東京出張最後の日、早めに空港に向かおうと、新宿御苑から新宿駅まで向かっていた途中、大地震に遭遇しました。
それは、とあるビルのエレベーターの中でした。
4Fあたりで、立っていられないほどの猛烈な揺れを感じ、ワイヤーが切れて下まで落ちるのではないかと思った直後、4Fのドアが開いたので、廊下に出ると、警備員が「外に出てください!」と叫んでいたので、階段を使い降りましたが、手すりに頼らないといけないほど揺れて、ビルが倒壊するのではないかと思いました。
外に出ると避難した人でいっぱい。頭上に注意しながら様子をうかがっていましたが、立っていられないほどの地面の揺れで、空を仰げば、高層ビルは大きく揺れて、屋上のクレーンも落ちてしまうほどの大きな揺れ。
初めて見る光景の中で、ふと思いました。
地割れが起きて私はその中に落ちて、家族とももう会えないかも・・・
家族はどうしているんだろう・・・
などと本気で死を覚悟した瞬間でした。
交通機関は全面ストップ。直後に通じた電話で娘の安否は確認できたが、その後は規制により電話・メールは全く通じない状態が続きました。
眠らない街新宿で、このまま眠れないのかと思っていた頃、大江戸線が通じたので、どうしたものか思案していたら大手町で働く甥っ子と連絡が取れた。新宿に向かって歩いているとのことでアルタ前で合流。
一旦は大江戸線に乗れたが、ぎゅうぎゅう詰めでいつまで待っても発車しない。
吉祥寺まで歩こうかということになり、中野、荻窪を経て2時間以上かけてたどり着いたのが深夜2時。
最後は足が棒になってしまったが、この日のビールは旨かったぁ。
翌日は過半数が運行を再開していたので、井の頭線で渋谷、JR乗り換えで浜松町。モノレールで無事羽田へ。
昼過ぎの便でやっと福岡に帰れました。
写真:大地震翌日の渋谷 普段の人混みからは信じられない。
それは、とあるビルのエレベーターの中でした。
4Fあたりで、立っていられないほどの猛烈な揺れを感じ、ワイヤーが切れて下まで落ちるのではないかと思った直後、4Fのドアが開いたので、廊下に出ると、警備員が「外に出てください!」と叫んでいたので、階段を使い降りましたが、手すりに頼らないといけないほど揺れて、ビルが倒壊するのではないかと思いました。
外に出ると避難した人でいっぱい。頭上に注意しながら様子をうかがっていましたが、立っていられないほどの地面の揺れで、空を仰げば、高層ビルは大きく揺れて、屋上のクレーンも落ちてしまうほどの大きな揺れ。
初めて見る光景の中で、ふと思いました。
地割れが起きて私はその中に落ちて、家族とももう会えないかも・・・
家族はどうしているんだろう・・・
などと本気で死を覚悟した瞬間でした。
交通機関は全面ストップ。直後に通じた電話で娘の安否は確認できたが、その後は規制により電話・メールは全く通じない状態が続きました。
眠らない街新宿で、このまま眠れないのかと思っていた頃、大江戸線が通じたので、どうしたものか思案していたら大手町で働く甥っ子と連絡が取れた。新宿に向かって歩いているとのことでアルタ前で合流。
一旦は大江戸線に乗れたが、ぎゅうぎゅう詰めでいつまで待っても発車しない。
吉祥寺まで歩こうかということになり、中野、荻窪を経て2時間以上かけてたどり着いたのが深夜2時。
最後は足が棒になってしまったが、この日のビールは旨かったぁ。
翌日は過半数が運行を再開していたので、井の頭線で渋谷、JR乗り換えで浜松町。モノレールで無事羽田へ。
昼過ぎの便でやっと福岡に帰れました。
写真:大地震翌日の渋谷 普段の人混みからは信じられない。