お休みの土曜日
『古色蒼然』という四文字が頭の中で
グルグルして離れなかった
イロイロな事が重なって相変わらずの
弱虫で……
『お仕事を辞めれば』とも言われた
昔だったら跳ねつけていたけれど
素直に聞いてしまった
何とか何とかもう少し元気にならなければ
そして、凛としていなければと思う
体調が戻って来て嬉しい
先週はとても重たくお仕事していたからなーーー
アナゴに感謝
お付き合いいただきありがとうございました
睡眠も大事 POPO
震災のことは決して忘れないけれど
普段はあまり思いだしたくない
が忘れたいことは脳は何年たっても覚えている
転勤で行った関西で住居は「摂津本山」というところに借りていただきました
東灘区本山南町
高速道路が傾いた辺りのもう少し山手方面のマンションでした
マンションは【全壊】 その中にいました
自衛隊の人が来てすごい力でがれきを持ち上げ助けてくれたこと
外に出たらマンションの下の土が盛り上がっていて
エレベーターを境にマンションは裂けていたこと
一軒家はほとんどつぶれていて、つぶれた屋根の下から声が聞こえたこと
この後、かなりの放心状態が続いて。。。
時間を経て
仕事に復帰はしたが、営業職から一時外れた
揺れるのが怖くて、電車にも乗れない、飛行機にも乗れない
薬品会社に勤務しているSさんの紹介で夙川にある心療内科に一年通院した
会社側から「どうしても台湾出張に行って欲しい」と言われ
診療所の先生に「私、機内で叫びだすかも知れない。台湾まで行っても帰ってくる自信がない」
などと相談すると「その時は僕が迎えに行ってあげましょう」と背中を押され台湾へ。。。。。
安定剤を飲み、搭乗口でやはりドキドキしてきて頓服を飲み
それからの出張は薬と飲んだ後の気持ち悪さケダルサとの戦い
その頃の記憶の紐は国内線、千歳→伊丹 離陸直前に降りました(限界だった)
20年
現在、東京勤務
多少の揺れでも怖い
エレベーター、地下鉄、飛行機、微妙に怖い
御守代わりの安定剤はいつも一緒
極度の閉所恐怖症とは一生のおつきあいにはなりましたが
上手につきあえば良いということも学んで
神戸の方々にはというか関西の方々には大変お世話になりました
何せ、ほとんど無くなってしまったので
スーパーのビニール袋をバッグ代わりに使っていた
ほんと何にもなかった
あっという間の20年 POPO