 批判され、新生活運動が起こされました。
今も新生活運動が残っている地域では、近隣の人は一律500円とか
1,000円などと決めているところがあります。
香典袋(不祝儀袋)の値段は中にいれる金額の1~2%が目安です。

Q 受付での香典・名刺の出し方
A 香典は、グレーや藍、紫などの地味な色の袱紗に包んで持参し、
名刺を渡す場合は、右肩に「弔」と書き、左下の隅を内側に折っておきます。

Q 香典の表書きは
A 香典は、亡くなった人にお供えする高価な香木に代る金銭(新札を使わない)を包むものである。
香典の表書きは、一般的には、四十九日までは御霊前、四十九日後は御仏前と書く。
浄土真宗では、亡くなった方は、即、浄土に往生し、霊を認めないので御霊前とはしない。
禅宗では、教義に浄土が無いので成仏以前という考えもなく御仏前とする。
故人に香典を出すのではなく、本尊である仏様に捧げるという意味なら御仏前になる。
香典は、キリスト教では行われていないが、日本では、キリスト教でも香典を持参し、
その場合は、カトリックは御霊前を許容し、プロテスタントは否定している。
御香奠、御香典、御香資、御香料は中立的な表現になる。
キリスト教のお花料、神道の玉串料、御榊料なども同じ。
しかし、会葬者は喪家の宗教・宗派を知らないので、自らの宗旨で表書きを選択してもよい。
なお、自分の持参するものに、「御」をつけて、御香典とは書くべきではない、
と言う人もいるが、これは言葉づかいが丁寧ということで良いのではと思う。

Q 香典返しは
A 現在は香典のそもそもの意味も薄れ、葬儀や法事で出費が嵩むため、
その一部を香典として提供するという意味になっているため、仏事が終わって余りが出れば、
香典返しをするという風習が生ずるようになったのです。
ですから、香典返しは必ず行なわなければいけないということはないのです。
香典の意味は仏にたむける香の代わりですから、お返しをする性質のものではありませんし、
本来、香典は霊前に供える物であるため、香典返しは必要ないのです。
香典は礼として行われ、自分の礼に対する返礼を求めており、贈答儀礼としての香典返しであり、
宗教というより習俗に基づくものです。
香典返しをすることで、義理をその都度精算し、同額返金では意を無にするから半返し、
(~3割返し)などという便法は、出す方も義理なら、返す方も義理という、
死者を弔う葬式の本質を見失った賄賂体質そのものです。
今は賄賂と言われる心付けも、昔は人間関係の潤滑油だったのです。

Q 香典返しの品は何が良い
A 香典返しの表書きは、忌明志、志、満中陰志(中陰とは四十九日のこと)などとし、
香典返しの品は、食品や消耗品に代わって、好きな商品を選べるカタログ・ギフト、
商品券などが利用されている。
昔は死んだ後、土に埋葬されていたから、人間は土に帰る、
という意味を含めて、陶器が選ばれる事もある。

Q 香典の義理立て
A 会社の同僚の父親が亡くなって、香典を出すって、一度も会った事も、
話した事も無いのに、みんなが出すから、出すけど、それが当り前と思っていた。
あの人は行った、あの人は逝かなかった、となったら困るし、
一人で勝手に行かれては困るし、香典の額に差がついても困るし、
一人いくらと決めて、みんな同額の香典を、代表者が持って行けば、義理が立つ。
要は、面倒くさいから行きたくないけど、義理は立てたいって事だが、
考えれば、可笑しな話で、何故そんな義理をしなくてはならないのか、
故人にしても葬儀に見ず知らずの人が来て喜ぶはずもない。

