明日、大阪へ行くので、産直でお仏壇の供えるびしゃこという植物とリンドウと菊を買ってきました。産直はお盆の準備をする人々でいっぱいでした。小さい子もたくさんおばあちゃんの買い物についてきていて、いつにない活気があふれていました。あぁ、田舎のお盆ってこんな感じ。
それでは、岩手への旅の続きを書きます。
8月6日 旅2日目 その2
宿のおいしい朝食を食べて、お墓参り、親戚への挨拶まわり、誰も住んでいない実家に風を通すというとても重要な目的を午前中かけて済ませました。実家のご近所の方たちも親戚の方たちも、やっぱり1年たてば少しずつ年をとっていて、なんとなく寂しい感じです。大本家にご挨拶に伺うと、おばあちゃんが、上がりかまちにちょこんと座って「まんずまんず、とおいどこ、よぐきたごどぉ」(まあまあ、遠い所よく来たこと)と迎えてくれて、おみやげを渡したら「なんとなんと、ごねんさまいだだいでぇ」(なんとまぁ、お心遣いいただいて)といつもの岩手弁で応対してくれたので、妹と二人、すごくほっこりしました。「ごねんさま」とは漢字で書くと「御念様」で、相手の心配りを敬う言葉のようです。方言とは古い言葉がそのまま残っている場合が多いので、これもそういったものなのかな。いずれにしても、ホロリと懐かしい言葉です。これからしばらくの間、妹は電話で、大本家のおばあちゃんのモノマネをしてくれて、また二人で岩手の余韻に浸るのです。
霧に煙る猊鼻渓
お昼はわたしたちのお気に入りの柴宿の産直へ。そこで、田舎の味のお煮しめ、海苔もち、茹でたきみ(トウモロコシ)、みそ焼きおにぎりなどを買いました。これをどこで食べるかな?どこか日陰がいいなと思い、かねてから行ってみたかった「石と賢治のミュージアム」の庭ででも食べようと提案しました。
宮澤賢治さんは、ここ東山町の砕石工場の技師として働いていました。何年か前、石灰と賢治さんの関わりに焦点を当てたミュージアムがこの町にできていたのですが、行ったことがなかったのです。場所は陸中松川という、わたし(あ、妹も)が高校生のとき利用していた駅の近くです。この駅も久しぶりに見てみたかった。夫はあちらこちらとわたしたちのリクエストをよく聞いて車を走らせてくれます。
陸中松川駅に到着。おー懐かしい。昔の駅舎は大きくて、売店もあったぐらいだったのに、まあ、今は二畳ぐらいの小さな待合室がこじんまりと作ってあります。ここでお昼を食べることにしました。夫と妹とわたしの三人で満杯です。わたしと妹は故郷の味をあじわうのに夢中でしたが、夫は大船戸線の電車が10分後に来ることを知って落ち着かない様子です。何といっても撮り鉄ですからね。単線なので下りと上りがやって来て、譲り合って(?)また去って行きました。電車はまったく変わりましたが、高校生のときからあるホームの藤棚はそのままです。電車の中から見えるホームの風景は夢でも時々見ていて、それが実際に残っていて不思議な感じです。
夏の空
駅からほとんど構内と言っていい場所に「石と賢治のミュージアム」はあって、歩いて向かいました。門から建物の玄関までのスロープが、賢治さんの童話の世界を表わしているようでワクワクします。
古い線路を利用して異空間へ旅する感じです。館内はこじんまりとしていますが、鉱物のコレクションや消石灰の実験など、賢治さんの「石っこ賢さん」と呼ばれた一面をよく掘り下げている展示になっていると思いました。わたしや夫の趣味で連れてきてしまって妹は退屈していないかな…と思っていたのですが、意外や意外、妹が鉱物好きだということを初めて知りました。ケースの中にあるメノウを買おうと職員さんに値段を聞いていたりして、そんなに興味があったんだぁと驚きました。(結局メノウの値段は職員さんにもわからなかったみたい)
賢治さん研究の方や鈴木實先生の寄贈された本の図書館があったり、なんだかいい空間です。わたしは、昔から、自分の故郷の町が、セメント工場(今は三菱マテリアル)の粉塵で白く汚れていてあまりいい町じゃないように思っていましたが、この年になって、だんだん地質学的にも貴重であったり、歴史的にも古くから文化が栄えた土地であったことを知り、随分見方が変わってきました。
