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母が亡くなったのは今年の3月17日でした。母の誕生日は3月20日。後三日生きていれば満93歳になっているはずでした。通夜が18日、告別式が翌19日に行われました。葬儀が終わった夜のことどうして17日に母が死んだのかと言う話題が親族の間で盛り上がりました。前のブログでも少し触れましたが、母は霊能力が強く自分の死ぬ時期を決めることぐらいは出来たのでないかと親族の間では思われていたからです。
一週間後の3月26日は父の命日で、福岡の実家で13回忌の法要を行う予定でした。この日の為に全国に散らばる親戚が大勢集まる予定になっていました。その直前に母がなくなったものですから、遠方に住む親戚に二週続けて福岡まで来てもらうのも迷惑をかけると判断して、葬儀か法事のどちらか都合の良いほうに来てくださいと連絡していたのでした。連絡を受けた側もどちらに参列するか判断に迷ったようで、少々混乱した葬儀となったのでした。そんな訳で、気配り上手だった母がどうしてこんな時期に亡くなったのか、皆合点がいかなかったのです。
翌日の日曜日、私は遠方に帰る親戚を駅まで送るため、早朝から何度か車で実家と駅を往復し、最後の送りが終わって実家で一休みしていました。その時です。ゴーッという凄まじい地鳴りがしたかと思うと、ドンと家ごと突き上げる衝撃が。間髪いれずに大きな横揺れが襲いました。2005年3月20日午前10時53分。最高震度6弱を記録した「福岡県西方沖地震」が発生したのです。地震が極めて少ない福岡の人間にとってこの地震はまさに晴天の霹靂といった事件でした。幸いにも実家は福岡市から少し離れていたため、実被害はさほどでもなかったのですが、揺れはひどく、少なくとも震度5強くらいはあったと感じました。東京で地震には慣れているはずの私も、初めて地震の恐怖感というものを味わいました。
我が家は阪神大震災以降、地震に対する準備として防災用品をそろえ、飲料水、食料、燃料の備蓄など万全を期しています。しかしながら人間の気持ちというものは久しく平穏な日々が続くと、ついつい気が緩んでしまうものです。私はかねてから福岡に住む姉に、地震対策の準備をするようにとアドバイスはしていたのですが、本音を言うと、福岡じゃ地震は無いだろうという気持ちもありましたのであまり強く勧めることはありませんでした。ましてや私自身が福岡で大きな地震に遭遇することなど夢にも思わなかったことでした。この事件は天災と言うものは人間の小ざかしい考えでは予測など出来ないという、貴重な教訓であったのです。
その夜、地震騒動も少し落ち着いたところで、私は母が何故この時期に死んだのか、その意味がはっきりと分かったのです。奇しくも今日は母の誕生日、全国に居住する子供や孫たちに大きな地震を体験させようとして福岡に呼んだのではないか。まさにこの事件は「天災に備えよ」という母からの私達への遺言ではなかったのかと・・・。私は母の遺影の前で香を炊き、手を合わせ、母への感謝の祈りをしました。
その時です。『油断せずにこれから頻発する災害に備えていつも気を配りなさい。そして愛する家族を守ってやりなさい』私はそんな母の声が聞こえたような気がしました。
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