Q お経はワイロ?
A 四十九日とは、人が亡くなりますと初七日・二七日というように
一週間毎にお裁き(裁判・審判)があり、最後の七七日(四十九日)のお裁きによって、
亡くなった方の行き先が決定するというものです。
裁判長は閻魔大王で、閻魔様はすべての人の生きていた間の行実を閻魔帳に記録しているのです。
この最後のお裁きがあるまで、亡くなった方はフワフワと漂ったような存在であると考える訳です。
故人への追善廻向(亡くなった者の代わりに生きている者が善を行い、
亡くなった者へその徳を振り向けること、この場合は経を読むことが善と考えている)が
一般的な中陰の法要となっております。
お経をまるでワイロのように考え、裁判官に甘い判決をお願いしているのと同じです。
亡くなった方は亡くなったその瞬間に大いなるハタラキの仏様となられ、
フワフワと漂う綿ボコリのような存在ではないのです。
浄土真宗にとっての中陰の法要は、この私が、亡き人に導かれて教えを聞く場としてあるのです。
香典の表書きにはどのような場合でも「御霊前」と書かないのが本来の仏教です。
それは霊という言葉には、成仏していないという考え方があるからです。
仏教徒は「御仏前」です。
阿弥陀さまにお供えして下さいと言って差し出すのが御仏前なのです。
「御香典」でも結構だと思います。
お香を供えて下さいという「御香」でもいいです。
僧侶への御布施の表書きはすべて「御布施」で結構です。
「読経料」ではありません。
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布施

2013年08月02日 21時41分00秒 | 葬式はそうそう(葬送)あるもんじゃない




布施とは何か

● 布施は布を施す事
布施は字のごとく布を施すということ、
その布(反物)で僧侶が身につける袈裟を作っていた、ということからきており、
昔は布が高価なもので、お金の代わりに流通していたのです。
自分の持っているものを他人に与えること、行動でも財産でも、それを布施とよびます。
在家で仏教を信じるすなわち在家信者は、自分の財産を施すことにより、仏教的な功徳を積みます。

● 布施とは修行
布施というのは、インドの昔の言葉でダーナと言って、
仏教徒としてなすべき実践行、悟りを得るための仏道修行の一つとされます。

● 布施とは思いやりの実践行
布施は、自分のことしか考えない我執の心を離れて、
みんなが共に幸せになるよう、思いやりを実践する行として行われるものです。
金銭だけでなく、やさしい言葉をかけたり、笑顔で人に接したり、挨拶をしたり、
食べ物をあげたり、困っている人を助けたり、苦しむ人々に手をさしのべる、など
全てが布施です。

● 布施とは執着を断つ事
布施は、施すこと、与えることを示し、
自分がこだわり、とらわれていることから離れ、
自分のことや物に対する執着を断ち、
それを捨て去ることを仏道の修行として実践するものです。
執着のもとを手離す具体的な行いを通して、いかに自分の執着が強いものであり、
それから解き放たれることはいかに難しいかを身をもって知り、
仏様の慈悲の心を表す実践として行われるものです。

● 法施とは僧侶の布施行
仏教の教えや慈悲のこころを人々に伝える布施行を「法施」といい、
おもに僧侶がその役割をになってきました。

● 財施とは信者の布施行
教えを受ける側の人々は、仏教を生活のよりどころとするために、
「財施」といって、お金や物、人的支援など、できる範囲の物理的な奉仕を行い、
仏教教団を護持してきました。

● 布施は読経や戒名への代価ではない
多くの人々の法施、財施の実践によって、仏様の教えは受け伝えられて来ました。
布施は、何分の読経でいくらの料金だとか、何文字の戒名でいくらの値段とかの、
代価として支払う性質のものではなく、あくまでも、
私たち自身が仏教の教えやおこころを聞き、また一人でも多くの人に伝わるよう、
仏法護持のためと仏法興隆の願いをもって、実行するこころざしが、布施なのです。
住職に金額を言ってもらい納めるものでなく、自身の判断で決め、
すすんで誠意をこめてお寺に納めるものです。
ですから、読経料、戒名料という言葉も布施の考え方からは誤りで、
布施は、お経の料金、戒名の料金ではありません。
故人を弔う自分の気持ちを包むのがお布施です。

● 布施とは供養つまり喜捨のこと
「布」は精神的に広く行き渡ること、「施」は物質的に恵みを授けることです。
布施とは、金銭や財産を施すことだけを言うのではなく、
自分のできることで相手の利益になることを相手を選ばずにしてあげることなのです。
お布施とは「取られるもの」ではなく、供養つまり喜捨のことなのです。
感謝の気持ちを持って仏に差し出すものですから、
その時に自分の心のなかに少しでも「惜しむ」気持ちがあったりすると、
仏教の基本である「自我への執着、お金や財産など物質への執着を断ち切る」
という教えに反することになります。
お布施は、喜んで仏に対して差し出すものですから、何かの行為に対する対価などではなく、
また僧侶はそれを預かる媒介役を務めるものです。
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戒名

