今日は月一の全体会議の後に、
何かと最近話題の例の映画を観てきた
プレビューも見ちゃダメとか、
CMもないとか
面白い面白くない難しい
色々聞きすぎて、みた方が早いなと、
で、直後感想(ほんとさっき)なんだけど
鑑賞中に思い出したのは「エピステーメー」なんだよね
フーコーの思想なんだけど、劇場出た後そっこーぐぐったら間違ってたんだけどね
遠からずかな
この映画、
冒頭母が死ぬ。
そして妊婦が現れる。
そして異世代の人間動物(主人公含め)が同社会(異世界)の枠組みで邂逅するんだけど、私の独説で言えば、
①母そのもの(的なものも)、
②妊婦がいるのに赤ん坊(新たな生命的なもの)
の「画」が登場しないのよ。
その中でアニメーションだから出来る様々な邂逅を経て、
「君たちはどう生きるか」
まさに個々に
「いま、お前は?」
なの。
今お前に不必要なものを省く形て構成していったから難しいんだと思う
進行上割愛できない存在は、擬人化して無感情、⇨聴衆の傾倒を回避する
ここに意味を求めると評価が迷走する
他責の余地がない世界でどう生きるか
各世代を先祖代々子々孫々という概念=責務を抜きに俯瞰して、
たった今、たった自分、がどう生きるか?
ということなんだと思う
それを必死に説明しようとすればああなる気がする
もし、仮にこれが当たっていればそれは、一言で宣伝できるようなものでもない。倫理的に勘違いされそうだし。
もしそうであればかなり面白い映画だったと思う。
父権の希薄性(私は家族契約における嘲笑対象の担い手だと思っている)も上手
観てきたばっかで忘れる前に勉強前に記しておく。
後日、駿が
「実はこれ、親子愛の映画じゃ」
って言ったら大はずし
ひっそり本稿は削除する。
駿がどっちであっても、
たったおれは、
これまでもこう生きてきた
これからもこう生きるよ
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