ねうねう句日記

いつか秀句をはきたいと、ねうねうとうち鳴きながら、より所なげに春の夜を・・・
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オサリバンを聞きながら・公害医療機関病院とマルメ病院

2012-05-12 01:11:45 | 日記
ひさしぶりにFMを聞いているとジェットストリームの時間だ。あれ、ナレーションの声は誰?○○代目大沢たかおといってる。世(夜)は移り変わっているのね~。もっと深くて落ち着いた声がいいんだけどな~。しょっぱなにギルバートオサリバンを2曲かけてくれたので良いことにしよう。大沢くんの声もでしゃばった感じはなく、すっとはいってきていいかもしれないし。「Alone Again」と「Joanna」

What do we do? What do we do?
Alone again, naturally

ああまた一人になってしまった・・・
所詮人は一人ぼっち、という歌だけどいつ聞いてもいいですね。
昔もラジオでよく聞いたけどGオサリバンの画像を見たのはずいぶんあとだった。
長い顔にふあふあヘアで、アート・ガーファンクルだったのにはちょっと意外な感じだった。
4月は弘田三枝子にはまってCD2枚買ってしまったが、今月はオサリバンを買おうかな。
古書買いをしないとお小遣いが潤沢にあるような気になる。
3月に享保の歳旦帳他を買い込み、後遺症がまだ癒えてはいないのに・・・

M藤叔父のこと
川崎S病院を三か月過ぎて転院余儀なくN麦病院へ。そこも一か月すぎてしまい、次を予定していたK同病院のBedばまだ空かない。
空かないまま、K同の次の療養型病院候補へM嶋病院の家族面談に行く。
旧東海道に沿って八丁畷駅近くだ。従姉妹と二人でソーシャルワーカーに会う。話は即座に決裂した。
何がって、ここは「公害医療機関」病院ではなかったのだ!マルメと称されるらしい病院は、叔父の「公害療養費」の請求手続きをしないのだという。入院費払えないよ!ああ何てこった、きれいですごく頼もしい感じの病院なのに!ソーシャルワーカーはしっかりしてるし、何より揉めだしたらすぐ入ってきてくれた副院長が素敵だった。ザンネン。


副院長は女性のドクターで、一緒にいろいろ考えてアドバイスしてくれた。んむむむむ~それでも乖離してる。ザンネンダ。
その後、賢いソーシャルワーカーは私たちを即見切り、「これはN麦病院さんに一回お返ししますね、でも△△病院さん、□□病院さんなどには、療養費支給がなくても間に合いますから、ご紹介しておきますよ」

おりしも雨がざんざん降りとなり、八丁畷踏切そばに芭蕉の句碑があるにろくに見もしないで駅舎に飛び込む。ホームのベンチで降りしきる雨を眺めていたら、二人して「疲れたね~」
これが昨日のことで、今日二時ころ従妹から連絡があり、さし戻ったN麦から連絡あり、断られたM嶋にかわる病院打診中、ということだった。また面談にいくのか。

しっかり見られなかった芭蕉句碑は八丁畷踏切脇にある。畷とは縄手道。川崎宿のはずれになる。
元禄7年(1694年)5月、芭蕉は少年次郎兵衛を連れて郷里の伊賀(三重県)への旅に出た。
門弟たちと江戸深川の庵からを発ち、品川宿、川崎宿ときたが、名残は尽きず、八丁畷まで見送られた。ここで別れの句を読み合ったわけだ。


芭蕉の惜別句は「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」である。
「芭蕉が句を詠んだ地に建てられた句碑は、箱根山で富士を詠んだ句碑など数基しかありませんので、その点でもこの句碑は大変貴重といえます。」(川崎市教育委員会・HP)
マルメってなんの略ですか?と聞いたのだがよくわからず、ネットで調べたら「包括医療のこと。一定部分「まるめ」た計算。」という説明を見つけた。国の医療費削減政策の一つらしい・・