2013年08月02日 21時41分00秒 | 葬式はそうそう(葬送)あるもんじゃない




戒名についての Q & A

Q 戒名とは
A 戒名は仏の教えに従って生きて行こうとする人に授けられる名前で、
生前戒名が正しいのですが、実態は死んだ時に貰うあの世逝きの切符のようです。
この切符が無いと、極楽浄土(天国)へ行けないらしいのですが、
こんな免罪符みたいな戒名は仏教国の中でも日本だけの慣習です。
生前、仏縁に恵まれなかった人が、死後、少しでも仏の世界に近づいて貰いたいと、
お坊さんが葬式で簡単な授戒を行い、戒名を授与する形式になっています。

Q 戒名は葬式の附録?
A 戒名の意義も知らずに授与されてしまうと、それは葬式の付け足しで不要なものだ、
と思われてしまいますが、本来の意味を理解したとき初めて、
仏教徒として清浄な世界に安らぎを覚えるか、
葬式坊主の悪どい世界に憤りを覚えるか、のどちらかでしょう。

Q 戒名の意義とは
A 戒名とは、戒め(いましめ)を守る約束が成立し授与されるものであり、
徳の高いお坊さんの指導で修行し成就して初めて許され授けられるものなのです。
仏教徒であるという認識を持ち、仏教徒としてどういう戒(決まり)を守るかを、生前に、
学び、約束するため、一定期間、罪を懺悔し心身を清浄にする
授戒会(じゅかいえ)という修行を行い、同信同行で、
釈尊(ブッダ)の代理としての立場にある高僧の指導によって、
戒めを守りますという約束をし授けられる仏弟子としての称号なのです。

Q 戒名のランクとは
A 戒名は戒を受け仏門に入った者に付けられる名で二文字、□□だけで充分なのです。
死後褒章として戒名にランクを設け、値段を付けるようなことは、仏教の本義に違背しているのですが、
昔は檀家が日常的に寺の経済を支えてくれていたけれど、
今は葬儀の時のお布施に頼らざるを得ないという寺側の実情も有ります。
一般に付けられる戒名を高額ランク順に並べてみましょう。

1) ○○院殿△△□□大居士(清大姉)
2) ○○院△△□□居士(大姉)
3) ○○院△△□□信士(信女)
4) △△□□居士(大姉)
5) △△□□信士(信女)
6) △△□□童子(童女)
7) □□信士(信女)

Q 戒名の起源は
A インドで釈迦が始めた仏教には、戒名の制度や習慣はありませんでしたが、
出家した修行者をシュラマナ(音訳して沙門)と呼んでいたのです。
釈迦在世中に仏門に帰依した人々が、沙門(釈迦の弟子)を名乗って俗世界の名前を捨てたことが、
戒名の起源になったと言えます。
中国では、実名の他に「あざな、字」を付けて使う慣習があり、
出家の際には僧侶としての戒律を守ることを誓うと共に、
釈迦の弟子になった「しるし」として、師から新しい名前、戒名を授けられました。
守るべき戒律とは、
・盗むな
・ウソをつくな
・悪口を言うな
・酒を飲むな
・女性と関係するな
でした。

Q 守るべき戒律とは
A 仏教で守るべき代表的な戒は五つあるとされています。

第一に不殺生戒(ふせっしょうかい)殺すことなかれ
第二に不偸盗戒(ふちゅうとうかい)盗むなかれ
第三に不邪淫戒(ふじゃいんかい)犯すことなかれ
第四に不妄語戒(ふもうごかい)嘘をつくことなかれ
第五に不飲酒戒(ふおんじゅかい)酒に飲まれることなかれ

この五戒の他にも仏教で言う十戒、具足戒、菩薩戒などの、
仏門に帰依した人が守らなければならない約束、戒がこまごまと規定されています。
戒のすべてを日常生活で完璧に守ることは出来ないにしても、
人生で常にこの戒律がその人にとっての行動規範として働き、
仏教を基盤に生活して行くという自覚がうながされることが、授戒の大きな目的となっています。

