きょうは
あの未曾有の東日本大震災が起こった日からちょうど10年の節目の日。
この10年、早かったという方もいれば長かった、という方もおられる。
それぞれの置かれた立場や環境、年代によってもさまざまだと思う。
ここのところずっと震災に関する特別番組や報道特集をいろんな局で放送していたので、いろいろ思うところもあり…
被害がない訳では無かったけど、家や故郷を失くされ家族を亡くされた方々からすれば、何の大変なことがあろうか。
いまもこうして日常を過ごせていることをありがたく思う。
震災の直後、原発事故が起きて避難を余儀なくされた浪江町のご家族を、一晩わが家にお泊めしたことがある。
娘の部活の顧問の先生が浜通り出身というご縁で、娘が通う高校と浪江町にある高校で、時折交流試合をしていたことがあり、、、
夫がそこに審判員としていつも付いて回っていたため、親しくなったらしい。
2、3日、、場合によっては一週間ほど泊まっていただくつもりでいたけれど
あちらのご夫婦も気を遣われたらしく、
翌日は親戚のところへ行きます(たしか埼玉)とおっしゃっていた。
いちばん上のお子さんは、娘と同級生の子から、下は2歳になるかならないかで、
4人のお子さんがいたので、これから先どうされるのか……心配になった。
その後、あちこち転々とされて、いまはどちらなのか判らないけど、、、
あのご家族はいまどうしておられるかな、とふと思いだす。
普段は忘れがちなこのことを思い出す日にしたいです。
普段は薄れてしまいがちですが、改めて感謝しなくちゃですね、ほんとうに。
実際に被災され、生活が一変された方たちは、忘れたくともそのことを日々突きつけられて居るんだと思うと胸がつまります。
お宅に避難されたご家族がいらしたんですね。
一晩でも泊まれた事は安心された事でしょう。
きっとお元気でお過ごしになられていると思います。
私の娘はその頃浦安に住んでいましたのでとても心配しました。
幸い娘の仕事場もマンションも安全な所でした。
お友達のマンションが液状化でライフラインが使えなくなり
1週間ほど泊まりに来ていました。
私達は原発の心配もあり、お友達も連れて帰省する様勧めました。
結局お友達がいる間は帰省はしませんでしたね、、、
でも非常時は助け合う事が何よりお互いに心強いと思います。
コメントありがとうございます^_^
昨夜、夫にその後ご家族はどうされたのか聞いてみたら、いまは県内の中通りにある二本松市に住んでるみたいだ、と言ってました。その後の音沙汰は判りませんが、たぶん元気にされてると思います。
娘さん、浦安に住んでらしたんですね?
震源地から離れているように思われても、液状化で地盤が緩んで、大変な状況でしたよね。お友達もどれほど助かったか!と思います。mariaさんご夫婦も心配されたことでしょう。
うちの娘も震災の後、3年ほど浦安の隣の行徳に居たので大丈夫かな?と不安がありました。
震災の余震や、南海トラフ地震のことや
コロナも含めて、それぞれがこれから、どうすればいいのか問われている気がします。