わたしは、母子家庭に育ち、転校が多く、地元がないため友人が出来なかった。中学の頃テレビに出て、ダンスで優勝してそれから地域の共同体を飛び越して交友が広がって、それなりに青春して、社会人になって、友人に恵まれて、女性ともそれなりに遊んで、家庭を持ち、失敗し、それでも仕事に身勝手な喜びを感じて生きていた。そしてアル中になり、死にかけたけど退院してすっきりしたかと思えば、そんなことはまぁ赦されず、暗澹たる気持ちでいる中、疫病という機会がやってきて、活動している
この程度の出来事(未知の感染症)など私にとっては余裕だと思っていた。日本を想う気持ちと、死んだ友人の原理があれば、簡単だと思っていた。
これまでは、結構明確だったんだよなぁ
前回の収録までは、
この4,5月の記憶や、昨年の消費増税への悪辣な思いなどで、考えや方向性などの決断が明確だった
ただ色んなこと、特に人間の原点に近いものに触れ、原始的な共同体などを考えた場合、日本に対する爽やかな気持ちが揺らいできた
「今日の日本」ではなく「我が国日本」に対しての疑念と、その上でなお且つ必要である共同体日本を保守し続けること、自分が何に所属しているかも拒否され僭越すぎて説明できなくなっている奴が、一生懸命共同体日本を語っている。
地元で友達を作れず、学校で彼女も作らず、結婚もうまくいかず、会社も潰し、一人も部下を持たず、先輩や後輩も持たず、日本を保守しようとしてる
間が抜けている
昼行燈っていうんだろうな
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