Q 日本での戒名はいつから
A 日本に仏教が伝来すると同時に戒名の風習も伝えられ、仏教に帰依入信した人には、
それまでの俗名に変えて戒名が授けられるようになりました。
仏教を深く信仰した聖武天皇は、出家して上皇になりましたが、
その際に鑑真和上から沙弥勝満(しゃみしょうまん)という戒名を授かりました。
聖武天皇が建立した東大寺の大仏殿が源平の合戦で炎上焼失し、再建のための資金集めが必要になり、
東大寺再建の大勧進職を命じられた重源(ちょうげん)がアイデアを出して、
資金を寄進した在家信者に戒名を授けることにしました。
当時の人達にとって戒名は、出家しなくても極楽浄土へ行ける切符を貰うようなもので、
人々は喜んで寄進し、その結果、大仏殿は再建され、これが出家者以外に戒名を与えた最初となりました。

Q 死者の戒名はいつから
A 室町時代になると、人が死んだ後に僧になったとみなすことにより、
死者に戒名を授ける行為の正当化を図りました。
それは、
1) 死者の頭を剃って僧になった「しるし」とする。
2) 死者に読経して仏の道を教え導く。
3) 死者に戒名を授ける。
という方法でした。
これによって生前に故人が出家していなくても、葬式の際に戒名が貰えるという
葬式をする側にとっても、僧侶にとっても、収入の面で好都合な事態をもたらしました。
江戸時代になると、檀家制度ができ、葬式の際には死者や家族がキリシタンではなく、
仏教徒である証拠として戒名を授けるようになりました。
この檀家制度が僧侶をさらに堕落させることになり、
布施の金額により戒名に上下の差別を付けるようになりました。
戒名は本来、仏の教えに帰依し戒律を守ることを誓った者に、師から与えられる
仏弟子としての名前・証であり、生きている間に受けておくべきものですが、
生前に受戒したり戒名を受けることのない人が大部分であり、こうした人たちのために、
亡くなった後、僧侶の引導によって戒を授けて仏弟子となし、
戒名を授けるということが行なわれたのです。
戒名は、故人の人柄、仏法興隆(菩提寺)への貢献度、信心の深さなどに、
社会的功績なども加味して付けられます。
これは、大正大蔵経というお経の中に定めがあり、使っていい文字、使えない文字が書かれています。
戒名は、宗派によっては法名、法号とも言い、戒名が無い宗派もあります。
戒名が無ければ死者が成仏できない、あるいは極楽浄土に行けないなどというのは、
金儲けをはかる僧侶や葬儀屋の勧誘文句に過ぎないのです。

Q 戒名はどう付ける
A 戒名とは仏教徒として生前に信者としての修行を積み、
その証しとして頂く法名(宗教上の名前)の事です。
戒名の本来の意味は、俗人から出家して、戒律を授けられたことによって与えられる
仏弟子としての名前です。
だからお坊さんの名はみんな戒名です。
そしてこれらのほとんどが2文字です。
これとは別に、亡くなった人に付ける戒名があります。
宗派によっては本来の戒名と区別するために法名ということもあります。
例えば「慈唱院美空日和清大姉」とは美空ひばりさんの戒名ですが、
宗教によって多少付け方が違うものの、このように故人をしのばせるものが付けられるようです。
戒名(法名、法号)は○○院△△□□居士(大姉)と付けられます。

○○院を院号(いんごう)といいます。
戒名の一番上に置き、
生前にお寺を建立するほど寺院に尽くすとか、社会的に高度の貢献をした人に付けられる。
天皇退位後の御所を院と呼び、上皇その人をも指したが、
漸次、皇后、親王にも院の称を用いるようになり、さらに
公家、摂家や将軍、門跡寺などに及び、江戸時代には大名にも院号が与えられた。
また一般の武士には死後与えられたが、この風習が死者の戒名に院号をつけるもととなった。
院号は嵯峨天皇の譲位後、嵯峨院と称したことに始まるという。
院殿号(いんでんごう)は戒名の上に加贈する尊称で、
江戸時代には大名また上級武士について用いるようになった。

△△を道号(どうごう)といいます。
戒名の上に付けられるもう一つの名前で、号とか字(あざな)に相当し、
僧が自らの願いとするところや、自らの得たところ、覚りの境地を表わして名としたもので、
その人の生前使っていた雅号や俳号などをそのまま用いることもあり、表徳号ともいわれる。
主として禅宗で行なわれたが、天台・法相・華厳の諸宗でも用いた。
宋代以後にはこれが転じて字(あざな、本名のほかにつける通称)と同義になった。
わが国では浄土宗で誉名や阿号、西山派で空名をつけるのも、この影響である。

