(近所の桜)
4月1日、エイプリルフールのようなことがおこった。子供のころから話だけはきいていた不二江叔母から電話があったのだ。
日曜日で出かけるところもなく自室でぶらぶらしていた母がかなり真剣に、あわてて私を呼びに来た。「誰だかわからないけど、M藤、M藤と言ってる」M藤は倒れた川崎の叔父である。
電話を代わると「M藤さんに電話がつながらないから、H姉さんなら事情を知っていると思って」という。「叔父さんは病気で入院してます。私はHの娘ですが、あなたはどなたですか?」「あ~Mちゃんね、わたしはフジエです。」叔父さんの弟M邦さん(故人)の奥さんだ。明日川崎に行きますが、お見舞いに行かれますか?と聞いたら二つ返事で行くという。
4月2日、ホリイ先生に面談のため従妹Tと川崎S病院へ。もう急性期は過ぎていること、しかしいつまた悪化するかわからないことを言われた。請求書の金額が大きいこともあって、肺炎も公害医療で診療することをお願いしたが、「気管支炎とかぶる部分(吸入など)は公害医療でやってます。ただ金額の大きな部分が高カロリー栄養剤なんだよね。」という返事だった。低カロリーにしてくれとも言えず・・・もうお金のことはいいから最大の要件を言ってみる。
「叔父が長くかかっていたK病院でかかりつけの先生に見てほしいのですが、そういうことはだめですか?(そこへ転院したい)」N麦病院移送をソーシャルワーカーが一生懸命やっていたので、おっかなびっくりの質問だった。しかし案に相違して、「それはいいですよ、でもどうかなー、受け入れてもらえるならいいけど」 とりあえずサウンドはした。面談が終わって、病院玄関にt到着したフジエさんを迎えに行く。11時半。
三人で叔父をお見舞い。フジエさんが来てくれて叔父さんは嬉しそうだった。
お昼は西口のAZOLEAだかAZALEAだか、響きのよくない駅ビルに入っておうどんを食べました。あまりメリハリのないランチセットだった。ひとしきり話をして叔母を一時半に送る。
K病院の先生には 途中市役所の環境保健課で書類にハンコを押し、ついで失くした郵便局の通帳の再発行依頼にゆうちょに郵便局へ行く。
続く・・・・