冥土院日本(MADE IN NIPPON)

日本語とひらがなの不思議

今からだいぶ前のことだが『日月神示』を読んだことがあった。その中で何故か印象に残った言葉があった。今手元に資料が無いので少々曖昧な記憶であるが。それは確か「英語を話すとイシヤのようになる」という内容であったと思う。イシヤとはフリーメーソン(元は石工)のことである。
その神示の意味するところが良く分からなかったのだが、森眞由美(著)の「足立育朗と語る」を読んでいてピーンとひらめくものがあった。 

そのくだりをご紹介しよう。

(引用開始) 
要するに生きている意味、人間が存在する意味というのは、EXA PIECOがスタディしていく過程の一過程ですから、人間のボディを選択している過程のときに、人間のボディを選択している理由と、それからその存在の意味を知ったら、それを実行するだけです。人間のボディを必要としなくなったら、それを卒業するだけです。

それがわからない状態であれば、自我と欲の健在意識だけで生きていたら自我が悪いんではなくて、自我の増幅があり過ぎるために、自然の仕組みを理解する時に、「私が」という意識を前提にしか、理解していないんです。これが、言葉に表れてしまっているんです。英語は。主語がないと、成り立たない。

日本語というのはもっと曖昧でしょう。主語がなくても、成り立つんです、日本語は。
それはどういうことかというと、もう少し「私が」ではなくて「自然が」、「宇宙が」という「私が」というものを表に出さなくても成り立つ文化なんです。それが文字に反映しているんです。音に反映しているんです。 「いろはにほへと」というのはカシオペアの文化の振動数を受けて、それが広がっている、地球上では、日本語は、ですからカシオペアの文化の影響が大きいんです。(中略)

それは英語圏のアルファベットというのは、プレアデス星団のアトラス星の文化の言葉を、非常に地球的なEGHOの文化の状態に整理しているんです。そしてアルファベット二六文字の音に変えているんで、もとのプレアデスのアトラス星の言葉、音の振動数からするとかなり違ってしまっているんです。(中略)

ですが、「いろはにほへと」というのは、情報では、かなりの生のままで、カシオペアの音の振動数が使われている、という情報なんです。ひらがなは音も形態も70~80%の原形を残しているとのことです。(引用終了)

足立さんの情報によると地球人類も一時は振動数の高い高次な存在の時代もあったが、やがて人類の周波数が下がり、エゴの星に堕落してしまったということである。それと同時に言葉も音の振動数も低下してしまったという訳である。
人間のエゴをむき出しにした文字がアルファベットであり、言葉が英語というわけである。一方、日本語の元となるひらがなは退化することなく、原形を残しているとのことであるから、音の振動数も高く、したがって言霊も強いのであろう。

イシヤが作り上げた今の世界に対抗し変革する鍵は、日本語と日本文化にあるのかもしれない。

コメント一覧

フォトン
型神名
コメントありがとうございます。

イロハ四十七文字に、ンを加えた四十八文字がカタカナですね。カタカナは「型神名」とされ、その一つ一つが御神名になっていると言われています。

ひふみ神示の謎とされているのが「神一厘の仕組み」ですが、多くのひふみ神示研究家の間では、この仕組みは「言霊」と関係があるのではないかと推測されているようです。日月神示は機会があったら、是非書いてみたいテーマです。
日月神示ですが、ひふみ神示ともいいます。
ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。
ひふみ祝詞ですが、これを並び替えると「いろはにほへと」になり。これを並び替えると「あいうえお」になります。


二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあ らはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労であ る。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があ かる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。・・・

昭和19年に書かれたもので、内容はなかなか難しいですわ。
フォトン
ある疑問をもつと、不思議なことに、本屋や図書館でで何故か気になる本に出会います。するとその本の中に疑問のヒントや答になる内容が書かれていることが多いのです。

「足立育朗と語る」は随分前に購入したものですが、
突然、以前購入した本を読み直したくなるときがあります。そんな時に限って、答を見つけ出すことが良くあります。今回もそうでした。
りゅう
なるほど
とても深く納得しながら、頷きながら拝見しました。
それにしても、普通は日月神示は読まないと思いますし、この森さんの著書をなぜ読もうと思ったのか、どこで眼にしたのか、興味深いところです。

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