五月十九日、静岡市臨済寺の今川忌を見て帰路につく。二時半の新幹線はいっぱいで驚いた。駅構内でまたまた車中の楽しみを買い込んで乗り込む。静岡のものはなんでもおいしい。安倍川もち、黒はんぺん、わさび漬け、この三点セットに何かあたらしく登場したものを加えるのが最近のお土産セットである。おにぎりやはんぺんを食べてうとうとしていると携帯が鳴る。見れば「N麦病院」!叔父の入院先だ。
従姉に連絡がつかず、第二連絡者の私にかけたという。叔父が危篤なので一刻も早くかけつけるように、という。叔父さんもうちょっと持ってください!!実は某所で書類の受け渡しがあり、それがすんでからでなくては駆けつけることができないのだ。
従姉とようやく連絡がとれ、彼女は三時半にN麦で叔父さんに対面できたという。病院紹介の葬儀屋さんの車で鶴見の葬儀ホールに叔父は安置されるからそちらへ来るようにという指示だった。
鶴見は総本山総持寺や鶴見大学で有名なところですね。一度は訪れたいところだが、亡くなった叔父との対面地になろうとは思わなかった。
鶴見駅に降り立つと天気は一転、雨が降り出していた。きれいなホール祭壇に叔父の棺が横たえられていた。戸塚からもう一人の従妹も。亡くなった夜に三人顔を合わせられるとは思わなかったが、良かった。やつれてもいず安らかな良い顔であった。葬儀屋さんといろいろ相談。火葬のこと、納骨のこと。ここでは叔父生前の希望であった「海にまいてくれ」問題を協議。葬儀屋さんに海に散骨のいろんな実態をきく。とっても大変、なので叔父さんの願いと言えども却下!でも田舎のお寺はぜ~ったい入りたくない、と言っていたので、叔母さんの位牌ともども何とかならぬか・・。
そこは葬儀屋さん、懇意にしているお寺に聞いてくれることとなった。
翌日従姉はもう一度鶴見のホールに出向いて詳細決定。環八の谷原交差点近くの著名なお寺の合祀永代供養塔に入れることになったという。谷原なら私の家からも近く、交通の便も良い。費用もおじさんの残したお金で間に合う。よかった~。しかし、これから叔父さんは浄土真宗で永代お祭りされることになる。本人は日蓮宗系無宗教だから特に拒む必要もない。
さて22日は葬儀の日である。朝から大雨の中、9時に鶴見のホールへ。従妹は渋滞でぎりぎりになるという。はじめて見る初老の男性が来ていた。叔父と従弟になるAさん。かなりしっかりした人だ。
川崎南部斎苑へと出発。最近できたばかりの火葬・葬祭の設備である。住所の夜光というのもなんだか不思議な名前である。近代的なのに驚いた。列席者は6人。お骨になるまでの間Aさんや従妹の旦那たちといろいろ話した。二人で組になりお骨を拾う。係りの方が主だった骨の説明をしてくれた。頭の骨の湾曲が父の頭を思い出させる。
それから一路高速に入って練馬に向かう。谷原のお寺には一時間少しでついた。ご住職は穏やかな雰囲気でほっとする。滋賀高田双林寺のご住職を思い出す。長いお経をあげてくださり、法話もしてくださった。私たちの縁戚は日蓮宗、曹洞宗が多く、浄土真宗の法要は初めてである。
49日に合祀供養塔に骨を納めるということで、もう一度はこちらに参集しようということになった。長い長い一日だった。雨は小やみになり、帰りに練馬区役所の展望レストランで軽食をとって解散。
かといって川崎市環境保険課との戦いはまだ終わっていない。3月までの保障費や療養費をまだ払ってくれていないのだ。無事に49日を迎えたいものである。
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