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「正しい神との交渉のために」その6 神霊への感謝を

■『神道の神秘 古神道の思想と行法』 山蔭基央(やまかげもとひさ)著
第九章「正しい神との交渉のために」より抜粋掲載 


●現世利益を超えて

信仰心というものにも、さまざまな種類がある。たとえば、

・手近な現世利益[願望成就・病気平癒]を求める。
・人生の運命改革を求める。
・精神的な安心立命を求める。
・死後の霊魂の救済、ないしは「よい来世」を求める。
・高度の神霊に感応して霊能・霊智を求める。
・自己の霊魂の浄化と発展を求める。
・祖先霊の浄化を求める。
・神への絶対的な帰依。
・他者の救済。

などなどである。

信仰心にもやはり高低があり、初めの方にあげた、近視眼的なもの、現世利益を求めるもの、自己中心的なものは、低い信仰である。端的に言えば、①自己の欲望・願望を超えて、②神に自分を明け渡し、③他者のために奉仕することが、高い信仰心である。

もちろん、病の治癒を祈り、それを通して高い神霊の世界に気づくというようなこともあり、人の信仰の成長過程はさまざまであるから、悩みや苦しみの解決を神に祈るということが一概に誤りということにはならない。ただ、どのような祈りの中にも、自己超越、神への愛、他者への慈愛というものがなければ、それは我欲を出るものではなく、真の信仰心とは言えない。

このことは、自らの心を内省する場合だけでなく、世にある宗教的な人や集団が真実のものか偽物かを判断する時の基準にもなる。ご利益と献金ばかりの宗教は低いものであるし、超越的なことを語っていても他者への慈愛を持たぬものは、偽りの宗教である。

そして、真の信仰を持てば、それは高い神霊に必ず伝わるものだということを、信じていただきたい。人間には、真に祈れば守護してくださる神霊が必ずいるのであるから。


●神霊への感謝を

自己の欲望や願望を超越することは難しいし、他者への慈愛に生きることはなお困難かもしれない。であるなら、まず始めることは、神への感謝と憧れの念を心の内に育てることである。

キリスト教の賛美歌の美しさ、祈りの敬度さには、深い感銘を受ける。その謙虚な神への感謝と賛美は、神霊とつきあう態度の基本である。日本には残念ながら、あのような美しい賛美の形式はない。具体性が乏しい。

幕末の宗教家・黒住宗忠は、神への心よりの感謝こそ信仰の本質だとし、常に「ありがたい、ありがたい」と口にしていた。その歌に

『天照す神の御徳を知るときは ねてもさめてもありがたきかな』

という道歌がある。また、神祭の祝詞の中にも、神への感謝はあることはあるが、日本はどうしても具体性や表現性に乏しいのである。

ともあれ、神霊の加護を願うには、なによりも神への感謝と憧れを心に満たすことである。それは、必ず清明な念波・霊波となって神霊に届くはずであるこの時、いろいろと余計なことを考えてはならない。特に神を批判してはならない。イエス.キリストは「幼児のごとくあらねば天国に入ることはできない」と言ったが、純真に、無邪気に、神に向かわなくてはならないのである。

人は時に不遇が続き、「神も仏もあるものか」という気持ちになることがある。しかし、近視眼で見てはならない。人生というものは、だいたい十五年単位で運命の変化がやってくるものである。不遇な冬に忍耐し、根を張っておけば、やがて春の花が開花するものだ。不遇な冬の時期に自暴自棄になってはならない。不遇な時ほど、神への感謝を持つ必要がある。そしてそれを支える友や師をもつ人は幸いである

(引用終了)

「完」

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