□□の二文字が法号、本来の戒名(かいみょう)です。
戒を受けて仏門に入った者につけられる名で本来はこの二文字だけで充分なのである。
□の部分は俗名にゆかりの文字が使われる。

最後の居士(女性では大姉)などは位号といいます。
戒名の下につけられる位号は、その人の家の格や社会に対する貢献度によってつけ方が異なり、
年齢・性別・地位・篤信の別によって以下に示すようになります。
この文字で故人がいくつで亡くなったかわかります。

居士(こじ) 男性で特に信心深い人。
もともと長者の意味があり、信仰心があり宗教活動に貢献する人にささげられる。
これに大の字が冠せられると最高位となる。
大姉(だいし) 女性で特に信心深い人 。
もともと長者の意味があり、信仰心があり宗教活動に貢献する人にささげられる。
これに清の字が冠せられると最高位となる。
信士(しんじ) 男性で出家せずに仏道を修めた人、五つの戒律を守る清信の仏弟子に与えられる称号。
信女(しんにょ) 女性で出家せずに仏道を修めた人、五つの戒律を守る清信の仏弟子に与えられる称号。
童子(どうじ) 7歳から15歳ぐらいの男子。
剃髪・得度をしていない男で、法号として用いられる場合には年齢を表わすことが多い。
(4、5歳から15歳)
童女(どうにょ) 7歳から15歳ぐらいの女子。
剃髪・得度をしていない女で、法号として用いられる場合には年齢を表わすことが多い。
(4、5歳から15歳)
孩児(がいじ、がいし) 赤ちゃん、就学前の男児(2歳から3歳まで)、幼子(3歳から7歳)
孩女(がいにょ) 赤ちゃん、就学前の女児(2歳から3歳まで)、幼女(3歳から7歳)
嬰児(えいじ) 男の乳飲み子
嬰女(えいにょ) 女の乳飲み子
水子(すいじ、みずこ) 死産、流産した胎児
禅定門(ぜんじょうもん)融通念仏や禅を修する在家の男性。
仏門に入って剃髪した者を指し、禅定門士の略である。これに大の字が冠せられるとその上となる。
禅定尼(ぜんじょうに)融通念仏や禅を修する在家の女性。
仏門に入って剃髪した者を指し、禅定門尼の略である。これに大の字が冠せられるとその上となる。
清信士 清信女:信士、信女と同じ意味であるが、清が入ることで位が高くなる。

戒名には宗派によって特別な字が使われ、以下が一例。
●天台宗では4文字が原則で、上が道号、下が法号となる。
さらに道号の上に院号を置き、法号の下に居士、信士などの称号を付ける。
白木の位牌には戒名の上位に「新円寂」「新帰真」「新没故」と付け、
戒名の下には「霊位」「霊儀」と記す。
霊位(れいい)は置字(読まない文字)で位牌を総称する言葉、法事において僧などが故人をよぶ称。
下文字ともいう。
また梵字1字を加えることがある。
この「帰真」という言葉は、この現実世界から、真寂本元の世界(仏国浄土)に帰ったという意味である。
また円寂は涅槃(ねはん)の意味で、涅槃の世界に帰ったということになる。
●真言宗では白木の位牌には戒名の上位に「新円寂」、
戒名の下には「霊位」とするほかは天台宗と同じである。
位牌の一番上に梵字「阿」。
●浄土宗では道号の上に「誉」号が入り、
〇〇院◇誉△△□□居士(大姉) のようになる。
●時宗では
男性 〇〇院◇阿△△□□居士 のようになる。
女性 〇〇院◇弌△△□□大姉 のようになる。
●浄土真宗では本願で救われるので、死後授戒が無く、法名(ほうみょう)とか決号が与えられる。
男性 釋□□または○○院釋□□
女性 釈尼□□
在家出家の区別が無く、在家信者を指す信士、居士などの位号は用いない。
●日蓮宗では受戒の儀式がないため「法号」と呼び「妙・法・蓮・華・日」の字が使われる。
法号に「日」の字が入り、道号に男性は「法」女性は「妙」の字が使われ、位号は信士、信女が多い。
男性 〇〇院法△日□信士 のようになる。
女性 〇〇院妙△日□信女 のようになる。
●臨済宗では院号に次ぐものとして「庵号」、「斎号」、「軒号」が使われることがある。
位号に禅定門、禅定尼、大禅定門、大禅定尼が付くことが多い。
●曹洞宗では道号と法号の四文字を経典、祖録、漢詩などを参照し対句で熟字とされている場合が多い。

