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「正しい神との交渉のために」その5 「占い」は低次の理法

■『神道の神秘 古神道の思想と行法』 山蔭基央(やまかげもとひさ)著

第九章「正しい神との交渉のために」より抜粋掲載  

(中略)

●病気も治癒も魂の気づきのために

偉大な神霊の霊威がくだされた時、奇跡的な治療は起こる。それを仲介する役目を粛々と務めるのが、真の「ヒーラー」である。そういった人は、自分が治しているなどという騒りはない。神霊に仕え、そのお仕事に奉仕しているという思いがあるのみである。白分の名前を宣伝したり、法外な金品を取ったりする人は、真のヒーラーではない。真のヒーラーは、その奉仕を、自らの魂の成長にとって必要なもの、神霊から定められた課題だと受け止め、淡々とそれに従うのである。

神霊による治療も、万能だというわけではない。癒しには、「機」というものがある。病気平癒を祈ることによって、心の機が熟し、奇跡が起こることもあるし、逆にその人の魂の成長にとってその病気が必要ならば、神霊はそれをあえて治さないこともある。何でもかんでも神様に頼めば解決する、というのなら、魂の成長の可能性などなくなってしまうことになる。

真の霊的治療とは、だから病気が治ることが問題なのではなく"人間に霊的な目覚めをもたらす"ということなのである。もちろんここで言う人間とは、治される側ぱかりでなく、治す側も含まれている。ヒーラーがそれを忘れて、己れのみ尊しの騒慢に陥るならば、その先には恐ろしい落とし穴が待っているだろう。


●「占い」は低次の理法

「占い」はいつの世にも人気がある。「易」は古代中国からの伝統を持つもので、その発展形態である「陰陽道」は、四柱推命、方位、遁甲、紫微など、暦や天体の運行を計算して運命の吉凶を観るさまざまな占法を生み出してきた。

山蔭家にも、古伝の占法はたくさんあり、私もそれを使うことはある。実際にやってみれば、けっこう的中する。占いは根も葉もないでたらめではない。しかし、ここで強調したいのは、陰陽道などで説く「宿命」を絶対的な法則であると思いこんでいる人々は迷いの深い人だということである。

たしかに、ある場合に占法は八割近い的中率を見せることがある。しかし、陰陽道の達人は、「宿命の的中率はまず三割どまり」と言う。人間の運命を決定するのは、宿命三割、個人の勉学努力が三割、生活環境や人的交流のおかげが三割、そして神霊の加護が一割だと言われるのである。

運命観法とか開運法というのは、そのように部分的なものであり、しかも、低次の理法なのである。陰陽道には「天元・地元・人元」という「三元」の思想があるが、「人運の吉凶」は、そのうちの人元に属する。また、人の精神界にも幾層かの次元があり、宿命星の作用する精神界はきわめて低い世界(幽界)からの支配だということを知っておかなければならない。

宿命を変えるために、「呪襟(じゆきん)」や「祈祷」がある。霊符や寄門遁甲の法などを用いるのであるが、これは主に神仙界に祈ることを意味する。神仙には「天仙」と「地仙」があり、天仙は人間の宿命などを超越した高次の世界(「北極紫微の帝宮」)に住み、宇宙の創造的事業に関与し、また浄化し向上してきた地仙の教育にもあたっている。

地仙は、この世と近い世界に住み、現世の人々を導き、人間の命運を支配することもできる。この世界は「智光」「霊光」に乏しく、「威」や「力」を重んじる世界である。呪襟や祈祷は、この地仙の力を仰ぐものなのである。

地仙の世界では、宿命を融通するのに、必ず人の「犠牲・代価」を求める。つまり、やってくる禍福を先取りしたり先送りしたりするのには、道徳的な精進であれ物質的な対価であれ、その代価を捧げねばならないのである。だから、あまりに分を過ぎた祈祷は、反作用をもたらしたり、子孫に累が及ぷことすらある。昔から、陰陽道を用いた兵法の大家は、「充分の勝利」を求めるな、勝ちに乗じて完勝をねらうな、と警告している。反作用として災難が訪れるからである。

安易な開運祈祷や呪法への依存は、危険なのである。低次の霊界に頼って、その場の解決を求めるより、自ら徳を積んで聖人への道を歩くことが、後々にとってもはるかによいことなのである。


次回へ続く

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