ある秋の日。私はしっぽのある男をみた。
休日の遅い午前。
前方を歩く男に違和感を覚える。
サンダル履きでぼさぼさの黒髪。古びたジャージを履いたその男の後ろ姿に、あってはならないものがある。
真っ白なそれは、ちょうど男の腰の下あたりから伸びて、歩くたび左右にゆらゆら揺れている。
そういえば、最近3階のベランダに、獣の糞のようなものを発見した。
裏の空き地は、ジャングルのように木や草が茂っている。もしかしたら、ハクビシンとかタヌキが生息しているのかも知れないと、怖れていた。
以前ジブリの映画にあったような気がする。姿を変えて都会に住むタヌキ。
山を追われて住むところをなくした獣たちが生き延びるために、あるいは人間どもにお仕置きをするためだったか。
しかし、いや、前方のあれは違う。
オー マイ ゴッド・・・あれはきっと神だ。
いや、ちがう。あれは紙だ。
私は男の後方3メートルの所まで近づいた。
ああ・・・・知らん顔して通り過ぎるか。それとも教えてあげるのが優しさなのか。
歩くのが早い私は、彼の後ろ2メートルまで迫った。
ふと、男の左手が尻尾に触れた。
男は前を向いたまま、その尻尾を左手て丸めとり、見えぬ表情を変えぬまま、丸まった白い尻尾をジャージの左のポケットに押し込んだ。
ああ・・・よかった。
後ろを振り向きもせず、なぜに男はその尻尾に気づいたのだろう。
もしや私の念力が通じたのか。
追い越す寸前で、男は左側の路地に入って行った。
横目で見た男は、歩く速度も態度も何も変わらなかったのだが、内心の状態は察して余りある。
しかし、私は口角を上げた。
つまり、男には申し訳ないが、内緒で笑みを浮かべていた。
そして、何十年も前の記憶が甦る。
うら若き、ちょっとぽっちゃりな友人が、貯めたお金で憧れていたミニスカートのワンピースを買った。
足が太いけど、どうしても着たかったと、言っていた。
ある日、会社帰りに、彼女はそのおニューなワンピースを着て飲み会に参加した。
ほろ酔いで帰宅中、何故か周りの目が自分に向かってくる。
このワンピはそんなにかわいいのだろうか、とほくそ笑みながら、帰宅したそうだ。
しかし。
ワンピースを脱ごうとした彼女の見たものは。
何十センチもぶら下がった白いしっぽ。
尾尾 舞 鹿 (オー マイ ディアー)*同音異義語
彼女は居酒屋から自宅まで、可愛い花柄のワンピースの裾から、白いしっぽを靡かせて歩いていたのだ。
電車にも乗った。
A型の潔癖症があだとなったのだ。
彼女は居酒屋のトイレの便座に直に座るのが嫌だった。
大量のトイレットペーパーを巻き取り、それを便座に敷いてから座り、用を足した。
夏場だった。
彼女の肌は汗ばんでいた。
敷いたペーパーは彼女の臀部に貼りついた。
おニューなミニスカワンピもあだとなった。
不幸というものは重なるものなのだ。
気の毒な事に彼女は、やっと手にした可愛い花柄のワンピースを二度と着る事はなかった。
それはあまりにも目立つ素敵なワンピースだったので、人々の記憶に残っているに違いないと思ったからだ。
よって、私も彼女がそのワンピースを着た姿を見せてもらう事はなかった。
一回しか着てもらえなかったあのワンピースは、その後どんな運命をたどったのだろう。
急激に気温の下がったとある午前、しっぽを丸めた男は、都会の路地の角を曲がって消えて行った。
おしまい。
感謝をこめて
つる姫