「昔じゃねー結構最近だこのやろー」
もう14年の後輩に褒められた
なんか今年は7月30日を否定されまくってる気がしてる。
今年は他人由来に振り回されてるな、
だから当初の自分由来を通してみよう。
7月19日、8時間
だいぶ疲れたけど、私としてはこう
「まだまだ話足りねーよ。こっちは3年待ったんだ。」
こんな感じかな。
もしかしたら間違っているのかもしれない。
私は無神論実存主義だと思う。
但し、てっちゃんさんによって気づかされる。
信仰がなさすぎる。何かしらの信仰。
そんな時にお上からお説教いただく機会をもらった。
チャンスなんだよね。これ
たとえ間違ったとしていても、
全部正直に話し尽くして、
その先の、
お上でも何でもないその先の裁定は、必ず人智に及ばないと信じる。
今回こそ、今回のこの結果、状態を以て私の信仰になりえるかもしれないなと思った。
まだつらい。まだつらい。まだまだつらい。
んで30年。を、更にこの先を、受容できる。
永遠の労苦は、いつか来る死期を幸せに迎えられる。気づきもせずに。
これは自由意思を肯定できるでしょ。
こんなもん、懲役100年くらいの強制力の方がましだと思える3年または30年だったから。
これを決定として捉えるなら、もう負けている。
それも違うな、
「けど、だから、自由意思なんだわ」
決定論で妥協?決定論を受容?するより、自由意思で足掻くことこそ享楽、その客体を操ることが、思想としては万能な反抗的快楽。
これは信仰に妥当するような気がする。
あら待てよ、もしかしたら仮の郷愁、久里浜信仰の卒業になるかもしれないね。
寂しいけど、独立不羈が辿り着く依存、
私だけの信仰だ!
かなり照れ臭い
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