ぼくぽてちん忘備録

a chainless soul
ずーっと夏休み

そのときあのときあれこれ

2021-09-12 10:21:00 | 日記
911の時は例のおっきい彼と錦糸町でばか呑みしていたんだよね
呑んでたら電話で取引先のおじさんから「開戦だ開戦だ」って連絡があって
そんなのどうでも良いやって今が楽しくて呑んでいた
芸のない表現すればあれから20年なんだぁぁってね
あの時は何だっけ、なんかで一緒に稼いだ金を毎晩錦糸町でつかっていたのかな
互いに照れ屋だから、ああいうところで濁していたのかもね
ずっと続くと思ってたよね
日本すげーっていう大人ばっかに囲まれて、まさかデフレ経済下のデフレ政策でこんな苦労するなんて思ってもなかった


今回の総裁選みて思うけど、やっぱり財出派も含め、大衆的なんだよね
極めて誰かのコピー
怖いのは、ジャニーズ並みに候補者、つまり与党議員が毎日メディアに露出して、日本の政治家は自民党だけみたいになっちゃって
そんな簡単に流されるのかね
政権交代は難しいのかなぁ
この一年、この二十年を総括して、たった今からの一年間、明日からの具体策を、目標値を以って語る
そんな候補者一人もいないよね

311を総括しないで他国の911に思いを馳せるのかな
戦争ポルノなのよ
正義や道徳の擬似体験、犠牲者の擬似体験
もうどこにもそんなもんないのにね
残ったのは無責任な言説と道徳の後退、卑しさだけの情動


ガザニガの講義では、決定論を前提として、社会性(ソーシャルマインド)、法とどう向き合うかということを脳科学からのアプローチで話していて、一部取り沙汰すると、
生得的な脳に備わる道徳機能は、文化からの影響で
①行動 ②認知態度 ③生理機能 
④淘汰にまで及んで、残ったものが環境を変えていく、環境と生物体は二人三脚を続ける
と言っていて
わたしとしては、法に近しく生きているので(犯罪者のくせに)無秩序に向かう物理法則の中で恒常的維持=秩序を無意識に生物体が共有し始めるのが自然法、意識的にそれに理解を加え社会毎に共有するのが実体法なんだと思ったのよ最近
よってわたしは決定論はないと思ってるというか、決定論を本質的にニンゲンは受容れることは出来ないと思っている
仮にあったとしても、決定論の解釈(受容)の究極的は個々、であって、学問として共有できない思う


そのまま考えを続け、道徳機能は客観的に説明や表現が出来るけど、
倫理観は備わっているか否かという事にたどり着いてみれば、わたしたちはやっぱり倫理が何にもないんだよね
相互作用でいえば例のやたらおっきい彼に対してだけはあったのかなぁと
それもないのかな

「どちらかが死ぬまでの約束(余生の倫理)」か
いま考えれば本当に贅沢でありがたかったわ
倫理観が一番機能した時期だったかもね


似た境遇の部下(63)と話していたけど、お互い倫理観ぶっ壊れてて揃って破顔一笑
この一週間動きなければ出頭するよ

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