Q 位号は、性別や年齢などにより異なり、童子、童女は満18歳までとすることもあり、
親からみれば18歳あたりまでは子供であることは言うまでもないことなのですが?
A 17、18歳といえば微妙な年頃で、親にしてみれば、まだまだ子供です。
でも、女の子なら16歳で結婚も出来るのですし、
まして、一人で遠い西方へ旅立たねばならない、というのであれば、
「15歳ぐらい」を過ぎれば、もう大人として扱って良いと思いますよ・・

Q 戒名無しでは三途の川を渡れない?
A 一説によると戒名を付けていないと三途の川を渡れないそうだ。
極楽浄土へは到底行き着くことは出来ない。
その人のお墓が寺院の境内墓地であれば、遺族の悩みはより深刻になる。
境内墓地はお寺が管理しており、戒名を付けないことを理由に納骨を拒否される可能性が大である。

Q 戒名を自分で付けても良いか
A 戒を受けた人から戒を授けられ仏弟子となり付けて頂くから戒名と言い、
戒を受けていない人が自分で勝手に付けても、それは戒名としては認められず、
別途料金が必要になります。
もちろん、自分で勝手に付けても、それは法律に違反するわけではなく、
葬式坊主の商法に対抗する一手段となる訳です。

Q 新調したお墓に戒名を刻む順序は
A 決まりは有りませんが、先に亡くなられたみ霊から刻むのが一般的です。

Q 戒名や法名は長い方が良く、短いと亡くなった者が成仏しないって本当でしょうか
A 字数ですが浄土真宗は釋○○という二字法名です。
戒名や法名の字数と故人の成仏はまったく関係ありませんが、
字数が多い方が良いとする儲け主義の姿勢に問題があります。
戒名は仏弟子になったというあかしの名前ですから、金銭的な価値はまったく無いのですが、
「最後の親孝行だと思って、せめて・・」
「亡くなられた方への追善供養になりますから・・」
という事を言われると中々断れないのではないでしょうか。

Q 戒名料の相場は
A 枕経、通夜経、出棺経、火葬経、本葬お勤め、法要お勤めの読経、
戒名料、葬儀法話、初七日法要(葬儀の日にあわせておこなうとき)に必要な一切を含み、
宗派によって価格にばらつきはあるが、一応の目安は、

俗名・・・・・・・・・お布施 20万円前後
信士、信女・・・・・・お布施 30万円~50万円
居士、大姉・・・・・・お布施 50万円~80万円
院居士、院大姉・・・・お布施 80万円~500万円
院殿大居士・・・・・・お布施 200万円~上限なし
院殿清大姉・・・・・・お布施 200万円~上限なし

* お布施とは基本的に戒名料と読経料からなっています。
お布施の額次第で読経の人数が決まり、位牌にも等級があります。
功徳を積むという意味もあるとはいえ、決して安い額ではありません。
全日本仏教会は戒名「料」という言葉をなくし布施に統一しています。
浄土真宗系は釈○○という法名で院号希望の場合は本山に20万円以上納付。

Q 布施とは
A 布施とは、六波羅蜜という六つのパーラミター、
大乗の菩薩が悟りを得るために修行しなければならない六つの仏道修行の第一番目のものです。
布施はインドの言葉でダーナと呼ばれ、施すこと、与えることを示し、
それを仏道の修行として実践するとは、自分がこだわり、とらわれていることから離れ、
それを捨てることをいいます。
つまり、自分の執着のもとを手離す具体的な行いを通して、いかに自分の執着が強いものであり、
それから解き放たれることはいかに難しいかを身をもって実践することなのです。
しかし、修行の道にない私たち凡人にとって、お金に対する執着から離れることは至難の技です。
どうしても、金額から先に考えてしまうのは、しかたないでしょう。
文字数が多い戒名をつけるのが供養になると考えがちですが、
本来戒名というのは2文字の部分のみであり、仏の世界ではみな平等と考えられています。
逆に戒名などいらないという風潮に対して、
戒名とはキリスト教徒の洗礼名のようなもので、
仏式であの世に送り出し、その後、供養するためには必要なものといいます。