ずっと行きたいと思っていたミュージアムに行くことができて、とても良かったです。妹の知らなかった一面も知って(石好き!)良かった。このあと、この日の宿の鳴子温泉まで走りますが、続きは…
大阪から帰ってきてから書きますね。
それでは、岩手への旅の続きを書きます。
8月6日 旅2日目 その2
宿のおいしい朝食を食べて、お墓参り、親戚への挨拶まわり、誰も住んでいない実家に風を通すというとても重要な目的を午前中かけて済ませました。実家のご近所の方たちも親戚の方たちも、やっぱり1年たてば少しずつ年をとっていて、なんとなく寂しい感じです。大本家にご挨拶に伺うと、おばあちゃんが、上がりかまちにちょこんと座って「まんずまんず、とおいどこ、よぐきたごどぉ」(まあまあ、遠い所よく来たこと)と迎えてくれて、おみやげを渡したら「なんとなんと、ごねんさまいだだいでぇ」(なんとまぁ、お心遣いいただいて)といつもの岩手弁で応対してくれたので、妹と二人、すごくほっこりしました。「ごねんさま」とは漢字で書くと「御念様」で、相手の心配りを敬う言葉のようです。方言とは古い言葉がそのまま残っている場合が多いので、これもそういったものなのかな。いずれにしても、ホロリと懐かしい言葉です。これからしばらくの間、妹は電話で、大本家のおばあちゃんのモノマネをしてくれて、また二人で岩手の余韻に浸るのです。
霧に煙る猊鼻渓
お昼はわたしたちのお気に入りの柴宿の産直へ。そこで、田舎の味のお煮しめ、海苔もち、茹でたきみ(トウモロコシ)、みそ焼きおにぎりなどを買いました。これをどこで食べるかな?どこか日陰がいいなと思い、かねてから行ってみたかった「石と賢治のミュージアム」の庭ででも食べようと提案しました。
宮澤賢治さんは、ここ東山町の砕石工場の技師として働いていました。何年か前、石灰と賢治さんの関わりに焦点を当てたミュージアムがこの町にできていたのですが、行ったことがなかったのです。場所は陸中松川という、わたし(あ、妹も)が高校生のとき利用していた駅の近くです。この駅も久しぶりに見てみたかった。夫はあちらこちらとわたしたちのリクエストをよく聞いて車を走らせてくれます。
陸中松川駅に到着。おー懐かしい。昔の駅舎は大きくて、売店もあったぐらいだったのに、まあ、今は二畳ぐらいの小さな待合室がこじんまりと作ってあります。ここでお昼を食べることにしました。夫と妹とわたしの三人で満杯です。わたしと妹は故郷の味をあじわうのに夢中でしたが、夫は大船戸線の電車が10分後に来ることを知って落ち着かない様子です。何といっても撮り鉄ですからね。単線なので下りと上りがやって来て、譲り合って(?)また去って行きました。電車はまったく変わりましたが、高校生のときからあるホームの藤棚はそのままです。電車の中から見えるホームの風景は夢でも時々見ていて、それが実際に残っていて不思議な感じです。
夏の空
駅からほとんど構内と言っていい場所に「石と賢治のミュージアム」はあって、歩いて向かいました。門から建物の玄関までのスロープが、賢治さんの童話の世界を表わしているようでワクワクします。
古い線路を利用して異空間へ旅する感じです。館内はこじんまりとしていますが、鉱物のコレクションや消石灰の実験など、賢治さんの「石っこ賢さん」と呼ばれた一面をよく掘り下げている展示になっていると思いました。わたしや夫の趣味で連れてきてしまって妹は退屈していないかな…と思っていたのですが、意外や意外、妹が鉱物好きだということを初めて知りました。ケースの中にあるメノウを買おうと職員さんに値段を聞いていたりして、そんなに興味があったんだぁと驚きました。(結局メノウの値段は職員さんにもわからなかったみたい)
賢治さん研究の方や鈴木實先生の寄贈された本の図書館があったり、なんだかいい空間です。わたしは、昔から、自分の故郷の町が、セメント工場(今は三菱マテリアル)の粉塵で白く汚れていてあまりいい町じゃないように思っていましたが、この年になって、だんだん地質学的にも貴重であったり、歴史的にも古くから文化が栄えた土地であったことを知り、随分見方が変わってきました。
ずっと行きたいと思っていたミュージアムに行くことができて、とても良かったです。妹の知らなかった一面も知って(石好き!)良かった。このあと、この日の宿の鳴子温泉まで走りますが、続きは…
大阪から帰ってきてから書きますね。