日曜日に、キリンビール甘木工場でしか飲めないビール、モルティ・ブラウンを目当てに太刀洗まで行ったのですが、残念なことに廃止になったとのこと。
でも、となりの工場直送の『一番縛り』、じゃない『一番絞り』を堪能したのでした。
太刀洗駅にあった平和記念館は向かいに新築され、念願のゼロ戦32型を見ることができました。当時の太刀洗飛行場の写真や二十歳そこそこの特攻隊員が家族に送った手紙など本物を見て、目頭が熱くなりました。
昭和33年生まれの戦争を知らない子供だった私にとって、決してずっと過去の出来事ではないのです。生まれるほんの13年前だったわけです。
また、国から支給された、自決用の短刀を見た瞬間は、子供のころの事件「三島事件」を思い出しましたね。少なからず、影響を受けていたのでしょう。
私、決して右寄りではないのですが、『三島事件』以来、三島由紀夫の当時の心境を、過去何度か想像しては、尊厳というものを考えることが多かったような気がします。
最近は、やっとこの歳になって、何度も聞いた母の戦時中の話に耳を傾けるようになり、ああ、この母は空襲の戦火の中を生き抜いてきた強い女性なんだなと思えるようになりました。
ということで、ちょっとおセンチになった一日でした。
ああ、モルティ・ブラウン復活しないかなぁ・・・
でも、となりの工場直送の『一番縛り』、じゃない『一番絞り』を堪能したのでした。
太刀洗駅にあった平和記念館は向かいに新築され、念願のゼロ戦32型を見ることができました。当時の太刀洗飛行場の写真や二十歳そこそこの特攻隊員が家族に送った手紙など本物を見て、目頭が熱くなりました。
昭和33年生まれの戦争を知らない子供だった私にとって、決してずっと過去の出来事ではないのです。生まれるほんの13年前だったわけです。
また、国から支給された、自決用の短刀を見た瞬間は、子供のころの事件「三島事件」を思い出しましたね。少なからず、影響を受けていたのでしょう。
私、決して右寄りではないのですが、『三島事件』以来、三島由紀夫の当時の心境を、過去何度か想像しては、尊厳というものを考えることが多かったような気がします。
最近は、やっとこの歳になって、何度も聞いた母の戦時中の話に耳を傾けるようになり、ああ、この母は空襲の戦火の中を生き抜いてきた強い女性なんだなと思えるようになりました。
ということで、ちょっとおセンチになった一日でした。
ああ、モルティ・ブラウン復活しないかなぁ・・・