お父さんのお通夜に聞いたこと
東京に大雪が降って、街が混乱したころ
ここ東紀州は雪にならない冷たい雨が降りました
お父さんのお通夜は自宅で行われ、たいそう寒い中たくさんの人が来てくれました
泣いてばかりいた私がふと外に目をやると
自宅を囲む塀の外にもたくさんの傘が見えて
ご焼香が終わった後も皆さんが残ってくれているのがわかりました
夜、お父さんの元で勤務してくれていた方々と一緒にお酒をいただき
新たに私が知らなかったことをたくさん聞きました
海に関する仕事に親戚一同が携わっています
海運業である上の弟はずーとカナダから砂を輸入して
羽田空港の埋めてをしています
若いころ修行の身であったお父さんは通信士から始まり
途中から一等航海士になるのですが
年に数回しか会わないけれど誕生日などには
「お誕生日おめでとう 洋上より父」と電報を何回ももらいました
「アッ子ちゃんのお父さんみたいね」とその頃はやった
秘密のアッ子ちゃんみたいに言われてうれしかったりしました
いとこなんて水先案内人で大型客船などを誘導するタグボートを操縦したら
とてもすばらしく上手です
こちらは香港のオーシャンターミナル
おじさん(母の弟)は香港・インドネシア等の担当でしたので
とてもきれいなバッグを買ってきてくれたのを覚えています
拙い絵ですが、こんな感じ
ピンクのドロップストーンでキラキラしていておませだった私は
とてもうれしかったから
小さい頃でその時のことは鮮明に覚えてないけど、このキラキラだけは覚えています
ネットで探したのですが、香港の景色が見えるおもちゃ
お土産にもらったものはもっと横長でした
数年前に実家で見つけたので、大事にしてね!!とお願いしたのに
今回探し出すことが出来なくて
そのお酒の席で「香港に駐在していたよ!じいさんは」と
一人のおじさんが言うのです
おじさんは82才だからそのおじいさんと言うと???
「何をしていたんですか?」と聞くと
空港の拡張で埋めたて工事の為、海運の仕事で香港に渡ったらしい
一人ではなくたくさんの人が渡ったらしい
この人々はパスポートはないのです
船員手帳での上陸です
世界中、船員手帳が有ればほとんどの国に行けるのです
「新しい空港ですね?」と言うと「違うよ!あの街の空港だよ」
啓徳空港です 今から100年くらい前のお話ですよね?
なんだ、私なんか香港初心者も良いとこだ
延々と香港の話に花が咲き、皆さんがお父さんは温厚でいつもニコニコしていた
と聞くたびにまたメソメソしたお通夜の席
世界、日本のあちこちで生活をして晩年を先祖代々のこの土地に戻り
ホント武士のように潔く逝ったお父さん
お墓からの風景です
風光明媚でここでもう病院にも行かなくて良いしゆっくり休めると思う
(この湾の中心にDONETが埋まっていることを知っているのか?)
朝も日の出のころにはとても良いです
香港の街であの店はあるのかな?とか
あの子はもうばあさんなんだろうな?とか
おじさんたちも若かったから武勇伝みたいなものも飛び出して
お父さんもうれしかったと思った夜
そしてお父さんが携帯で病院から注文した通販の商品がお通夜の時に届き
いつもダジャレばかり言ってふざけている下の弟が凍って固まっていた夜
まだ、夢にも出てこない POPO
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