お札になっている新渡戸稲造氏の誕生日で、世阿弥の命日ですとな。
少し遅くなりましたが、原爆記念日の慰霊祭を見て感じたことを書いておきます。
原爆投下から早76年。被爆者の平均年齢は84歳。
原爆の犠牲者は、今年の8月6日現在で、32万4,129名だそうです。
式典が始まり、私も東京から黙とうを捧げました。
何故か、スーッとサラサラの涙が流れました。
子どもたちが自分の言葉として発する平和への祈り。
この子たちが今の気持ちを忘れないで、まっすぐに育ってほしいと願うとともに、それを支えるのは私たち大人なのだと思いました。
暑い中、コロナ禍にも関らず記念公園周辺に集まる人々。
この日の重さを思うと、責める気もちは湧きませんでした。
勝手な言い分だとは思いますが、五輪のモニュメントに集まる人たちとは違うんじゃないかなと。
お孫さんを抱っこしたまま、黙とうを捧げているご高齢の方もおられました。
そんな中、総理の読み飛ばしを含む、心に響かないスピーチ。
冒頭に、原稿がうまく読めないのを見て、大丈夫かな、脳梗塞でも起こされるんじゃないかと心配する自分がいました。
この事態にお休みもされていない大変な状況だとは思います。
しかし、総理になられてからの流れを見たら、そもそも心が国民に寄り添っていないからなのだろうな、と。
国を動かすには、いちいち寄り添ってもいられないのでしょう。
先日は、デクノボウという言葉を使いましたが、今回は血も涙もない、って言葉を思い出しました。
黙とうの時に思わずサラサラ流れた私の涙は、一体何の涙だったのだろうかと思い、ちょっと調べてみました。
涙というのは、もともとは血液なのだそうで、涙腺で赤血球などが漉されることによって、透明になるみたいです。
流す涙は、その感情によって味や成分が違うのはご存じですよね?
副交感神経が優位になっている、悲しい時やうれしい時の涙はサラサラで甘く、交感神経が優位な、怒りや悔しさの涙はしょっぱくて粘り気があるそう。
他にも涙にまつわる興味深いことを沢山知りましたが、長くなるので聞きたい人は今度会ったとき聞いてください。
いつになりますやら。
余談ですが、お母さんから出るおっぱいも、乳腺に来るまでは真っ赤な血液だそうです。
涙腺や乳腺があってよかったですよね。
目から真っ赤な涙が出たり、赤ちゃんの顔に真っ赤なおっぱいが飛ぶのを想像すると怖すぎです。
涙が出そうなときは我慢せずにガンガン流してください。
喜怒哀楽はすべてストレス、涙と一緒に流れ出るものなのだそう。
私のあのサラサラの涙は、黙とうをきっかけになんらかのストレスが流れ出たものだったのかもしれません。
怒りや悔しさの涙ではなかったようです。
人間の体って、ほんっとに不思議。
命があるという事自体が奇跡だなと感じます。
俺が私が、ではなくて、周りの命も大切に思わないといけませんね。

この時期毛が生え変わっているのか、てっぺんが立つこたろうくんも、大切な大切な命です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
感謝をこめて
つる姫