バブル絶頂期に、不動産屋に勤めていた。
駅前のビルの2階の小さな事務所。
社員は、社長と私二人きりだった。
いわゆる、町の不動産屋さんとは違い
賃貸アパートの仲介などはしていなくて
おもに土地売買に携わっていた。
土地ころがしで大もうけだ。
契約が決まるたびに、多額の現金が動く事務所で
私は、地味な制服を着た愛想のよい事務員だった。
当時の不動産業界の人は、いわゆる「怖い人」たちと紙一重である。
そんな強面のおじ様達から「ちゃん」付けで呼ばれていた。
儲かりすぎの会社の、経費を計上するために
私は、社宅扱いでワンルームマンションに住んでいた。
家賃は85000円。
手取り10数万の事務員には、高すぎる家賃だったが
社宅扱いのため、16000円の負担で済んだ。
エアコンや冷蔵庫、洗濯機なども
経費として落としてもらって購入した。
夢にまで見たお風呂付のマンション。
四畳半一間、共同トイレ家賃18000円のアパートから始まった東京暮らし。
部屋を引っ越すたびに
銭湯の場所を一番最初に確認していた。
特に女性には不自由の多い、銭湯通いからの解放である。
今では、当たり前のような生活が
当時の私にとっては、雲の上の夢の暮らしだった。
4階建ての4階には、部屋は二つしかなく
日当たりは抜群で、車の騒音などもほとんどない。
出窓の向こうに、高層ビル群が見える。
朝シャワーを浴びて、仕事には徒歩で通い
仕事が終われば、商店街で一人分の晩ご飯の買い物を済ませて
まっすぐに家に帰る。
同僚と映画を観に行く事も
お茶を飲んで、愚痴をこぼす必要もない。
少しも孤独ではなかった。
トウキョウドリームを叶えた、と思っていた。
土地売買の契約が決まり
決済の日になると、見たことのない仲介業者の人が集まる。
砂糖に蟻が群がるように、という表現を実感した。
一転がしで、うん千万儲かる。
おにぎりを転がして、宝物をもらったおじいさんのようだ。
バブルのおにぎりの中には
「欲」という塊が詰まっていた。
決済が終わると、近くにある信用金庫に私がお金を運ぶのだが
わざわざ「虎屋の羊羹」の紙袋に、札束を入れて持ち込む。
紺色の事務服を着た
ストレートの長い黒髪の事務員がぶら下げている紙袋の中には
実は、帯封をきっちり巻いた札束が、ごろごろ入っていたのだ。
歩いて一分の信用金庫に着くと
連絡を受けていた店長が待ち構えていて、すぐに別室に通される。
上得意様である。
たまに、高級料理店で社長とともに接待も受けた。
決済の日は、私のボーナスの日でもあった。
ボーナスは月に数回いただくこともあった。
所得に乗らない謎のボーナスである。
その日は、社長もゴキゲン。
不動産屋の友達と、高層ビル街のある街に繰り出す。
私もたまに同行させていただいた。
当時流行り始めた、コリアンクラブ。
分厚い長財布をお尻のポケットに入れた社長は
綺麗なおねえさん達に取り囲まれて、鼻のしたを7センチくらいに伸ばしている。
キープしてあるのは、ヘネシーである。
女の子など滅多に来ないので
ついでに私もちやほやしてもらえる。
やがて、女の自分が見て一番美人の女の子が
社長の愛人になった。
私は何故か彼女に好かれて
何かとそばに来て、話しかけてくるようになった。
たまに、社長がトイレに立った時などに
愚痴めいた事を漏らす。
大した相談相手にも、友達にもなれなかったのだが
他に話し相手がいなかったのだろう。
彼女は、こっそりと色んな高級品をくれた。
他の男性からのいただきものだったのかも知れない。
あるとき、彼女にせがまれて
彼女の左の薬指にはまっていた、宝石をちりばめた高級そうな指輪と
私が見栄ではめていた、左の薬指の安物の指輪を交換した事があった。
彼女の指輪は、私の親指の次に太い指でゆるゆるしていた。
私の指輪は、彼女の小指にぴったりと居座った。
「ワタシ ユビ フトイネー」
無邪気に喜ぶ彼女の顔が
薄暗いホールの灯りの下で、ばら色にぽうっと輝いて見えた。
交換した指輪は、私には全然似合わなかったので
小さな引き出しの中で、無駄に輝くことになった。
さて、閉店が近づくと
半ば無理やりに、フルーツの盛り合わせが運ばれてくる。
足のついた大きな器の上でアピールするフルーツたちに見向きもしないで
男たちは、やがて流れてくる「メリー・ジェーン」を待ちかねて
それぞれお気に入りの女の子と、
ぴったりと身体を寄せ合ってダンスを始める。
居場所のなくなる私に、
男性スタッフがほんの少し気を遣う。
曲が終わる頃、先ほどまで気を遣ってくれていたスタッフが
笑顔満面で、社長の隣にぴたりと座って
お会計が始まる。
分厚い財布の中から、何枚かのお札が取り出されて
汗ばんだスタッフの手に移動していく。
「遅いから、おめえ、タクシーでけえれや」
田舎出身の社長の、太い指で掴まれた聖徳太子が
田舎出の、指輪も、マニキュアもない私の掌で戸惑う。
都心からそう遠くないマンションの下でタクシーを降りるとき
社長からいただいた万札の代わりに
小さな財布から数枚の千円札と小銭をとりだす。
やがてやがてには、小銭を出す代わりに
「おつりは要りません」
年配の運転手にそんな言葉を発するようになって行く。
辺りを窺ってマンションの階段を上る。
小さな音を立てて鍵が開くと
カーテンを閉めていない窓から、
街灯の灯りが白い足を延ばしている。
部屋の灯りをつけると同時に、ピンク色のカーテンを閉める。
出窓の下に置いたパイプベッドには
ピンクのシーツが被せてある。
出窓の向こうに、高層ビルの夜景が見える。
ビルの上の方で、赤い電気がチカチカと瞬いている。
ピンク色の冷蔵庫から、缶ビールをとりだす。
夢は叶ったんだよね、と独り言を言う。
私のバブルの始まりだ。
つづく
この話はフィクションであり
全てつる姫の妄想によるものです(爆)
また、写真はすべてイメージです。
素敵な一日をお過ごしください。
感謝をこめて つる姫