映画『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観た。
正直、ドキュメンタリー映画ってなかなか惹かれない私。
なんとなく、Huluをチェックしていたら、この映画を見つけて、
ヴィヴィアン・ウエストウッドの服って好きだな、って思って、
どんな人が作ってるのかな、って興味が湧いて。
金曜日の夜、寝る前にiPadで数分観てみたら、グッと引き込まれてしまって、
土曜日の朝食を食べた後、テレビでしっかりと観た。
感想は
素敵
この一言に尽きる。
2時間程度にまとめてしまえば、単に波乱万丈だけど素晴らしいデザイナーってことなんだろう。
2時間の内容では本当の彼女の苦労や苦悩や辛さはわからないし、経験してきたこと全部はわからない。
一つだけわかったのは、若い頃も今(映画当時)も彼女は彼女で少しもブレてない。
自分自身にしっかり目を向けてるし、明確。
世の中に反発したり、たくさんの人たちとぶつかり合い、傷つけあってきたと思うけど、それでも人類全体のことを考えていたりして。マジメ腐って堅苦しいわけではないのに、ちゃんと人と関わり合っている。
最近、人と人との付き合いがインスタントだな、って感じている私にとって、多くの人たちと本音でぶつかりあってるヴィヴィアンの姿はすごく羨ましかった。
変に本音を話して、相手とうまく付き合えなくなったら嫌だな、って保身が働いてる私がすごく情けなくなった。
映画を観てもう一つ。
何より、何かを作るってすごく素敵なこと。
一つの洋服を作り上げるのに、たくさんの人が関わる。
一つのものに込められる、人の想いがこんなにあるんだと、グッときた。
ここで、私はあることに気づく。
私、洋服が好きだな。
というのも、私が好きな映画、元気をもらえる映画。
『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』
『プラダを着た悪魔』
『セックス・アンド・ザ・シティ』
どれも、素敵な服を着て堂々と頑張って生きている人々に惹かれるのだ。
私の姉は中学生の頃からファッション誌をたくさん読んでいて、短大を卒業して自分で稼ぐようになると、好きな服をたくさん買って、素敵な靴もたくさん持っていた。『こんな服が着たい』というのが明確で、オシャレだった。
5つ下の私は、お下がりを適当に着て外で秘密基地を作って遊ぶような子で。
センスの良い姉のお下がりのおかげで、そこそこ可愛い服を持っている子、という感じだった。
オシャレも人並みには興味はあったし、洋服を選ぶのも好きだったけど、
着たい服に姉からダメ出しされたり、そんなに惹かれない服でも姉に『いいよ!!』って言われると『センスの良いお姉ちゃんに従おう』って思っていた。
私はいつの間にか姉や周りのセンスの良い友だちと比べては、自分自身の気持ちを無視していた。
(私の記録、をはじめて思うけど、本当に私は自分のことを人任せにしてきたひどいやつだな、と思う。
でも、気づけてよかった。まだ間に合う。)
そういえば。
もうアラフォーだし、なんて言う私に長女が
『ママは年齢気にしないで好きなもの着れば』
っと言ったことがある。
母親が若作りしたり、自分の意にそぐわない服を着てたりすると、年頃の娘は嫌だろうな、って勝手に思っていた。
自覚はしている。
飛び抜けて良いセンスがあるわけでもないし、流行に敏感でもない。
ただ、服を選んだり見たりするのが好きだ。
コレってきっと大切なこと。
私が服が好きだからといって、誰かの役に立つわけでもないと思うし、誰かが私をすごく褒めてくれたり認めてくれたりするわけでもない。でも、単純に『私が楽しい』のだ。
諦める理由は幾つでも見つけられる。
年齢が、
お金が、
立場が、
などなど。
映画を観て元気が出たことだし、これからは少しずつで良いから、諦める理由じゃなくて、好きなことができる可能性を探っていこう。そして、今まで勝手に諦めていた好きなものを感じるセンサーをもっと磨いていこう。
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18.元気をくれるお気に入りの映画があること
19.好きなことに気づけたこと