Q 布施、喜捨とは
A 「布」は精神的に広く行き渡ること、「施」は物質的に恵みを授けることです。
布施とは、金銭や財産を施すことだけを言うのではなく、
自分のできることで相手の利益になることを相手を選ばずにしてあげることなのです。
お布施とは「取られるもの」ではなく、供養つまり喜捨のことなのです。
感謝の気持ちを持って仏に差し出すものですから、
その時に自分の心のなかに少しでも「惜しむ」気持ちがあったりすると、
仏教の基本である「自我への執着、お金や財産など物質への執着を断ち切る」
という教えに反することになります。
お布施は、喜んで仏に対して差し出すものですから、何かの行為に対する対価などではなく、
また僧侶はそれを預かる媒介役を務めるものです。

Q 法施、財施とは
A 布施というのは、お釈迦さまの時代からも、仏教徒としてなすべき実践行の、
重要な徳目の一つとされてきました。
具体的には、仏教の教えや慈悲のこころを人々に伝える布施行を「法施」といい、
おもに僧侶がその役割をになってきました。
また、教えを受ける側の人々は、仏教を生活のよりどころとするために、
「財施」といって、お金や物、人的支援など、できる範囲の物理的な奉仕を行い、
仏教教団を護持してきました。
このように、多くの人々の法施、財施の実践によって、仏様の教えは受け伝えられて来ました。
ですから、ご住職が法事のお布施の金額をいくらですと言わないのは、
そもそも、布施は、何分の読経でいくらの料金だとか、何文字の戒名でいくらの値段とかの、
代価として支払う性質のものではないからです。
あくまでも、私たち自身が仏教の教えやおこころを聞き、また一人でも多くの人に伝わるよう、
仏法護持のためと仏法興隆の願いをもって、実行するこころざしが、布施なのです。
ご住職に金額を言ってもらい納めるものでなく、ご自身の判断でお決めになり、
すすんで誠意をこめてお寺に納めるものです。
ですから、読経料、戒名料という言葉も布施の考え方からは誤りなのです。

Q 布施の意義とは
A 布施は字のごとく布を施すということ、その布(反物)で僧侶が身につける袈裟を作っていた、
ということからきており、昔は布が高価なもので、お金の代わりに流通していました。
布施はインドの昔の言葉でダーナと言って、仏道修行の第一番にあげられている大切な行の一つです。
本来は、自分のことしか考えない我執の心を離れて、みんなが共に幸せになるよう、
思いやりの実践行として行われたものです。
ですから金銭だけでなく、やさしい言葉をかけたり、笑顔で人に接したり、挨拶をしたり、
食べ物をあげたり、困っている人を助けたり、苦しむ人々に手をさしのべる、など全てが布施で、
仏道の根本精神を実践しようとするものです。
施すことにより、自分のことや物に対する執着を捨て、
仏様の慈悲の心を表す実践として行われるものです。
つまり自分のもっているものを他に与えること、行動でも財産でも、それを布施とよびます。
在家で仏教を信じるすなわち在家信者は、自分の財産を施すことにより、仏教的な功徳を積みます。
だから、お布施であり、お経の料金、戒名の料金ではありません。
故人を弔う自分の気持ちを包むのがお布施です。

Q 葬儀料金は
A 不明朗料金で葬儀業界への不信感を社会問題化させる悪徳業者もいます。

1) 支払い能力を超えるランクの押し付け
2) セット料金に含まれるべき必要品目の別立て
3) 頼まれていない品目の請求
4) 見積りと違う料金請求
5) 生花の使い回し etc

これは、耐震偽装問題でも分かるように、葬儀業界に限ったことではないです。
消費者は、葬儀でなければ様々な角度から商品の品質や価格を比較検討し、
慎重に事を運びますが、葬儀となると、未経験であることや
考える暇もないうちに事態に直面してしまうために、
賢い消費者の態度を失ってしまうようです。 

(1)お布施(通夜と葬儀の読経と戒名に対して僧侶に支払う謝礼)
この料金に関するトラブルが多く、葬式を僧侶にお願いするときには、
金額をはっきりさせておく必要があります。
想定外の高額なお布施を要求されても、後になってからでは言われるまま渡すしかないのです。
お布施の額は、戒名のランクによって、また宗派やお寺によっても違いがありますが、
東京近辺では、おおよそ60万円以上と言われています。

(2)お車代とお膳料
聖職者にはお布施の他に、お車代とお膳料を2日間で1万円程度ずつお渡しします。
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